『昭和12年11月27日、もじゃもじゃ頭で、よれよれの着物、折り目のない袴に
身を包んだ「金田一耕助」が清一駅に降り立った。』
推理小説作家の横溝正史は、戦時末期の昭和20年4月、父の出身地に近い吉備
郡の真備町岡田で、その後の3年間に渡る疎開生活を送った。
収入も無く、不慣れな田舎生活に不安を抱えての移住である。
そんな一家を真備の人達は暖かく迎え入れたそうだ。日毎採れた野菜を差し入れ、
一升瓶を抱え疎開宅を訪れては都会から来た作家先生を囲んで夜ごと話の花を咲
かせたと言う。
横溝は戦後になると本格的推理小説を次々に発表した。
それは真備に疎開当時、村人達から聞いた地元に残る古い言い伝えや、実際に
起きた事件を聞かされた事により創作意欲が掻立てられたからと言われている。
真備を舞台にした「本陣殺人事件」では、名探偵・金田一耕助を誕生させた。
彼が降り立った清一駅こそが、この清音駅である。
駅を出ればその顔出しパネルも置かれていて今では町おこしのヒーローである。
またその後も瀬戸内の島を舞台にした「獄門島」、そして県北部で実際に起き
た猟奇殺人事件を題材にした「八つ墓村」等を発表した。
この地では小説の主人公・金田一や、その物語の登場人物に扮した人たちが
事件の舞台を練り歩くコスプレイベントも開催されている。
またここから川辺宿に至る「金田一耕助の小径」には、その疎開先の住宅(無
料公開中)や、物語ゆかりの舞台等が点在していて普段でも巡り歩くフアンも
多いと言い、今や聖地となっている。(続)
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