簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

小野小町の所縁の地(東海道五十七次歩き旅・山城国)

2024-12-06 | Weblog
 道は府道35号に入るとこの辺りの地名を「小野御所ノ内町」と言う。
「小野」という名の通り小野小町の所縁の地で知られる所を通って行く。
閑静で落ち着いた住宅が立並ぶ地を650m程進み、小野西浦の交差点を
右折する。直進するのが奈良街道(醍醐道ともいう)らしい。



 醍醐道を行けば、凡200m先の左側には真言宗善通寺派大本山の「随
心院」がある。弘法大師の8代目の弟子に当る、仁海(にんがい)僧正
が正暦2(991)年に開基した寺らしい。
ご本尊は如意輪観音で、小野小町ゆかりの寺としても知られるという。



 「花の色はうつりにけりないたづらに 
         わが身世にふるながめせしまに」

 百人一首で有名なこの歌の碑や、小町化粧井戸が境内にはあるらしい。
立寄りたいところだが、寄り道をする余裕も無くここは先を急ぐ。



 地下鉄東西線の走る広い通りを横断するが、右側が地下鉄の小野駅だ。
その先で山科川にかかる勧修寺橋を渡ると、道路の突き当り正面に勧修
寺が在る。咲く花が美しい風光明媚な寺らしい。
勧修寺入口前を左折して、すぐ先の信号を右折する。



 右に仏光院、宮道(みやじ)神社、左手に八幡宮の赤い鳥居を見ると、
「勧修寺下ノ茶屋町」で、山科の日ノ岡に至る「大石街道」の起点だ。
車の余り通らない静かな道は、やや上りに転じている。



 右側から「名神高速道路」が迫っていて、住宅の向こう側にはその防
音壁が見えている。そのまま上り、この防音壁に行き当たり左カーブし
ながらこれに沿って歩く。

 恐らくこの辺りの旧道は、高速道路とそれに併走する35号大津淀線の
開通で、跡形もなく消えてしまったのであろう。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩屋神社 (東海道五十七次歩き旅・山城国)

2024-12-04 | Weblog


 京阪バスの車庫の先左側に、「岩屋神社」の赤い鳥居と、「十三参り」
と書かれた大きな看板が見えてきた。
 更にそこから150m程行った先の大宅甲ノ辻バス停前には、一寸した
広場があり、「岩屋神社御旅所」の石碑が建ち、大きな木が鬱蒼とした
枝を拡げている。



 「岩屋神社」は山城国の一宮で東500m程先に本社が、更に数百メー
トル先の後背山には奥の院も鎮座している。
 ここに建つのはその一の鳥居である。 御旅所は、祭礼のさい巡行
する御神輿が休憩する場所のことで、ここがその一つだ。
木は御神木とされる「クスノキ」で、高さが10m、幹周が2.8mとい
われ、「山科区民の誇りの木」の一つに選ばれている。



 公式HPによると、「本社は天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、
栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)の夫婦二柱と、その皇子・
饒速日命(にぎはやひのみこと)の親子三柱を祭神とする」とある。



 更に先で「名神高速」を潜るが、その手前右手には、エノキが繁茂す
る山科の大宅(おおやけ)一里塚の西塚が残っていたらしいが、迂闊に
も見落としてしまった。
京都府では唯一現存し、史跡に指定されている一里塚らしいので、こん
な大きなものなのにどうして気が付かなかったのか、不思議である。



 高速を潜ると道は片側一車線歩道付きの広い道と成り、宇治・六地蔵
方面への緩い上り坂道となり、信号待ちの車が列を成していた。
旧道はコンビニが有る角を右に取り緩くカーブして、その奥右手に建つ
「山科警察」の白い建物を見ながら、小野を目指す事になる。(続)。





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良街道 (東海道五十七次歩き旅・山城国)

2024-12-02 | Weblog


 山科大塚交差点を地下に潜って横断すると、その先の旧道は若干道路
幅が狭くなる。前方に新幹線のガードが見えていて、その手前左手の民
家の前に古い道標が残っている。「ひだり おヽつみち」「みぎ うじ
みち」と書かれていて、「奈良街道」を示す物らしい。



 京の都から大和(奈良)に向かう多くの街道は「奈良街道」と総称さ
れている。しかし、そのルートは幾つもあると言われていて、この道も
伏見を経て奈良に至るので、このように呼ばれているらしい。



 今日の国道1号線でも、或る地区に入れば「○○道路」とか「××バ
イパス」と愛称が付けられているように、当時の街道にも、通る地域
の名前など、様々な呼称が付けられていたようだ。
 現に今歩いている旧道は、東海道五十七次のルートであるが、京か
ら先は京街道とか、大坂街道などとも呼ばれる事もある。



 新幹線の高架下を潜ると、道幅は一段と狭くなったように見える。
周辺は住宅の密集地で、旧道は主要な生活道路となっている。
多くの車が行き交い、大きな図体のバスも運行されているので、通行す
る車は所々で滞り気味だ。歩道も無い道を歩くのが危なっかしくて仕方
が無く、何度も立ち止まっては車輌をやり過ごすことになる。



 浄土宗・宝迎寺の前に、「愛宕山」と刻まれた灯籠が建っていた。
「愛宕山」は京都の西側にあり、嵐山の景観を構成する山の一つだ。
京都市では最高峰(924m)で、古くから比叡山と供に霊山、信仰
の山として知られている。



 山頂には、全国に900社ある愛宕神社の総本山に当たる「愛宕神社」
が鎮座していて、火伏の神様として親しまれ信仰を集めている。

 西に来るほどに火伏せの神様は「愛宕さん」が多くなるが、これまで
見てきて東の方では「秋葉さん信仰」が多かった。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする