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墨染の町を抜ける通りは、左程広くはないが、行交う車輌、通行人は
結構多く繁華な道である。道路に沿って見られる街路灯は、地域の安心
安全、繁栄のために墨染めショッピング街が設置したものという。
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そんな通りの第二琵琶湖疎水に架かる墨染橋を渡って100m程行くと、
左に日蓮宗の「深草山墨染寺(しんそうざん・ぼくせんじ)」がある。
山門か大きく開放されていたので境内に入ってみた。
本堂の前に説明板が掲げられている。
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創建は貞観16 (874) 年に天皇の勅願により、摂政・藤原良房が娘・
明子の産んだ惟仁親王(清和天皇)加護の為建立した貞観寺が前身と言う。
その後次第に衰退したが、安土桃山時代の天正年間(16世紀後半)に、
大僧都・日秀上人が豊臣秀吉の知遇を得、又秀吉公の姉・瑞龍尼の篤い
帰依などで、寺領千石の土地寄進を受けた。これにより旧寺を「法華宗・
墨染櫻寺(ぼくせんおうじ)」として改め建立した。
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境内には、墨染(すみぞめ)の地名の由来となった「墨染桜(すみぞ
めざくら)」が植えられている。
この桜には、平安時代の歌人である上野峯雄(かんつけのみねお)が、
藤原基経の死を悼んで、「深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨
染に咲け」と和歌を詠んだところ、桜の花が墨染色に染まったとの言い
伝えが残されている。
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墨染桜の花は小さく、白色の単弁で薄墨のようなところから、この名
が生まれたと言う。寺の本堂に「桜寺」の額が掲げられ再興を果たした
事から、今では地域の人々から「桜寺」の名で呼ばれ、開運厄除けの毘
沙門天、安産子育ての鬼子母神信仰と供に愛され親しまれているという。(続)
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