今年の大雪で折れてしまった芍薬が、ひょろっと伸びて花をつけた。
塀より高く咲くので、近所の人が「きれいやね」と言ってくれる。自分をほめられているわけではないが嬉しい。
どうして花はこんなに美しいのか。
今年の大雪で折れてしまった芍薬が、ひょろっと伸びて花をつけた。
塀より高く咲くので、近所の人が「きれいやね」と言ってくれる。自分をほめられているわけではないが嬉しい。
どうして花はこんなに美しいのか。
ついにやってみた。ジャガイモを茹でて、潰して、小麦粉と片栗粉を混ぜる。
小さく丸めて潰し、寿司の巻き簾に押さえてくるりと丸めると、筋の入ったマカロニのようになる。味が絡むように筋をつけることが出来る。
30秒ほど茹でる。丸めながら入れたら、忙しい。
茹であがりはマカロニのようだ。
牛乳をベースに、チーズをいれて、塩コショウで味を整える。
ケチャップも少し入れると、味に深みがでる?
とろけるチーズに絡めてパセリを散らすだけでもよい。
学校から帰った孫たちに食べさせたら、「チョーうまい。」と、言うかと思ったら、kouは「くそ、うめえ。」と、言った。育ち盛りがお腹をすかせていたら何でも口に入れば美味しいであろうが、小百合の孫とは思えない下品な感想である。
先週土曜、金沢のモンベルへ行った。あれもいい、これもいい、トレッキング用のシューズも欲しい。この際、大爆発、いやよく考えて、やはり買う。というような楽しい買い物をした。
金沢まで来ないと、山道具の店はないので、時間が取れないとなかなか買いに来れない。
さて、今日の目的は山道具の買い物ではなく、広報部会だ。場所は駅前の九州自慢もつ鍋の店だ。電車で早めに着いて、モンベルまで歩いて、帰りは大きな紙袋を下げて部会会場へ。
広報は道場ではなく、各家々で仕事から帰ってもうひと働きパソコンに向かうということで、日頃の皆さんの家仕事の労をねぎらい、幹事さんのお世話で楽しいひと時を過ごすことができ感謝。
いつもは、10人ほどなので、全体の会話が見えたのだが、今回は16人で、店内がにぎやかだったこともあり、嵐のような2時間だった。19時から始まったので、2時間はあっという間で、まるでシンデレラのように電車の時刻に間に合うように帰ったが、靴を片方落とさなかった代わりに、21時30分の電車には乗り遅れた。
帰りがけに、前部長またの名を「走る弓道人」と、小百合こと「登る弓道人」は、お互いハイタッチをして別れた。次代に引き継ぐということが、わたしたちの大きな仕事だと確信した。
そろそろ機関誌も引き継ぐ準備をしなくてはと思う。
山の先輩と、ヨーコさんと3人で、富士写ケ岳に登る。今日は、枯淵から登り始めた。
目まいがしそうなほど、急こう配の階段が登山口である。
今日の小百合。
8時半から登り始め、40分ほどすると花が咲いているのをみつける。
ショウジョウバカマ
イワウチワ
小一時間すると、いよいよシャクナゲの蕾を見つける。
けれど、今年は裏年という事で、シャクナゲの蕾は全体から見ると少ない。
頂上付近には少し雪が残っていた。
後山へ10時45分に到着。登り始めてから2時間15分。
後山の深田久弥の「山の茜を・・」が、大雪で上の方が折れてしまって残念な状況。
順調に頂上について、弁当を食べた後、11時30分に下山する。
今日も、小さなハプニングはあったものの無事に下山。
今日もありがとう。皆さま、登山靴さま。
かくして、解散後、3人がそれぞれ別の温泉に行ったのである。
わたしは、ゆーゆー館でまったりして帰る。
先日、我谷ダムから登った時に、カタクリが咲いていた。
タムシバ
仕事場の庭にトキワイカリソウ
