簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

清洲公園(東海道歩き旅・尾張の国)

2022-11-02 | Weblog


 五条川に架かる朱い欄干の大手橋の少し先を、新幹線が轟音を残して
走り去っていく。
東海道本線を、長い編成の列車や貨物列車が、頻繁に行き交っている。
日本の大動脈は、嘗ての「天下布武」の拠点淸洲城を、「本丸ゾーン」と
「清洲古城跡公園」、「清須公園」の三カ所に完全に分断している。



 「本丸ゾーン」と五条川を挟んで向かい合うのが「清洲古城跡公園」で、
JRの線路を潜った先が、大正10年に開園した「清洲公園」である。
 公園内には信長公を祀る小社があり、幕末の頃建てられた「清洲城跡顕
彰碑」2基も残されている。



 芝生広場のある緑豊かな公園で、その中心には地元の篤志家から寄付
された、27才の桶狭間出陣の勇姿を模した信長公像が建てられている。
 平成に入り地元の企業から濃姫像が寄付され、清洲城内に建てられて
いたが、信長一人では寂しかろうと、清須市誕生7周年を記念して向か
い合うこの位置に移された。



 「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり・・・」

 信長は、自身が好む幸若舞「敦盛」の一説を吟じ、舞い、僅か六騎の
股肱の臣を従えただけで、熱田神宮に向かいそこで軍を整え、戦勝を祈
願、桶狭間の合戦に臨んだという。
信長の天下布武の礎となった城らしく、その石碑も建てられている。



 家康による「清洲越し」で、多くの建物が失われた城跡には、一抹の寂
しさが漂っている。そんな地で、五條川の河川工事の折に石垣の遺構が見
付かり、「清須ふるさとのやかた」の横に復元展示される事になったのは、
僅かな救いである。



 今日では公園から五条川河畔の一帯は、桜の名所となり、春には多くの
花見客で賑わう。
又信長にあやかり、立身出世、必勝祈願、夫婦の絆の「パワースポット」
として、公園は多くの市民に愛されているという。(続)



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