簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

草津宿(東海道歩き旅・近江の国)

2024-04-15 | Weblog

 旧東海道は草津川渡り、堤防下の道に入り、東海道52番目草津の宿
場町に入ってきた。旧道らしい趣のある通りで、左程古くはなさそう
だが、平入りの格子のある町屋等が幾らか見受けられる。



 旧道沿いの家跡や家屋の玄関先には嘗ての家号「茶碗屋 茶碗屋民
蔵」「博労 うおヤ 弥七」「通り水屋 平井屋孫八」「油屋 油屋
留八」「旅籠 昆布屋徳右衛門」「材木商 木屋忠蔵」などと書かれ
た札が掲げられているが、遺構は何も見ることが出来ない。



 東海道と中山道の追分けでもある草津宿は、「客舎、茶店多し」と言
われていた。先程の草津川入口が東の見附でその先、東横町、西横町1丁
目~6丁目、宮町と続き、西方の矢倉村との境の西の見附までの間、11町
53間半(凡そ1.3㎞)に渡る町並だ。
宿場としては、可成りの規模を誇っていたらしい。



 宿内の人口は2350人を越えている。
五百文と言われる「遊女が多い」らしいが、男女はほぼ同じ数である。
家は586軒、本陣と脇本陣が各々二軒有り、旅籠の数は72軒を数えてい
るから東海道の宿場の中では、可成り多い方だ。



 現在の草津市は滋賀県の南西部にあって、県庁所在地の大津市に次ぐ、
人口15万人余を有する県下第二の都市である。
 嘗ては東海道と中山道の追分けが有り、交通の要衝であった。
近年ではJR琵琶湖線(東海道線)や草津線等の鉄道が通り、国道1号を
始め名神高速道路や新名神高速道路等、日本を東西に結ぶ陸上交通網を
有している。



 京都や大阪へは、鉄道の利便性が高く、草津駅や南草津駅の利用者は、
大津駅を遙かに凌いでいる。
昨今駅を中心に、マンションなどの建設も進み、京阪神地区のベッドタ
ウンとしてめざましい発展を遂げている。(続)





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