簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

間の宿・富田(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-02-06 | Weblog
 東芝の工場を過ぎると左側に朝日町役場があり、前に浄土真宗本願寺
派・浄泉坊がある。徳川家と所縁が有り、葵のご紋の使用が許された寺
で、参勤交代の大名もこの門前では駕籠から降り、黙礼を捧げ通り過ぎ
たとの言い伝えが残る。



 JR関西本線の朝日駅前を右に見て、柿の集落を抜ける。
国道1号北勢バイパスを越え、朝明川の袂の常夜灯を見て、朝明橋を渡
り、富田の町中に入ってきたがその先も、旧道らしい緩やかな曲がりを
繰返しながら町中を抜けている。



 桑名から四日市までは、三里八丁(約12.7km)の長丁場だ。
そのため、中ほどにある富田に間の宿が設けられた。
近鉄線とJR線が交差する辺りが今日の町の中心で、この辺りに開かれ
たようだ。



 富田は四日市市の北部にある地区で、古くは三重郡富田町といった。
昭和16(1941)年、四日市市に編入され、町制は廃止になっている。
地区の東側は伊勢湾に面し、嘗てこの辺りの富州原、富田浜、霞が浜、
更に南に下ると千代崎海岸があり一帯は、白砂青松遠浅の絶好の海水
浴場が続いていた。



 千代崎海岸には「伊勢湾水練学校」が有り、小学生高学年の夏休み、
近鉄電車に乗って名古屋から通った懐かしい地である。

 「♪♪鈴鹿の連峰 背に受けて 
        千代崎が浜に集いつつ 水泳錬磨の健児らが~♪♪」

 白の六尺褌を締め、帽子を被り、灼熱地獄の砂浜で、後ろ手に、足を
広げ、・・・記憶に間違いが無ければ、こんな校歌を毎朝歌っていた。



 あれから数十年の時を得たが、これらの海岸を訪れる機会は残念ながら
皆無で有った。
地図を見ると富田や四日市沖の開発は顕著で、多くは埋め立てが行なわれ、
企業が立地しコンビナートが形成されているようだ。
あの美しい海岸は、どれだけ残されているのであろうか・・・。(続)





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