簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

旧東海道(東海道歩き旅・武蔵の国)

2017-05-17 | Weblog
 関ヶ原の合戦で勝利し江戸に幕府を開いた徳川家康は、その翌年東海道に伝
馬制を制定した。これは宿場ごとに人馬を置きそれを交代しながら引継ぎ、幕府
の公用のための書状や荷物などを目的地まで円滑に運ぶための制度であったが、
その整備には20年以上を要したと言われている。



 江戸・日本橋から、京・三条大橋までの間に五十三の宿駅を定めた。
しかしこの道の成立当初は、各地に関所を設け、川に橋を架けることを禁じたり、
あえて道を曲げたりするなど、軍事上の道路としての機能が優先されていたそうだ。



 やがて三代将軍・家光の時代になって参勤交代が制度化され、大名などの行き
来が始まると庶民の間でも各地の社寺への参拝、物見遊山などの旅が流行りだし、
次第に通行量が増えていった。



 それに伴って街道沿いには大名などが泊まる本陣や脇本陣、行先を示す道標、
一里塚や松並木などが整備され、当初の定めで36疋とされた伝馬の数も大幅に
増やされ、更に庶民も泊まれる旅籠や休憩のための茶店などが現れ、道は軍事
目的から誰もが行き来できる公道として変貌していったと言う。



 とはいえ、当時は庶民にとってまだまだ気軽に歩き回れると言うものではなかっ
たようだが、兎にも角にもこうして日本随一の幹線道路である近世「東海道」が整備
されたのである。



 『大江戸の中央にして、かつて、諸方への行程ここより定。京三条の橋までの道
のり百二十四里二十四丁、駅宿五十三次、これを東海道と言う。』
(「新東海道五十三次」 井上ひさし 文芸春秋社 昭和51年)(続)





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