京に向う東海道は「草津追分け」を左に曲がる。
そこは会社・事務所、商店や食事処に、アパートやマンションが渾然
と建ち並ぶ繁華な通りである。
余広くない道ながら多くの車が行き交い、地元の人のみならず観光
と思える人の群れも見られる賑やかな道だ。
東海道の旧宿場町というよりは、華やかな商店街筋の様相である。
「近江路や 秋の草つは なのみして
花咲くのべぞ 何処ともなき 覧富士記」
公民館前に、「尭孝(ぎょうこう)法師歌碑」が立っている。
「将軍のお供で、富士を見に行く途中、秋の近江路を草津まで来たが、
草津とは名ばかり、草花が美しい野辺を想像していただけに心寂しい
思いがする」との意味らしい。
斜め先に「田中中七左衛門本陣」、別名「木屋本陣」(当主が材木商
を営んでいた)が残り、草津宿本陣として有料で一般公開されている。
敷地は4727平方メートルという広大なもので、建物面積1706平方メー
トル、部屋数39という。
昔のままの遺構が残り、現存する本陣としては最大クラスと言われて
いる。表門や御除門、式台付きの玄関を初め、書院造りの内部には上段
の間、各種の広間や湯殿が残されているらしい。
当時の貴重な資料も多数あり、その中の大福帳には吉良上野介や浅野
内匠頭、皇女和宮や土方歳三、徳川慶喜、シーボルト等の有名人の名が
見られると言う。
本陣は寛永12(1635)年に創建されたが後に焼失した。
その後、膳所(ぜぜ)藩主・本多家の「瓦ヶ浜(かわらがはま)御殿」
を拝領し移築したものといわれている。(続)
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