東の入口、伊勢別街道の追分けから先の旧道の両側は、電柱も地中化
され、電線の無いすっきりと見通せる空の下に、古の面影を色濃く残し
た見事で見応えの有る町並の景観が延びている。
これまでお江戸日本橋から街道を歩き、数々の宿場町や間の宿の名残を
見てきたが、この町並はその中でも最たるものだ。
とは言え多分に新しく統一感を持たせて、造り込まれた感は否めない。
テーマパーク的な通り、或は映画のオープンセットの様な趣ではあるが、
それでも見どころも多く、ここでは素直に江戸時代にタイムスリップし、
往時に還ったつもりで、時間をかけてゆっくりと町並を楽しみたい。
東海道47番目の宿場・関の人口は二千人程で、家数は632軒、本陣と
脇本陣が各2軒、旅籠が42軒あった。
それらが東西2㎞に渡って連なり、東海道でも屈指の賑やかな町並が形
成されていた。
宿場では、苦竹を削り打ち潰して火縄にしたものが、土産として売ら
れていたという。時代による違いはあるが宿賃は概ね200文(凡890円)、
人足一人56文(凡200円)、飯盛り女は500文(凡2200円)が相場であっ
たらしい。
宿は大きく分けて四つの町並から構成されている。
東の入口に当たるのが「木崎」で、比較的平入り平屋の低い家並みが続
いている。それに続くのが、宿場の中心とも言える「中町」で、ここに
は大規模な町屋が多い。
西に続くのが「新所」で、大半が小規模な町屋が連なっている。
町の広がりは、街道筋の北側にも及んでいる。
「北裏」と呼ばれる地域で、ここには延命寺、瑞光寺、浄安寺、福蔵寺
等、1社10ケ寺が甍を構え、寺町を構成している。(続)
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