筑豊本線の新飯塚から、日田英彦山線の田川後藤寺までの13.3キロを後藤寺線
と言う。かつて、最盛期の頃の筑豊炭鉱で採れる石炭をSLが牽引する長大な貨物
列車でピストン輸送していた花形路線である。
しかし、今その面影を残すのは、麻生ラファージュセメント社の要塞のような工場が
残る船尾駅付近だけだ。
後はのどかな山村と住宅の建つ風景の中を、ローカル線らしくたった一両のジーゼル
カーが20分余りで駆け抜けている。
近代化が急速に進んだ明治以降、石炭の需要が高まり、ここ田川の町にも大手の
三井鉱山が進出した事で炭都として発展する。
昭和30年代の筑豊地帯に網目のように張り巡らされていた鉄道路線も、その後半
に成ると石油等のエネルギー革命の波に呑まれ、石炭産業の衰退と呼応するかのよ
うにそれらの路線も殆どが廃線に成り消えて行った。
田川後藤寺からは、かつての石炭輸送を担った糸田線が、第三セクターの運営する
平成筑豊鉄道糸田線として残り、運行している。
田川後藤寺駅の隣駅、日田彦山線の田川伊田駅は、かつて年間石炭発送量が
最多を誇った駅で、今その近くには、「田川市石炭・歴史博物館」が有る。
また、この町は「炭坑節」発祥の町としても知られている。
歴史博物館には、筑豊炭田の隆盛を今に伝える資料が残されている言う。
かつて経済を支えた筑豊炭鉱の歴史をいつかは訪ねて見たく思っている。(続)
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