伝馬制が制定され整備の進む東海道であったが、幕府は多くの川に
橋を架けるのを禁止し、ここ大井川では渡船さえ禁じていた。
これは偏に江戸の治安維持が目的とされるが、旅人にとっては迷惑こ
の上ないことである。
島田宿の外れにある大善寺前を過ぎると、正面遠くに白い大きな製
紙工場の煙突が見えてくる。
工場の正門を見てその先で県道を左に外れ、しばらく工場の外壁に沿っ
て進むとやがて江戸時代にタイムスリップしたような街並みが現れる。
「島田宿大井川川越遺跡」である。
通りには、川越人足が詰めていた番宿が幾つも再現されている。
また人足を退いた人たちの集まりの場として「仲間の宿」や「立会宿」
もあったと言い、それらも再現されている。
これは今で言うなら老人クラブのようなものらしい。
ここには川越を取締まる「川会所」が設けられ、川越人足が置かれた。
川会所ではその日の水量を計り、川越賃金を決め旅人に川札の販売を行っ
ていた。旅人はこの札を購入し渡川の折人足に渡し、人足は後ほど「札場」
で銭に代えていたという。
「川会所」の庭には、松尾芭蕉の「馬方はしらじ時雨の大井川」の
句が残されている。
またその先の朝顔の松公園内にも多くの歌碑や句碑があり、当時から
文人墨客も感慨深く川越をしていた様子を窺い知ることができる。
島田宿を水害から守った「島田大堤」や、あふれる水をここで防い
だと言う「せぎ跡」など、ここには水との壮絶な戦いの跡も幾つか残
されている。そんな歴史や川越の様子は、川の堤防に上る手前右側に
ある「島田市博物館」でも知ることができる。(続)
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