郷照寺から79番札所・高照院まではおよそ6キロ、1時間半ほど、JR予讃線とほ
ぼ併走する県道33号線をただひたすら歩く行程だ。
人口5万人余りを擁する坂出市は、この辺りではさすがに賑やかな町並みを見せ
ている。
そんな町中を歩いていて「久米通賢街道」と書かれた道路標識が目に留まった。
何だろうと、調べてみると人の名前で、「くめ みちかた」と言い、現在の香川県か
がわ市で生まれた江戸時代の発明家、暦学者、洋学者とあった。
江戸時代末期、私財を投げ打って坂出における塩田事業を完成させ、地元の偉
人と讃えられる人物で、あの伊能忠敬よりも早く、領内の精密な地図を作り上げ、
忠敬が全国測量でこの地を訪れた折には、案内・接待係として測量に付き添った
と言われている。
坂出の市役所を過ぎ、1キロほど進んだ先で、県道33号線を離れ、JRの線路を
渡り、少し山際に入った道を緩く上りながら歩く。
すると町の外れに小さな池があり、それを覆い隠すような鬱蒼とした緑が茂る小
さな森が見えてきた。八十場の霊泉である。
説明板によると、景行天皇の御世、悪魚の毒に悩む讃留霊皇子とその88人の軍
兵を甦らせた薬水だという。
また、800年の昔、保元の乱により当地に配流された崇徳上皇が、深い怒りと嘆き
恨みを残して崩ぜられた折り、その処置を京都に仰ぎ、検視の返事が戻るまでの
21日間をこの泉に浸し、腐損を防いだという。
鬱蒼として森厳な気が感じられる森、今その泉の前には茶店が有り、名物の「と
ころてん」が遍路の疲れを癒している。(続)
にほんブログ村
伊万里の観光・ホテル口コミ情報
ぼ併走する県道33号線をただひたすら歩く行程だ。
人口5万人余りを擁する坂出市は、この辺りではさすがに賑やかな町並みを見せ
ている。
そんな町中を歩いていて「久米通賢街道」と書かれた道路標識が目に留まった。
何だろうと、調べてみると人の名前で、「くめ みちかた」と言い、現在の香川県か
がわ市で生まれた江戸時代の発明家、暦学者、洋学者とあった。
江戸時代末期、私財を投げ打って坂出における塩田事業を完成させ、地元の偉
人と讃えられる人物で、あの伊能忠敬よりも早く、領内の精密な地図を作り上げ、
忠敬が全国測量でこの地を訪れた折には、案内・接待係として測量に付き添った
と言われている。
坂出の市役所を過ぎ、1キロほど進んだ先で、県道33号線を離れ、JRの線路を
渡り、少し山際に入った道を緩く上りながら歩く。
すると町の外れに小さな池があり、それを覆い隠すような鬱蒼とした緑が茂る小
さな森が見えてきた。八十場の霊泉である。
説明板によると、景行天皇の御世、悪魚の毒に悩む讃留霊皇子とその88人の軍
兵を甦らせた薬水だという。
また、800年の昔、保元の乱により当地に配流された崇徳上皇が、深い怒りと嘆き
恨みを残して崩ぜられた折り、その処置を京都に仰ぎ、検視の返事が戻るまでの
21日間をこの泉に浸し、腐損を防いだという。
鬱蒼として森厳な気が感じられる森、今その泉の前には茶店が有り、名物の「と
ころてん」が遍路の疲れを癒している。(続)
にほんブログ村
伊万里の観光・ホテル口コミ情報
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます