その結果 他人の言葉に異常に敏感に反応しまい 安心して生活することもままならなくなるという
虐待を受けて育つと大脳新皮質全体の萎縮が見られるのだが 言語による虐待の場合は局所的に言語機能などの特定の無意識機能を司る領域が無駄に肥大し 不必要な過剰反応によって日常生活に支障をきたすことがあるという
いわば トラウマ的に言葉に対する恐怖を行動「学習」してしまい 不必要に他人の言葉に恐怖心を抱いてしまうことで 冷静に物事を判別する能力を喪失してしまうらしいのだ
日常的に他人の発する言葉の恐怖に怯え続けることで 常に精神的ストレス状態に陥ることで 他人に対しての配慮のようなことが出来なくなってしまうのである
その意味においては 「バカなのにも理由はある」のだとも言える
多くの大衆やマスコミがバカで 生物学者や哲学者共の嘘を見抜けないのも 生育環境において主体性や自主性を尊重してもらえなかったことによる 一種の「病」であろう
特に「責任世代」とも称される中年以上の年代の人の多くは かつての荒んだ「教育」のために 権威の言っていることに疑いを持つことに観念的恐怖を感じ 主観的な安心や満足だけで物事を判断してしまうバカが大半を占めていると考えた方が良い
虐待というものも グラデーションであり程度問題とも言えるものなので 一切のヒステリー(心的拘束)を持たない人など存在しないと思うべきであり
人は何らかのトラウマや価値観の偏りといったものが存在するものであることを前提にすべきである
それは他人のみならず 自分にもあると考えるべきで だからこそ「主観には意味がない」のである
主観的な好き嫌いなどの「思い」には社会的価値など存在せず あくまで客観的な論理的検証という「考え」に基づいて社会的価値を見定める必要があり そのためには「理性」は絶対に欠かせないのである
個人的な価値観だけに頼って「自分だけは絶対に間違えない 大丈夫だ」という慢心こそが メンタリストのDaiGoのような著しい間違いに陥る原因なのである
メンタリストなどというのは 本人が言うように元々は詐欺の手口であり 「他人を手玉に取る手口」であって 人間性や倫理とは無関係な話であり どんなに「金儲けに利用価値がある」としても それが社会持続可能性や安全性に寄与するわけではない
ヒトはどうしても利己的金儲けに有利な話でさえあれば有り難がって飛びつき それが本当に公益的価値が存在しているのかどうかには配慮がいかなくなる習性がある
学問というものは 本来は利己的金儲けのためにあるのではなく 真理を追求するためのものである
真理とは 「本当のこと」であって 人間として社会に生きる上において最も重要な「本当のこと」が何なのかを分別できてこその「人間性」なのである
社会持続可能性や安全性において 「本当に」最も重要なものが何なのかを区別できなければ 当然ながら嘘に騙され無駄な行動しか採ることはできなくなる
個人的な好き嫌いは「主観的事実」ではあるものの 決して「客観的事実」の論証にはならない
「生田絵梨花よりも和田まあやの方がカワイイ」と「思って」も構わないが 「ホームレスは俺様にとって害にしかならないから殺せ」という話にはならないのである
生活保護の主旨を逸脱したお金の使い方しかしないホームレスもいるのだが ギャンブル依存症という「病気」が原因なら それは「治療」が必要であって 短絡的に「殺せ」だの「支給を打ち切れ」という判断には人間性が欠けていると言える
それは犯罪者でも同様で 懲罰をどんなに加えても精神の「病」は治らず むしろ悪化してしまうことによって逆効果になるケースも少なくはない
その場合も被害者は一般人であって 自分も含まれるのである
自分が再犯被害に遭ってから 「何でコイツは治らんのだ」と後悔しても遅いのである
そもそも刑務所は犯罪者を「治し」てなどいないのである
この著しい根本的制度の欠陥を放置しておくことも 本当は遭わなくても良かったはずの再犯被害に対する無責任性の片棒を担いでいることになるのである
かく言う私にも価値観や好き嫌いの偏りはあって 若い女子同士が仲良くしているのは素敵だと「思う」が ハゲオヤジが手を繋いでいるのは気持ち悪いとしか「思わ」ない
だが そんなものは私の個人的な好き嫌いの範疇であって 個人的に「嫌い」であっても許容する理性こそが「ダイバーシティー(多様性の受容)」というものである
そういや滝沢ななえちゃんが「本当は男の人が苦手なのに 男の人に可愛いと言われることに罪悪感を感じてしまう」と言っていたことがあるが 私個人的には女子しか興味のない女子もまた素敵だなと思っており そもそも可愛いと思うのは思っている方の勝手なので 罪悪感を「感じる」必要性は全くないはずである
サバイバーズギルド同様に 無駄な罪悪感で悩む必要性はない
自分の主観的な「感覚」自体は変えようがないものだが 無駄な感覚に「悩む」必要性はないのである
そんなものはただの錯覚に過ぎないからだ
Ende;