簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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食べたまま、書いてます。

逢坂の名物(東海道歩き旅・近江の国)

2024-07-24 | Weblog


 「逢坂」とは、「人が坂に出会う」と言う意味らしい。
「四百軒ばかりの長き町筋をなす」この峠の要衝は、難所であるにも拘
わらず多くの人が行き交い、多くの店が建ち並び「大津絵、算盤、縫い
針」等が名物として知られていた。



 貝原益軒は、「逢坂山 この辺の町に針を売る所多し、とらやを良し
とす」と書いているそうだ。この大谷の虎屋針は、慶長11(1606)年
の創業で、良質の針として知られていた。ほかには大谷みすや針、中国
から伝来の舶来針を売り始めた追分池川針の大黒屋などの名が知られて
いたという。



 逢坂関址の碑から旧道を200m程歩いて、京阪電鉄京津線の大谷駅
前に出て、その先の横断歩道橋で国道1号線を渡り、歩道に下りて西
進する
 交通の要衝らしく、京阪線と併走する片側一車線の国道には、トラ
ックや乗用車が切れ目無く、引っ切り無しに行き交っている。
国道のキロポストは、487㎞を示していた。



 暫く行くと、「大津算盤の始祖 片岡庄兵衛」という碑も立っている。
庄兵衛は、長崎奉行に随行して長崎に行き、同地で明人から算盤の見本
と使い方を習い、帰京後に日本人に適した形に改良して、慶長17(1612)
年に算盤の製造を始めたという。
昭和の初めまで同家の子孫がここに住んでいたと書かれている。



 今日「大津そろばん」は消滅したが、現在の産地は「播州そろばん」
で知られる兵庫県小野市が凡80%のシェアを占め、残りが島根県出雲横
田の「雲州そろばん」らしい。
 電卓やコンピュータの出現で、算盤の出番は極めて少なくなった。
今日では教育の一環として算盤練習を取り入れている所もあるらしい。(続)





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