簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

権太坂(東海道歩き旅・武蔵の国)

2017-07-07 | Weblog


 神奈川宿の台町で最初の上り坂を経験した旅人には、保土ヶ谷宿を出ると、本格
的なさらに厳しい坂登りが待っている。権太坂である。
正月の箱根駅伝では、最初の難所であり、勝負所としてその名を知られている。
とは言え、駅伝の走路と旧街道は全く別なルートである。



 神奈川・台町の坂が20mほどの標高であったのに比べれば、ここは70mを越える
高さまでのぼり、さらに焼餅坂、品濃坂などの上り下りを繰り返す。



 岩崎ガードの辺りで国道と別れ、樹源寺の豊かな緑を右に見て、しばらくは住宅
やマンション、商店などが混在する町並をいく僅かな上り勾配道であるが、まだこの
あたりではそれを実感することは無い。
その先、元町ガードを越え、横横道路を潜る辺りから道は急勾配にと転じていく。



 そんな坂の途中に「権太坂改修記念碑」がある。
昭和初期の古い写真を見ると、道幅3m位であろうか、山裾をただ切り通しただけ
の未舗装の道がかなりの勾配で登っている。
そんな道が改修された記念の碑には昭和30年と刻まれていた。



 その先に坂の名前の由来を書いた案内板が立てられていた。
それによると、昔道端の老人に旅人が坂の名前を尋ねたところ、耳の遠い老人は
自分の名前を聞かれたと思い「権太」と答えたと言う。



 また、名前の由来はもう一説あって、代官の命令でこの道を切り開く作業をした
権左衛門と言う人の名を取って呼ばれていた坂の名前が何時しか「権太坂」に転じ
たと言うものだ。

 坂の途中に立つ案内板では、地元の小学生がこう問いかけている。
「あなたはどちらの説を信じますか?」(続)



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街道の松並木(東海道歩き旅・武蔵の国)

2017-07-05 | Weblog


 再び旧街道に戻り、東海道本線を越えると、その先で国道1号線に突き当る。
街道はここで直角に右に曲がり、そんな道路の向こう角に保土ヶ谷本陣跡がある。
本陣はその土地の最も有力な名主や庄屋が務めているが、この刈部家も代々小田
原北条氏家臣の家柄だそうだ。



 本陣が混雑した際、その代役をなすのが脇本陣である。
この宿場には藤屋・水屋・大金子屋の三軒が控えていて、消防署のあるあたりが
跡地らしいが何れも昔の建物は残ってはいない。
現在に残る旅篭・大金子屋の当時の雰囲気を残す建物は、明治初期に造られた
家だそうだ。



 左から今井川が接するあたりに、江戸から数えて8番目と言う、一里塚が築かれ
ている。文献によると当時の塚は、五間(約9m)四方もの大きさをし、遠くからも目
立つ存在で有ったようだ。



 その先には上方見附跡の石垣が有るが、何れも小さく復元されたものだ。
この通りには復元された松並木などもあり、そんな道が300mあまり続いている。
当時はこの辺りから国境の境木まで、3キロにも及ぶ松並木が続いていたと言う。



 松並木は、旅人に取って夏は暑さ除けの日陰を提供し、冬は風雪除けとし、また
道中の休憩場所として重宝されると同時に、道の土が流出しないようにする地固め
であり、遠くからでも道の存在を示す導であり、実に多機能だけに官民挙げて保護
に努めてきたと言う。



 しかし近年のモータリゼーションで、道路の拡幅には無用の長物と多くは切り倒
され、今日残る所は数少なくなっている。
切ってしまって、またこうして復元しているが、中央分離帯として残すなど、方策は
いくらでもあったのではと思うと残念でならない。(続)



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程ヶ谷宿番所(東海道歩き旅・武蔵の国)

2017-07-03 | Weblog
 その横に「程ヶ谷宿 番所」と書かれた木札を掲げ、軒下に「宿場通り」の暖簾を
下げる施設が有った。丁度昼時でもあり、近くのコンビニで買い込んだお弁当を、
その前に置かれた木製の椅子を借りて頂こうかと声をかけると、中ではかつて妙
齢のご婦人方数人が談笑中で「それならここを使って」と室内に場所を空けてくれた。





 話を聞くとここは、宿場を散策する人々の案内やトイレを提供する施設だそうで、
ボランティアが交代で詰めていて、その人たちの交流の場でもあるそうだ。
それぞれがお菓子や、近所で買い込んだお弁当などを持ち込んで、皆でワイワイ
楽しんでいると言う。



 ここには記念スタンプや、案内のマップも用意されているが、通りから入り込んで
いるせいか中々気付かれず、利用者が少ないのが悩みの種だと言う。
そんな悩みを裏付けるかのように、1時間ほど居させてもらったが、この間誰も訪ね
る人はいなかった。



 お茶とお菓子まで出して頂き、すっかり話の花が咲き、ここでちょっと昼食のつも
りが、随分と長居をしてしまったようだ。



 お礼を言って出がけたとき、軒下に架けられた白い提灯「帷子番所」の文字が目
に入ったが、これはどう言う意味なのか。
またこの施設には「保土ヶ谷宿」或いは「程ヶ谷宿 番所」と書かれ札が下げられて
いたが、どんな違いが有って使い分けているのか、聞き漏らしてしまった。



 かつてこの地は武蔵の国・橘樹(たちばな)郡・程ヶ谷と言ったそうで、現在の地名
なら横浜市保土ヶ谷区であるから、単純に新旧の表記の違いだけなのかも知れない
が少し気になった。(続)



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