簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

富田の焼き蛤(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-02-08 | Weblog
 街道筋に「富田の焼き蛤」と言う説明板が掲げられていた。
それによると元々「焼き蛤」は、先ほど通り過ぎてきた小向(おぶけ)
から、ここ富田にかけての郷土料理である。
 明治維新の折にも明治天皇がこの地の酒造家・広瀬家で暫し休憩され、
ご賞味されたそうだ。





 また「東海道名所図会」など、当時の道中記(案内書)でも、桑名の
名物としては取り上げてはいなかったが、富田が桑名藩領であったこと
から、いつしか桑名名物として定着した。
「焼き蛤」というと、反射的に桑名を思い浮かべるがどうやらそれは間
違いで、この辺りが本場らしい。





 「♪桑名の殿さん 時雨で 茶々漬け・・・♪」
という唄があるくらいだから、昔も今も桑名はどちらかと言えば加工さ
れた佃煮の、「時雨蛤」が中心のようだ。

 一方『富田の焼き蛤』を詠んだ「蛤の焼かれて鳴くやホトトギス」の
有名な句もある。江戸時代に芭蕉門下十哲の一人、宝井其角が中町の旅
籠・尾張屋の店先で詠んだ句である。

 その当時の句碑は、今も富田浜に記念碑として残されているそうだ。
あの弥次さん喜多さんも「めいぶつの焼き蛤に酒酌み交わし」ている。





 富田の町中を南に向けてすすむと、茂福町のT字路に、「新設用水道
碑」が建っていた。明治の中頃、耕地整理事業による十四川の改修で、
町内に流れる水路がなくなり、田に水が入らなくなった対応で暗渠によ
る水路が造られ、これで生活用水、防火用水として賄った。

 後年に成り国道1号線の開通や、伊勢湾台風時の水害などで暗渠は土
砂に埋まり、壊滅した歴史を伝える碑らしい。
その横には、何か曰くありげな力石が置かれている。(続)




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