地元では、「あげいしさん」と親しまれている明石寺を終えると、第44番札所
大宝寺までは、70キロ以上もの長丁場が待っている。
これは、足摺岬の金剛福寺への87キロ、室戸岬の最御崎寺への85キロに次ぐ
長さではあるが、距離以上に山間部の上り下りを繰り返すことから、四国遍路道
の中では、最も厳しい区間とも言われている。

今回の旅では、とてもそこまでは歩けそうにも無いので、取り敢えず伊予大洲
までの20キロを一応の終着点に、今日は上宇和の駅前に宿を取っている。
明石寺の山を下ると、卯の町の古い町並みが残る一角に降りて来る。

旧宇和島藩の在郷町として栄え、江戸中期から昭和初期頃までの白壁の
商家が建ち並ぶ一角は、電線も地中化され、古い時代にタイムスリップしたよう
な感覚に陥る。


高野長英が一時身を潜めたと伝えられている、当時の大庄屋鳥居家の見事な
欅造りの屋敷門が残っている。

江戸時代の蘭学者・二宮敬作の住居の跡や、そこを頼って訪れた高野長英が
身を隠した家の一部が保存されている。
二宮敬作は、シーボルトとその妻タキの間に生まれたイネを、日本で最初の
女医として育てたことでも知られている。

その他にも周囲には、明治の時代に建設された重文の開明学校や、宇和米
博物館として公開している、古い移築された小学校等の見どころも多い。
この小学校には長い廊下が残されていて、その廊下の雑巾がけ体験が出来る
と言う。叉、そのタイムを競う大会も毎年開催されているようだ。
卯の町の駅前には、雑巾がけの町の大きなアーチが建っている。(続)
にほんブログ村
大宝寺までは、70キロ以上もの長丁場が待っている。
これは、足摺岬の金剛福寺への87キロ、室戸岬の最御崎寺への85キロに次ぐ
長さではあるが、距離以上に山間部の上り下りを繰り返すことから、四国遍路道
の中では、最も厳しい区間とも言われている。

今回の旅では、とてもそこまでは歩けそうにも無いので、取り敢えず伊予大洲
までの20キロを一応の終着点に、今日は上宇和の駅前に宿を取っている。
明石寺の山を下ると、卯の町の古い町並みが残る一角に降りて来る。

旧宇和島藩の在郷町として栄え、江戸中期から昭和初期頃までの白壁の
商家が建ち並ぶ一角は、電線も地中化され、古い時代にタイムスリップしたよう
な感覚に陥る。


高野長英が一時身を潜めたと伝えられている、当時の大庄屋鳥居家の見事な
欅造りの屋敷門が残っている。

江戸時代の蘭学者・二宮敬作の住居の跡や、そこを頼って訪れた高野長英が
身を隠した家の一部が保存されている。
二宮敬作は、シーボルトとその妻タキの間に生まれたイネを、日本で最初の
女医として育てたことでも知られている。

その他にも周囲には、明治の時代に建設された重文の開明学校や、宇和米
博物館として公開している、古い移築された小学校等の見どころも多い。
この小学校には長い廊下が残されていて、その廊下の雑巾がけ体験が出来る
と言う。叉、そのタイムを競う大会も毎年開催されているようだ。
卯の町の駅前には、雑巾がけの町の大きなアーチが建っている。(続)

