国道を離れ右の旧道へと入り込むと、片山神社の大きな石柱や、嘗て
の宿場町・古町跡等を見る辺りでは、心なし道の勾配も増してきた。
この先は片山神社への参道を経て、いよいよ「八丁二十七曲がり」と言
われた西の難所、鈴鹿峠越えの道が待っている。
杉林の細道となった旧街道は、山道らしい装いに変わってきた。
日差しが遮られ、落ち葉の積み重なった道には、黒い影がまだら模様を
描いている。国道を行き交う車の喧噪もここまでは届かず、辺りは静寂
に包まれている。
聞こえるのは、鈴鹿川のせせらぎ、時折の小鳥の鳴き声と、落ち枝を
踏み折る微かな靴音のみだ。
宿場を出てから車どころか、誰一人と会ってはいない。
やがて旧道は、片山神社の鳥居前に出る。
説明によると、延喜式内社で、元は三子山をご神体として祭祀されてい
たが、火災により当所に遷されたとある。
昔は「鈴鹿権現」とも「鈴鹿明神」とも呼ばれていた。
鳥居の前に参拝の夫婦連れがいて、久しぶりに見る人の姿である。
話しを聞くと「車で参拝にきた」と言う。
「東海道を歩いていて、これから峠に向かう・・」と返すと大層驚いた
様子で、「私達は歩けない」と言い、「峠まで乗せましょうか?」と親
切に言ってくれた。
「歩きなので・・・」と丁重にお断りすると、「そうだよね、かえって
迷惑だよね」と苦笑する。
そんな夫婦に手を振って分かれ、珍しい「鈴鹿流薙刀術発祥の地碑」や、
病気の母親を助けた孝行息子を讃えた「孝子万吉顕彰の碑」を見ながら、
峠に向かう急坂に向け足を踏み出した。(続)
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