イワシのような食物連鎖の底辺に近い生物の場合 繁殖力が強く大半が他の生物の餌食になっても絶滅せずに「生き残る」ことができ 「種の保存」になる
個体の生存価値というのは非常に低く たまたま先天的に逃げるのが遅いなどの理由で淘汰され続けることによって 逃げ足の速い個体への淘汰圧力が働き「進化」が促される
決して「個体の安全性が確保されるようには進化」することはない
それでも 「種の保存」に適し 「環境との調和」にも適すれば 死滅せずに「生き残る」ことができる
こうした過酷な自然界における淘汰圧力や遺伝的進化を人間社会に持ち込むことはできない
100人中1人が死んでも 99人が生き残っているから「種の保存」だなどというバカげた話を人間社会に持ち込むから優生学などというオカルト観念が温存されることになるのである
「種の保存」は別に人間社会の目的ではなく 単なる自然界における生物の結果に過ぎず 「死滅せずに生きてさえいれば生物」と分類しているだけの話である
ヒトという種の生物は ここ数万年ほとんど進化していない 文明から隔絶された原住民であっても紛争による死亡率は1%程度であり この程度の淘汰圧力では遺伝的進化を促すまでには至らないからである
社会形成習性や民族浄化バイアスはヒトに進化する以前からあったものであり ヒト以外でも見られるものであって ヒトにまで進化してから獲得した性質ではない
逆に言えば ヒトに進化した後でも 社会形成習性や民族浄化バイアスがなくなるようには進化していないのである だからヒトは差別や紛争をやめることが出来ない
遺伝的進化に頼れば 都合の良いように淘汰圧力をかけ 他人を選別して殺害したり 断種によって「優れた遺伝子」以外を全て抹殺しなければ 遺伝的進化は促されない
自然界における遺伝的進化のメカニズムを人間社会に持ち込めば 自ずから優生学的オカルト観念を受け入れざるを得なくなるのだが 現状の生物学界はそれを許容してしまっているのである
ヒトは遺伝的進化をする必要性はなく むしろ変異による多様性を活かす方向で個性を活用することによって より合理的で効率的な人間社会を作ることも可能なはずである
個人の差異に優劣をつけ 順位序列をでっちあげることは差別にしかならない
それでも ヒトという種の生物は 先天的な民族浄化バイアスによって少数異端者を排除しようとする先天的習性自体は「進化」的になくなることはない
遠い将来的にはゲノム解析やゲノム編集によって先天的本能習性に由来する欠陥を減らすことも可能になるかも知れないが それは現状ではまだ夢物語に過ぎず 現状の先天的なヒトの本能習性基づく欠陥を補いながら社会を形成する以外に選択肢はない
「種の保存」も「生存」も 生物の結果であって 決して「人間としての目的」に適するわけではない
差別主義者を抹殺しても ゲノム自体にさしたる違いがない以上は 誰でも差別主義に陥る危険性は持っているのであって 差別主義に陥る原因究明と再発防止策によって差別主義者を生み出さない社会を作ることが重要なのである
遺伝的進化に頼るのではなく 先天的結果に過ぎぬ行動習性の欠陥を 社会全体で共有認識自覚し 欠陥に由来する諸問題を解決してゆくことで 「人間としての社会性」を発揮し「社会構造の進化」もできるようになるのである
高橋祥子は「生物の行動は、個体として生き残って種として繁栄していくように遺伝子的に規定されています。」などと言っているが 実際には「繁栄」などと称して地球環境の許容量を超えて異常大量繁殖した結果 地球環境を食い尽くして絶滅する方向をも持ってしまっているのが現実であり 遺伝子頼みに本能習性のままに行動していても何も問題は解決することはない
遺伝的進化の結果として組み込まれている先天的欠陥を自覚し 錯覚によって促される非合理な行動を避けなければ 絶滅への方向性を避けることはできなくなる
「繁栄」などという耳当たりの良い言葉の「印象」に騙されてはならない
「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などと言われれば 多くの大衆は気分が良くなって信じ込みたくなるのかも知れないが それはただのデマに過ぎず 真実を歪める大衆迎合や洗脳に過ぎない
認知的不協和を解消するためには 気分の悪くなる話に耳を貸さなければ良い
その結果 文明が破綻しても それは私の責任の範疇ではない
私個人でそこまでは面倒を看きれないし
看るつもりもない
何が本当に正しい話なのかを 客観的に見分けられないバカが大半なら 嘘やデマを信じ込んで暴走破綻に陥るだけである
暴走破綻は「怖く」はない
洗脳というのは安心満足だから「怖く」はないのである
Ende;