飯田高原を経て途中から県道11号線を走り、豊肥本線の宮地駅にやってきた。
以前鉄道でこの地に来たときはここから歩いて肥後一宮・阿蘇神社を訪ねている。
駅からは1.5Kmほど離れていて、20分余りを要したと覚えている。
阿蘇神社は阿蘇の国造りの主など十二神を祀る、肥後の一宮として古代から重
要な位置を占めてきた古社である。
三つの神殿と楼門、脇門は天保から嘉永年間にかけて、細川藩が十数年に及ん
で、巨額の費用を費やして再建したもので、それらの建造物は平成19年6月に国の
重要文化財の指定を受けている。
特に欅材を用いて造られた楼門は、豪壮にして優美な外観を持ち、繊細な彫刻
が施されていて、鹿島神宮(茨城県)、筥崎宮(福島県)と共に日本三大楼門の一
つと言われている。
高さは70尺(およそ21m)有るそうで、その屋根は元々杮葺きであったが、大正年
間には檜皮葺に、昭和に入ると銅板葺に変えられている。
二層楼山門式と言われる建築様式で全国的に見ても珍しいものだそうだ。
そんな貴重な楼門やその先の拝殿は、あの「熊本地震」で無残にも崩れ落ち全
壊した。更にその奥に鎮座する国の重要文化財である三つの神殿も大きな被害を
受け、あの荘厳な境内は一瞬のうちに悲惨な姿を曝すことになった。
数年前には鉄道で、そしてつい近年ではドライブで訪ね、馴染んでいただけにそ
んなテレビや新聞の報道には本当に言葉を失い、唖然とした。
幸復興事業は既に動いているらしく、重文は国庫による補助事業で、その他の建
造物は寄付金制度により平成35年を目途に再建を目指すと言う。
一日も早い復興を願わずにはいられない。(続)
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駅からは1.5Kmほど離れていて、20分余りを要したと覚えている。
阿蘇神社は阿蘇の国造りの主など十二神を祀る、肥後の一宮として古代から重
要な位置を占めてきた古社である。
三つの神殿と楼門、脇門は天保から嘉永年間にかけて、細川藩が十数年に及ん
で、巨額の費用を費やして再建したもので、それらの建造物は平成19年6月に国の
重要文化財の指定を受けている。
特に欅材を用いて造られた楼門は、豪壮にして優美な外観を持ち、繊細な彫刻
が施されていて、鹿島神宮(茨城県)、筥崎宮(福島県)と共に日本三大楼門の一
つと言われている。
高さは70尺(およそ21m)有るそうで、その屋根は元々杮葺きであったが、大正年
間には檜皮葺に、昭和に入ると銅板葺に変えられている。
二層楼山門式と言われる建築様式で全国的に見ても珍しいものだそうだ。
そんな貴重な楼門やその先の拝殿は、あの「熊本地震」で無残にも崩れ落ち全
壊した。更にその奥に鎮座する国の重要文化財である三つの神殿も大きな被害を
受け、あの荘厳な境内は一瞬のうちに悲惨な姿を曝すことになった。
数年前には鉄道で、そしてつい近年ではドライブで訪ね、馴染んでいただけにそ
んなテレビや新聞の報道には本当に言葉を失い、唖然とした。
幸復興事業は既に動いているらしく、重文は国庫による補助事業で、その他の建
造物は寄付金制度により平成35年を目途に再建を目指すと言う。
一日も早い復興を願わずにはいられない。(続)
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