東海道は伊勢の国・亀山宿に入ってきた。
通りの建物には、市民グループによる屋号看板が下げられている。
本町に入れば宿内となり、大きく左にカーブしながら宿場町の中心へと
入り、それは途中の江戸口門を経て、その先の京口門まで続いていた。
「熊褒野神社」二の鳥居の先の茶屋町に入ると、「露心庵跡」がある。
天正年間この付近で行われた合戦の戦死者を弔う小さなお堂があった場
所だ。街道は東台町から左にカーブし、突き当った辺りが江戸口門跡で、
街道はここを右に曲がる。
その先で左に折れると東町の道筋で、それは城下町らしく曲がりくねっ
た道である。加えて緩やかに上り下る細い道の両側には、幾らか古い家並
みも残され、それらしい雰囲気が感じられる。
しかし主要な施設は何も現存せず、東町には本陣、脇本陣の跡があり、
大手門の辺りに高札場跡が、西町にある西町問屋場跡も案内板のみだ。
そんな中特筆すべきは、旧舘(たち)家住宅で、元は枡屋という呉服
商の建物である。母屋は明治6年に造られた「出桁造り(梁を建物から
突きだしそれで桁を受ける構造)」と呼ばれる形式だ。
宿を代表する商家建物と言われ、休日に限り内部は無料で公開されている。
東海道46番目の亀山宿は、人口1,549人、家数567軒、本陣と脇本陣が
各1軒、旅籠21軒とあり、規模的には中程度である。
「城下の市中賑わい無し」と言われた様に、宿場としての賑わいは左程
無かったようだ。その辺の事情は、先の石薬師や庄野宿と同じであるが、
この宿場ならではの特殊な事情も有ったらしい。(続)
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