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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

四国遍路 卯の町の古い町並み

2011-12-09 | Weblog
 地元では、「あげいしさん」と親しまれている明石寺を終えると、第44番札所
大宝寺までは、70キロ以上もの長丁場が待っている。
 これは、足摺岬の金剛福寺への87キロ、室戸岬の最御崎寺への85キロに次ぐ
長さではあるが、距離以上に山間部の上り下りを繰り返すことから、四国遍路道
の中では、最も厳しい区間とも言われている。



 今回の旅では、とてもそこまでは歩けそうにも無いので、取り敢えず伊予大洲
までの20キロを一応の終着点に、今日は上宇和の駅前に宿を取っている。

 明石寺の山を下ると、卯の町の古い町並みが残る一角に降りて来る。



 旧宇和島藩の在郷町として栄え、江戸中期から昭和初期頃までの白壁の
商家が建ち並ぶ一角は、電線も地中化され、古い時代にタイムスリップしたよう
な感覚に陥る。




 
 高野長英が一時身を潜めたと伝えられている、当時の大庄屋鳥居家の見事な
欅造りの屋敷門が残っている。



 江戸時代の蘭学者・二宮敬作の住居の跡や、そこを頼って訪れた高野長英が
身を隠した家の一部が保存されている。
 二宮敬作は、シーボルトとその妻タキの間に生まれたイネを、日本で最初の
女医として育てたことでも知られている。



 その他にも周囲には、明治の時代に建設された重文の開明学校や、宇和米
博物館として公開している、古い移築された小学校等の見どころも多い。
 この小学校には長い廊下が残されていて、その廊下の雑巾がけ体験が出来る
と言う。叉、そのタイムを競う大会も毎年開催されているようだ。
卯の町の駅前には、雑巾がけの町の大きなアーチが建っている。(続)


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