簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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草津宿の追分け(東海道歩き旅・近江の国)

2024-04-17 | Weblog

 東の見附から500m程、ゆるく下っていくとT字路に行きあたる。
東海道はここを直角に左に曲り東に向かうが、右手に取り北方向に向か
えば中山道に入りその起点である。
 
 江戸日本橋まで、中山道経由で128里30町7間(約505.9㎞)、東海道
経由なら118里3町(約463.7㎞)の草津の追分けである。



 昔は京から東海道を下り草津宿に入ると、正面の草津川で行き止まる。
中山道を行く旅人は、ここで川の土手を登り、板橋で川を越え、「京発
守山泊り」と言われた次の宿場・守山を目指していた。

 川の土手の下に木製の道標が立っていて、「草津宿高札場」と書かれ
ている。ここは嘗ての追分けの高札場であり、高札が復元されている。



 今日T字路の右に見えるトンネルは、「草津川トンネル」である。
「中山道筋草津川ずい道」として、工事費7368円14銭9厘で着工され、
翌年の3月、僅か四か月という突貫工事の末完成した。
 アーチ式の煉瓦両側石積み、長さ43.6m、幅4.5mの隧道で、明治18
(1886)年12月の事である。



 天井川による洪水災害の防止をはかる治水工事と共に、中山道筋の川
越えルートを解消するため掘られたトンネルだ。
是により中山道の川越は廃止され、東海道と中山道が平面的に分岐する
追分けが完成した。



 トンネル口の脇、旧草津川の土手下には、古い道標が残されている。
「右 東海道いせみち」「左 中山道美のじ」と墨書された追分の道
標で、高さは一丈四尺七寸(凡そ4.45m)もある火袋付きの大きな常
夜灯だ。



 これは東の見附・横町で見た道標と同時期の、文化13(1816)年に
建立されたものだ。
 江戸や大阪を始め、全国の飛脚仲間、問屋筋の人々の寄進によるもの
と言い、市指定の有形民俗文化財となっている。(続)





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