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倉敷美観地区の中央を流れる倉敷川は、江戸時代には上方への物資の
輸送、明治に入ると倉敷紡績の原綿運搬用の川として使用されていた。
一時は高梁川の酒津取水門から流れる新川と繋がり、瀬戸内海の児島
湾に開けた運河で、言わば当時は倉敷を支える大動脈で、盛時には凡そ
40艘の川船が運航していたという。
その後都市化の影響で新川が埋め立てられると、今では源流を持たない
川となった。
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また昭和34(1959)年に児島湾が堤防で締め切られると、運河として
の役割を終えることになる。
役割のなくなった川は衰退し、20m程有った川幅も半分ほどになり僅か
に残るのみで、忘れられた川と成り果ててしまった。
更に放置されて、水質も悪化するなど、一時受難の時代が続く事になる。
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やがて昭和40年代に全国で観光ブームが巻き起こると、川沿いに残る
土蔵や町屋等の建物に注目が集まり、観光客の来場を当て込んで周辺一
帯の整備が進むこととなった。するとこれまで見捨てられていた川の存
在にも着目され、再び脚光を浴びるようになる。
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今では浚渫が行われ、高梁川から取水する農業用水とも繋がり、水質
も改善した。船溜り跡や雁木、積み降ろし場等の沿岸は親水公園として
整備され、早咲きの河津桜やソメイヨシノを中心とした桜の植樹などの
改善施策が頻りに行われてきた。
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「大原美術館」等のある、観光の中心的な場所では、今橋と高砂橋の
間を周遊する観光用の遊覧舟「くらしき川舟流し」の運航も始まった。
今では岸辺のシンボルとも言える柳並木とともに、倉敷観光には欠かせ
ない存在になっている。(続)
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