少し上りながら街道を300m程進むと、関宿の東の入口で、伊勢別街
道への東の追分けがある。左手に木製の伊勢神宮一の鳥居が立ち、ここ
には何本もの道標や、常夜灯(享保十七年の銘入り)が残り、鳥居の横
手には一里塚跡の碑などが集められている。
鳥居は、元々は伊勢神宮内宮の宇治橋の南詰に建てられていたものだ。
20年に一度行なわれる式年遷宮祭では、鳥居も新調されるため、式が終
わるとこれまで建てられていた鳥居は解体され、それを移築しここに建
て替えると言う。
お伊勢参りの旅人は、関東からなら四日市宿を出て、日永の追分けか
ら伊勢路に入る。
関西からの参拝はここから伊勢に向かい、伊勢山田・外宮まで十五里の
参宮道(伊勢別街道)を歩く事になる。
また東海道を行き交う人々は、ここから神宮を遙拝した。
当時庶民の伊勢参りは特別の存在で、憧れ以外の何ものでも無かった。
因みに伊勢参宮道は関を出ると次の宿場・楠原へは一里(3.9㎞)で、
その先椋本までも一里、窪田まで二里(7.9㎞)、そこから一里十八丁
(5.9㎞)で津に到る。津からは二里(7.9㎞)で雲出、そこから二里で
ようやく松阪に到り、四里八丁(16.5㎞)の長丁場を経て小俣へ、更に
一里半(5.9㎞)でようやく門前町の山田に到着する。
昔の旅人なら三泊四日程度の行程である。
ここからは、坂下宿を経て、鈴鹿峠に到る街道沿いに造られた、関宿
の古い町並が、凡そ1.8㎞に渡って続いている。
多くは江戸から明治にかけて造られた建物で、重要建造物保存地区に指
定された町並を見ながら西進する。(続)
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