簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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中書島辺り(東海道五十七次歩き旅・山城国)

2025-01-22 | Weblog
 「伏見宿」から、五十五次目の「淀宿」は、一里一四町(5.4㎞)と
極めて近い。順調なら、1時間半もかからぬ内に到着できるはずだ。
寺田屋を見て後、竹田街道に出て左折、その先で京橋を渡り、伏見み
なと公園を見て直進する。



 橋から250mも歩けば東浜南町に入り、左カーブで京阪本線の中書島
駅に向かう道とは分かれ、東海道はそこを直進し先の三叉路を右折する。
ここを真っ直ぐに進めば京阪本線の中書島駅を左に見て、線路を越える。
その先は伏見港公園である。



 桃山期頃までのこの辺りは、元々は宇治川の分流に囲まれた湿地帯で、
その川の中に中州の離れ小島がありそれが中書島と呼ばれていたらしい。
現在駅のある葭島矢倉町、北浜町、南浜町、東柳町等を含めた一帯をこう
呼ぶが、正式な地名にはなっていない。戦前まで遊郭があった場所である。



 文禄年間、中務少輔に任官していた脇坂安治がこの場所に屋敷を建て
住んだ。中務少輔の唐名が「中書」であったことから、脇坂は「中書
(ちゅうじょう)さま」と呼ばれ、そこから「中書島」の地名が生まれ
たといわれている。



 東浜南町の三叉路を右折し、300m程行くと左手に金井戸神社がある。
その先の濠川に架かる肥後橋を渡り、直ぐに左折すると、川に沿った木
陰の道となる。
右側には旧道らしく、趣の有る建物を幾らか見ることが出来る。



 左側の濠川の向こう側には「伏見港公園」が広がっている。
公園には「三十石船」をイメージしたベンチがあり、常夜燈も立ち、遊
歩道であろうか橋も架けられている。川では観光船が、長閑にエンジン
音を響かせながら行き来している。(続)





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