簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

行人坂 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-10-28 | Weblog
 江戸は文化年間、日向の国、佐土原の修験者(山伏)が、回国者と
して旅立った。
名は野田成亮(しげすけ)、修験者としての院号を泉光院と言う。
回国とは、広い範囲を旅することを言い、長い時間をかけて国から国
(この場合律令制度による国内の諸国)を回る旅人を回国者と言った。



 回国の旅は6年2ヶ月にも及び、その間に歩いた距離は、2万㎞を遙
かに超すと言う。
托鉢旅で、夜は善根宿で泊まりを重ね、ほぼほぼ無銭旅行に近かった。
従者を連れたその旅の期間中、毎日「日本九峰修行日記」と題する日記
を綴っている。(「大江戸泉光院旅日記」石川英輔 1997年5月講談社)



 泉光院は旅の途次、度々各地の修験者(山伏)を訪ねている。
予め所在を知った上での訪問と思えるふしも有り、それによるとかなり
地方の、余り名も知られていないような村々にも一人や二人の修験者
が住んでいたことが解る。



 行人坂などの上り下りを繰り返しながら、見付の宿に入ってきた。
行人とは山伏のことで、昔はこの辺りに多く住んでいて、村の祭りなど
社会奉仕に携わっていたらしい。
この町は昔から、寺院や神社が多く点在しているのが特徴と言う。



 行人坂と言う地名も、他の地域にも残されている事を思うと、昔はこ
うした行人が方々に住み、疫病退散や豊作祈願など、庶民農民の為の
ご祈祷を気軽に行っていたのでは、と思ってみたりもする。



 その先の秋葉灯籠の建つこの辺りの地名を富士見町と言う。
京から上る旅人は、ここに来て初めて富士を見付けたことから、「見付」
「富士見町」と言うらしいが、諸説ある内の一つである。(続)






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