簾 満月「バスの助手席」

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三条大橋(東海道歩き旅・山城の国)

2024-10-28 | Weblog
 「橋の長さ五十七間弐寸、幅四間弐尺、
本邦にて橋杭を石にて作る此の橋を初めとす」

 

 三条大橋が歴史に登場するのは、室町時代前期の応永30(1423)年と
言われているが、これをもって最初に架けられたかは、定かには分から
ないらしい。
 天正18(1590)年に、豊臣秀吉の命により、増田長盛を奉行として石
柱の橋に改修され、現在のような木製の高欄に擬宝珠(ぎぼし)が設置
された本格的な橋が出現した。



 江戸時代の慶長6(1601年)に幕府は、東海道五十三次の起終点とし
て重要視し、直轄の「公儀橋」に位置付けた。
 幕府管理の17世紀以降、幕末にかけての二百数十年間では、20回を越
える洪水被害を受け、公費での復旧・改修工事が35回行われて来た。



 明治の廃藩置県により、橋は幕府から京都府にその管理権が移管され
(現在は市の管理)、明治13(1880)年12月には府によって架け替えが
行なわれている。
 橋の永久化が行なわれるのは、大正元(1912)年の事だ。国道のルー
トに入り、道の拡幅を機に鉄骨コンクリート造り、幅員を14.5mに広げて
永代橋に架け替えられた。



 昭和25(1950)年の改造では車道2車線、歩道付のコンクリート製と
なり、長さは74m、幅も更に広げられ15.5mとなり、一家に三世代の夫
婦という珍しい家族が渡り初めをした。
 現在の木製高欄は,昭和49(1974)年3月に、台湾製の檜を使って造
り変えられたが、紫銅で作られた14個の擬宝珠は当時のものがそのまま
使われている。



 そして今、木製の高欄を鞍馬山の檜に更新する工事が進んでいる。
美しい風景や木の文化を次世代に継承していくため、ふるさと納税を通
じた寄付による「橋の補修・修景」事業である。(続)





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