簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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横田の渡し(東海道歩き旅・近江の国)

2024-02-12 | Weblog
 その先で県道を越えると、野洲川の堤防に突き当る。
そこが「東海道十三渡し」の一つ、「横田の渡し場」跡である。
伊勢参宮や東国に向かう旅人に取っては通り道で、このため古くから
交通の要地とされたところである。



 この辺りの野洲川は杣川や泉川との合流地点で、川岸まで山が迫り、
川幅が狭くなっているため水流も激しい。
流れの中には巨岩も見え、道中では川の難所に数えられていた。



 古くは室町時代の寛正2(1461)年には、「横田河橋」の名が見え、
京都の寺により橋賃が徴収されていた。
 江戸時代になると、東海道の要衝として幕府道中奉行の支配下に置か
れ、渡し舟や渡し賃の制度が整えられた。

 3月から9月の増水期は四艘で船渡しを行ない、地元の泉村が公役を
請け負って賃銭の徴収を行ない、それ以外の渇水期に限り、土橋を架け
ての通行を許していた。



 明治に入ると、対岸の三雲とを結ぶ長大な板橋が架けられた。
昭和に入ると、これより少し下流に橋が移され、更に昭和27(1951)
年の国道1号線の開通で、現在の地に横田橋が開通した。



 渡し場の跡地は、ポケットパークに成っていてそこに立派な常夜灯が
建っている。文政5(1822)年、地元の村々を初め遠く京・大阪人々を
含めた万人講により建設されたもので、基壇には多くの寄進者の名が刻
まれている。高さは10.5mを越え、笠だけでも2.7m四方あり、道中でも
最大級のものと言われている。



 JR草津線で貴生川方面に向かう時、三雲駅を過ぎるとすぐに左の車
窓、線路脇に大きな年季の入った常夜灯が見える。
これが横田の渡し対岸の三雲側のもので、車窓からは一瞬の間、見るこ
とが出来る。(続)





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コメント
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