簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

史跡の宝庫(東海道五十七次歩き旅・山城国)

2024-12-27 | Weblog
 東海道は墨染寺から100m程西に進み、郵便局のある角を左に曲がる。
ここを曲がらずに真っ直ぐに(どれくらいは知らないが)行くと、「近
藤勇遭難の地」の石碑が立つ場所があるらしい。



 幕末から維新にかけた激動期、伏見奉行に追われた新撰組はこの地で
襲撃され、組長の近藤勇は右肩に銃弾を受けた。
近藤は、徳川慶喜の配慮で大阪城に移り治療を受けている。
その為鳥羽伏見の戦いでは、その指揮を取ることは叶わなかったという。



 墨染寺の南には、深草少将の邸宅跡といわれる欣浄寺(ごんじょうじ)
と言う曹洞宗の寺も有る。開祖・道元が開いたとも伝わる当寺の本尊で、
ここには知る人ぞ知る「伏見大仏と呼ばれる丈六(約4.85m)の大仏」
があるらしい。



 更にその先左手に伏見税務署を見て京町通り進むと、先の国道24号線
の交差点の手前右に2本の石柱が立っていて、右の柱には「橦木町廓入
口」、左の柱には「志ゆもく町廓入口」と刻まれた有名な橦木町遊廓へ
の入口を示す門柱もある。



 この辺り周辺には、興味を惹かれる史跡が数多く存在する。 
しかし、道中に見たいところがあって、その都度寄り道をしていては予
定した目的地まで行けなくなってしまう。



 近頃では加齢と共に歩く速度も遅くなり、一日に歩ける距離も随分
と短くなっているから、歩きを優先しないといけないとは言え、折角
の史跡名所に立ち寄れないのが残念だ。 



 出発前に行程内の名所旧跡は調べ上げているので、寄り道に要する距
離や見学の時間等を予め計上しておけば良いのだが、それだとなかなか
前には進めない。

 結果見所は、又の機会に譲りながら、前に進むことを優先する。
そうこうしているうちに、街道はようやく伏見宿の中心に近づいている。(続)



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