簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

大井川橋 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-05-08 | Weblog
 東の箱根や西の鈴鹿が山の難所なら、海上を舟で行く七里の渡し
(宮から桑名)は海の難所であり、この街道一の大河・大井川の川
越えは川の難所である。
これらは街道でも難儀を強いられる指折りの所といって良いだろう。

 特にここ大井川では、記録によると一ヶ月以上にも渡る川留めも珍
しいことではないらしく、何日もこの地に足止めをされる事になり、
旅籠の費えも馬鹿にならなかったようだ。





 そんな難儀を極めた「越すに越されぬ大井川」の歴史は、江戸幕府
が終焉を迎え、明治維新となると、事情は一変した。
橋を架けることを厳しく制限していた江戸幕府による川越制度が廃止
になり、通船が許されるのは明治3年のことで、その翌年には早くも
渡し船の運行が始まっている。
その後仮橋ながら木橋が架かるのはそれから数年待つことになるが、
そんな橋も度重なる水害で流されることが度々あったという。





 「♪~♪ 春咲く花の藤枝も 過ぎて島田の大井川 
昔は人を肩に乗せ 渡りし話も夢のあと ♪~♪」(鉄道唱歌)

 それでも旧東海道筋の川に橋が架かり、鉄道が開通し、明治22年に
島田に鉄道の駅が開業し、人々の利便性は格段に向上することになる。
当時流行った鉄道唱歌は、大井川や島田の情景をこう歌っていた。

 昭和3年には、5年の歳月をかけ、当時の技術力を結集して橋が架け
られた。橋台2基、橋脚16基により支えられる、旧国道1号線に架かる
永代橋(トラスト橋)・大井川橋で、その長さは1026.4mである。





 完成により川越人足の手を煩わせることも無く、今では安全にしか
も無料で渡ることができる。昔を思えばなんともありがたいものだ。
今尚当時の姿を残す橋は、土木学会の土木遺産の認定を受けている。
(東海道歩き旅・遠江の国 完)

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