簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

粟田神社 (東海道歩き旅・山城の国)

2024-10-11 | Weblog
 三条通りを三条大橋に向けて、順調に歩を進める。
左カーブの先、左手に見える大きな建物は、昔からこの地に建つ老舗の
ホテルで、続いてウェスティン都ホテル京都が立地している。
その先には、真宗・佛光寺の納骨壇を祀る本廟が見えてくる。



 粟田口にある「粟田神社」はスサノオノミコト・オオナムチノミコト
を主祭神として祀り、厄除け・病除けの神と崇敬されているという。
 又京の東の入口、粟田口にある事から、旅立ちの神として、東海道を
行き交う旅人の信仰も篤かったと言う。
道中の安全を、無事到着の御礼を捧げていたようだ。



 この付近には平安時代の末以降、刀鍛冶(刀を作る職人)たちが住居
を構えていた。粟田口で鍛えられた刀は名刀の誉れも高く、三条小鍛冶
宗近(さんじょこかじむねちか)や、粟田口藤四郎吉光(あわたぐちと
うしろうよしみつ)等が知られている。



 彼らが鍛えた業物は、刀工の名前を付けて「粟田口○○」と呼ばれるこ
とが多い。
 又、当地の地名を「粟田口鍛冶町」といい、当神社の中には刀職人を
祀る鍛冶神社(かじじんじゃ)があると言う。
刀剣の里当時の名残を知る事が出来るようだ。



 余談になるが、京都三大祭りの一つ、有名な祇園祭で、毎年先頭を行
く長刀鉾(なぎなたぼこ)に立てられる長刀の初代のものは、三条小鍛
冶宗近が鍛えたものとして知られていた。



 江戸時代にはこの付近では焼き物も焼かれていた。
瀬戸から焼き物の技術が伝えられ、陶器「粟田焼」の産地にもなった。
東海道を行き交う旅人の土産にもなっていたのであろう。(続)






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