簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

あおねば (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-08-07 | Weblog


 「金谷坂は上りの坂路にして峻(さか)し。(中略)大井川の流れ
を見下ろし富士山など遙かに見えて風景の佳境なり」と言われた通り、
金谷の宿を見通す眺めは素晴らしかったようだ。

 しかし足元は「あおねば」と呼ばれる粘土層が多く露出する地で、
雨でも降れば、「膝まで埋まるぬかるみ」と形容されるほどの悪路・
難路であった。



 当時は難路の解消策として、例えば箱根峠の東坂や西坂では、山に
自生する箱根竹を刈り取り、束にして敷き詰めていたようだ。
また神奈川宿に近い生麦の村では、貴人が通ると、近辺の麦を刈り取
りぬかるむ道に敷き詰めていた(これが地名発祥説とも言われている)。



 しかしこうした道は、耐久性には乏しく度々やり替えることとなり、
その労力や資金も馬鹿にはならず悩みの種であったらしい。
その為東海道が整備されるに当り、箱根には近くから切り出した耐久
力のある割石が敷き詰められた。



 この金谷坂では、江戸末期になりようやく、牧之原台地に堆積し豊
富に有るという丸い山石(大井川の川石と同質の石)を敷き詰めた道
普請が行われた。
約400間(約720m)ほどの間ではあったが、当時としては画期的な舗
装道路で、雨降りの難儀もずいぶんと解消されたようだ。



 しかしその道は明治以降の近代化で、電柱工事や電線の敷設などで
掘り起こされ、或は埋め戻され或はその上を鋪装するなどして失われ、
近年残されたのは僅か30mであったと言う。
そんな石畳を復元しよう・・・との機運が盛り上がるのは、平成に入っ
ての事である。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石畳茶屋 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-08-05 | Weblog
「旧東海道石畳道入口」の看板に導かれかなりの急坂を暫く上ると、
石畳道が見えてきた。
その登り口右手には、趣のある門構えの「石畳茶屋」がある。



 十年ほど前になるだろうか、初めて訪れた時には石段を登り、門を
潜ったその先には、和風の木造建築が建ち、庭先に赤毛氈を敷いた縁
台を並べたそば屋で、広い板敷きの内部には囲炉裏が切られていた様
に記憶していたが、すっかり様変わりしている。



 和風の瓦葺きの、真新しい建物が建っていた。
「meguri石畳茶屋」と言う、島田市産の肉や卵、野菜を使った料理や、
季節の果物を使ったお菓子を提供するレストランで、聞けばオープン
してまだ間がないという。丁度昼時でもあり、この先峠越え道が続く
ので喰いそびれてもいけないと、休憩がてら立ち寄ってみた。



 一面のガラス戸で囲われた明るい室内は、広い板敷きの間で、大き
なテーブルがゆったりと配置され、モダンに変身した客室で、若い女
性の先客が、既に三組食事をしていた。ガラス戸越しには手入れの行
き届いた庭を見通し、その先には富士山を望むことも出来るらしい。



 昼は白い大皿に盛られた肉とハード系のパン野菜たっぷりの料理で、
それにスープが付くプレートランチの一品だけだという。
結構なボリュームもあり、負担かなと思って頂いたが、柔らかな肉も、
評判のパンもとても美味しく、爺さんには過ぎたる昼食となった。



 茶屋は街道歩きの無料休憩所としても利用できるらしく、トイレや、
レストランの奥には、自由に見学の出来る展示室やギャラリーを備えて
いる(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金谷大橋 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-08-03 | Weblog

 不動橋は、金谷宿西の入口(宿場の京方の見附)に当り、ここには
「金谷大橋」と呼ばれる橋が架けられていた。長さ6間(約10m)幅
2間半(約4.5m)の土橋である。
土橋というのは、橋桁の上に丸太を組み、上に小枝並べて凹凸を均し、
表面に土を乗せつき固めて造られた橋で、三年ごとに修理や架け替え
が行われていた。





 この地は川越しの難所・大井川と、金谷坂から小夜の中山にかけて
上り下りする街道でも名うての峠越え道の中間に位置する所で、当時
は休み所や一善飯屋が建ち並んでいたという。
峠を下り終え宿場入りする旅人は一休みし、大名は身なりと隊列を整
え、これから峠越をする者には鋭気を養う場所となっていた。





 その先には道銭場(今で言う有料道路の料金所)が有ったらしく、
通行人から銭を取っていたようだ。
橋の修繕費なのか、坂の石畳の維持費なのか、どこが有料であったか
は説明されていないので良く解らない。

 JR金谷駅の裏手辺りから始まった金谷坂を、もうかなり上ってきた。
振り返ると眼下には、金谷の町が広がり一望出来る。
富士山が望めないものかと探してみたが、生憎雲の多い空のどこにも
姿を見つけることはできなかった。





 急坂と階段を喘ぎながら上り、国道473号に出て、暫くそこを歩く。
ほっとする間もなく右に折れて国道を横切ると、「旧東海道石畳入口」
の大きな看板が立てられていて、再び急な上り坂が延びている。
平成の道普請で蘇った金谷の石畳道の入口であるが、暫くはアスファル
ト舗装の道を上り詰めることになる。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする