
『大前駅は無人駅。駅の周辺の自然環境も昔ながらのひなびた姿を
そのまま残し、駅前にある浴場嬬恋温泉も鹿沢連峰のふもとに包まれ
て文字通り素朴な里であるが、大前からは、上信越国境方面への観光
ルートが大きく開けている。』

昭和50年に刊行された「ローカル線風土記 終着駅」(毎日新聞社)
では終着駅大前をこのように紹介しているが、それから半世紀以上経
た今では、駅前の温泉は閉館していた。
更にここからは上信越国境方面に向かう手立てもなく、文字通りここは
行き止まりの終着駅である。
周辺には嬬恋温泉郷と呼ばれる小さな温泉地が点在しているが、それ
らは何れも鉄道の利便が良い万座・鹿沢口駅を玄関口としている。

折り返し時間の間に、持参した駅弁をホームで食べていると、研修
中だと言う女性車掌と目が合った。
そこで話を聞くと、「この駅まで来られるお客さんは殆どいません。
たまに見かけるのは鉄道好きの方でしょうか。
写真を撮ってすぐに折り返して行かれます」と言う。

そりゃそうだ。
折り返しの便を逃すと何もないところで、何時間も待つことになる。
この日も5名ほどの乗客は、思い思いに写真を撮ると、そのまま乗っ
てきた電車に再び乗り込んで、折り返していった。

終点の駅は、吾妻郡嬬恋村にある。
ヤマトタケルが東征中、足柄坂の神を蒜(ひる)で打ち殺し、平定した
東国を望ながら、亡くした妻を想い「アヅマハヤ(わが妻よ)」と三度
嘆いた神話から呼ばれるようになったのが、この「吾妻・東(あずま)」
である。

そんなホームの中程には、故事に因んだものなのか、駅名標と並んで
「道中安全」を願う仲良く寄り添う二体の道祖神が据えられていた。
(JR乗り潰しの旅・吾妻線 完)





