簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

寺田屋旅館 (東海道五十七次歩き旅・山城国)

2025-01-15 | Weblog


 竜馬通り商店街の通りを抜けると、豪川が流れ通りには逢来橋が架か
っていて、その周辺の水辺は散歩道になっている。
 その手前の南浜通りを右に曲がると、寺田屋事件で有名な「寺田屋」
がある。嘗ての寺田屋は舟宿で当時この前は三十石船の発着点だった。



 坂本龍馬の定宿として知られ、後に妻となるお龍との恋の宿としても
有名であったが、文久2(1862)年に、「寺田屋騒動」が起きる。
 薩摩藩の急進派、有馬新七以下35名が、関白九条尚忠と京都所司代の
殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわすが乱闘となり、
有馬以下9名が死亡した事件だ。



 また慶応2(1866)年には、投宿中の坂本龍馬が伏見奉行所の捕方に
襲撃された。異変を察知した入浴中のお龍は、裸のまま階段を駆け上が
り龍馬に危急を知らせたという。

 ピストルで応戦し怪我をしながらも難を逃れ、裏階段から庭に出て、
竜馬通り商店街を抜けて逃げたと言われている。
船宿・寺田屋はその二年後、鳥羽・伏見の戦いで焼失した。



 その跡地は、庭園として整備され、坂本龍馬の像、薩摩九烈士遺蹟表
や維新当時の井戸など、幕末の動乱を現在に伝える史跡が残されている。

 薩摩九烈士遺蹟表の碑文には、この石碑は明治27(1894)年に寺田
屋址に建てたとの表記が有るらしく、これにより現在みられる寺田屋の
建物が再建されたものと断定された。



 明治期に、かつての「寺田屋」を再現して建てられた、木造瓦葺平入
り二階建て、典型的な旅籠造りの建物は往時の姿を良く留めている。
 現在では内部は旅館に改装され宿泊ができるが、昼間の時間帯は有料
で一部を見学することもできる。(続)





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