簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

奈良街道 (東海道五十七次歩き旅・山城国)

2024-12-02 | Weblog


 山科大塚交差点を地下に潜って横断すると、その先の旧道は若干道路
幅が狭くなる。前方に新幹線のガードが見えていて、その手前左手の民
家の前に古い道標が残っている。「ひだり おヽつみち」「みぎ うじ
みち」と書かれていて、「奈良街道」を示す物らしい。



 京の都から大和(奈良)に向かう多くの街道は「奈良街道」と総称さ
れている。しかし、そのルートは幾つもあると言われていて、この道も
伏見を経て奈良に至るので、このように呼ばれているらしい。



 今日の国道1号線でも、或る地区に入れば「○○道路」とか「××バ
イパス」と愛称が付けられているように、当時の街道にも、通る地域
の名前など、様々な呼称が付けられていたようだ。
 現に今歩いている旧道は、東海道五十七次のルートであるが、京か
ら先は京街道とか、大坂街道などとも呼ばれる事もある。



 新幹線の高架下を潜ると、道幅は一段と狭くなったように見える。
周辺は住宅の密集地で、旧道は主要な生活道路となっている。
多くの車が行き交い、大きな図体のバスも運行されているので、通行す
る車は所々で滞り気味だ。歩道も無い道を歩くのが危なっかしくて仕方
が無く、何度も立ち止まっては車輌をやり過ごすことになる。



 浄土宗・宝迎寺の前に、「愛宕山」と刻まれた灯籠が建っていた。
「愛宕山」は京都の西側にあり、嵐山の景観を構成する山の一つだ。
京都市では最高峰(924m)で、古くから比叡山と供に霊山、信仰
の山として知られている。



 山頂には、全国に900社ある愛宕神社の総本山に当たる「愛宕神社」
が鎮座していて、火伏の神様として親しまれ信仰を集めている。

 西に来るほどに火伏せの神様は「愛宕さん」が多くなるが、これまで
見てきて東の方では「秋葉さん信仰」が多かった。(続)





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