簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

古い道標 (東海道歩き旅・尾張の国)

2022-07-11 | Weblog


 裁断橋を越えると旧東海道のその先は、行き当たりでT字路だ。
目の前の南北に流れる国道247号線に遮られ、旧道が消滅しているのだ。
ここは宮宿の伝馬町から左折して神戸町への通りで、その先の七里の渡
しの湊を目指す中心的な場所であったが、今その面影は全く何もない。



 そのT字路に寛政2(1790)年に建てられた、東海道と各方面に向かう
追分けを示す道標が残されている。
東は今来た東海道で江戸に向かい、南に取れば「京いせ七里の渡し」で、
北に向かえば、「なごやきそ道」「みの道」「さやつしま道」である。



 尾張名古屋城下に向かう美濃街道は、名古屋の先岐阜県の垂井宿まで
行けばそこから中山道が分かれている。
木曽を抜け江戸に向かうか、京迄は関ヶ原を抜けるルートが出来ていた。
 佐屋・津島道はここから暫く北上し途中金山辺りから西に進路を変え、
佐屋津島を経由して桑名に向かうルートで、七里の渡しの舟を避けた旅人
が陸路を辿る道である。



 又その地には「ほうろく地蔵」がある。
嘗てこの地には「上知我麻(かみちかま)神社」があった。
桶狭間の合戦の折進軍中の信長は、熱田神宮に戦勝祈願をし、桶狭間に
向けて通った道で、ここで東方に上がる狼煙を確認した場所と言う。



 今この道は、信長の天下布武に向け大きく飛躍した武運にあやかり、
パワースポットと史跡を巡る「信長攻略 人生大逆転街道」として道
標の整備が進められている。
ルートは、揚羽道(出世勝運ルート)、木瓜道(大願豪運ルート)、
永楽道(恋愛勝運ルート)の三つがある。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする