簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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僅かに残る旧道(東海道歩き旅・近江の国)

2023-11-13 | Weblog
 鈴鹿峠を下る旧東海道は、国道1号線の開通と同時にほぼ消滅した。
山は削り谷は埋められ、均された道路は片側2車線の広々としたものだ。
嘗ての峠道の厳しさは失われ、車は快適になったが、国道歩きには往時
の姿を忍ぶ術もない。



 それでも「十楽寺」から500m程下った所に、僅かばかり旧道が残さ
れていた。横断歩道も無いので、車の通行の隙を縫って向こう側に渡り、
その旧道に入り込む。

 暫く行くと左側に、立派な和風建物のトイレが整備され、小さな公園
風の緑地があった。その前の小高い土盛りの上には「鈴鹿馬子唄碑」が
立ち、脇の植栽の中に「東海道鈴鹿 山中碑」が、更にその奥には石灯
籠が建っている。



 立場か何か、謂れのある場所かと思ったが、説明は無く真相は分から
ないが、園内にはベンチも置かれ、木陰も出来ているので、休憩するに
は丁度良い。「歴史の道東海道」整備の一環で設けられた施設のようだ。



 東海道には整備され、充実した施設を有し、積極的に観光客を誘致し、
多くの人々で賑わう旧宿場町が有った。
反面、全くと言って良いほど何も無く、観光客に阿ることも無く、極め
て平凡で平穏な日常だけを繰り返す宿場も有った。



 無いところには、本当に何も無かった。これは道中においても同じだ。
気軽に休め、トイレも利用できる施設も無く、コンビニやスーパーさえも
無い。特にトイレ等は、どうしたものかと、困ったことは度々有った。
それだけに、こうした施設は大変有り難い。



 暫くここでトイレ休憩をし、再び歩き始める。
すると途中右手に地蔵堂があり、嘉永6(1853年)建立の献灯が堂の前に
建っていた。脚柱には、太く力強く「地蔵大菩薩」と刻まれている。(続)





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