簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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笠寺観音 (東海道歩き旅・尾張の国)

2022-07-01 | Weblog
 街道はやがて笠寺の門前町に入って行く。
ここまで来れば、宮の宿まではあと一里余りを残す事となる。
この辺りを古くは笠寺村と言い、上り下り立場(旅人が休憩する場所)
が有ったところだ。



 「笠寺の一里塚」から400m程行くと街道の先に緑濃い森の中に建つ、
山門(仁王門)が見えてくる。街道を折れ池に架かる石の太鼓橋を渡る。
余り広くは無い池には亀が沢山飼われていて(?・棲んでいて)、社務
所では餌が販売されている。池の水を汚さないための措置だと言う。



 仁王門を潜ると正面が本堂である。
江戸時代に建てられたもので、市の文化財の指定を受けている。
笠寺は、正式には「天林山笠覆(りゅうふく)寺」という真言宗智山派
のお寺で、天平8(736)年の開基という古刹は、小松寺と称していた。
寺は一時荒廃するが、紆余曲折が有り鎌倉時代には諸堂や塔が建立され、
中興の時を迎えている。



 その後寺が更に繁栄をするきっかけとなったのは、名古屋城を築城し
た徳川家康が、城を中心にして鬼門とされる方角にある荒子観音(中川
区)、甚目寺観音(あま市)、竜泉寺観音(守山区)と笠寺観音(南区)
を鎮護寺と定めた事による。



 これが所謂「尾張四観音」である。
名古屋城から見て、その年の神様がいるとされる恵方に一番近い寺にお
参りすると御利益があるとされている。その為、節分の恵方に当たる年
の豆まきは、特に賑やかに盛大に開催されるという。



 また、名古屋には「なごや七福神巡り」というのも有る。
興正寺の寿老人、大須観音の布袋尊、天辯寺の辯才天等で、笠寺はその
内の恵比寿を祀る寺でもある。(続)





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