なかなか花の名前を覚えられないが、何回も見て何回も口に出すと、自然と覚えられるのかもしれない。
病院で寝たきりの父に、「明日、誕生日やね。92才になるよ」と、言うと「早いんなあ」と、答えた。
どの時点から数えて早いと言うのだろうか。生まれて92になる年月は早くはないだろうが、過ぎてしまうと、もう92才という思いだろうか。それとも、入院して月日が経ったことが早いのだろうか。どちらにしても、よく頑張ってるね。プリンを食べさせ、他に欲しいものがないか聞くと、「マンジュウ」と、聞き取りにくいが聞こえた。「じゃあ、もってくるわ」と、言うと「あしたや、あさってじゃいかんぞ」だと、今日、持って来いという事だ。身体が動かないというので、少し動かした後、「じゃんけんできる?」と、訊くと、ゆっくりと手を動かした。そして、わたしとじゃんけんし2回勝った。うわ、勝った!というと、にんまり笑う。おまけに、グーも、チョキも、パーも全種類をじんわりと出す。母は「今日は元気やわ。昨日は寝たままやった」とのこと。見舞いに来たときに寝ていたら寂しいのだろう。応答が出来ると母も嬉しそうだ。しかし、「また来るね」と、言うと、「イッショニ、ノセテッテクレンカナア」と、言われてぐっときた。
母は、先日おしりふきや、トロミの粉をマツモトキヨシでたくさん買ったけど、いつも寝ているので、長くはないのではと思って、買い過ぎたかなあと思ったそうだ。そのことを、車の中で2回も繰り返し言っていた。
母も朝から忙しそうで、山へ入る道に立札を立てて、縄を張った。
「車が山菜を取りに来る」と、言うのだ。車が取るのではないね。それにしても、おんぼろな、どこからもらった立札だろうか。関係者以外・・の次が錆びている。「関係者以外・・さび・・」
母は、山の管理と親戚知人が山菜を求めてやってくるのを応対するので、4月、5月はデイサービスを断ったという。ちゃっかりしている。母がデイサービスへ行かなくても、人が訪ねてくるなら、その方が母のためにもいいのだが、ケアマネは通所しないことを心配に思っているようだ。来週ケアマネとわたしと母との三者面談をしなくてはならないので、また休みの日に予定が入る。
きれいなチューリップをほめ、山へ上がってまたまた筍を見つけ、母がたまに昼ご飯を食べれば、というのを振り切って帰る。
うちで昼ご飯を食べながら、一昨日と昨日の晩ひとりでごはんを食べていた姑と、久々に食事する。2日続けて通夜だったのだ。そして、今晩は金沢で弓道の広報部会がある。
昼飯の時、離婚した人の話をしていて、婆さんが「〇さんは男を見る目がなかったんかね」という。「うーん。分からんね」まあ、男に騙されたらいかんて母がいつも言っていたので、わたしは騙されないようにしていたよ。というと、「あんちゃん(自分の息子)に騙されたんか?」と、いうので、「いやあ、わたしが騙したんかもね」という。婆さんは「はよ、死んだし、お前がだまされたんやわ」というので、「じゃあ、おかあさん責任取って、元気でおってね」というと、大爆笑していた。
今日のじいと、ばあともうひとりのばあの話。
じゃあ、金沢へ行ってくるね。飲み放題やって!!
筍を掘る。何回か掘ると、だんだん要領がよくなっていく。おまけに、くわの使い方も手慣れてくる。そして、見つけるのも勘が冴えてくる。
父の作った炭焼き小屋のわきを登って行くと竹薮がある。さあ、くわを担いで、いざ。
さて、この中に筍が「あった!」
アップにする。
枯れた笹の葉をよけると、頭が出てきた。
少し土をよけて、穂の先を見て、ふんぐっ!とくわをおろす。
ごっ!と、起こすと、採れた。
アッと言う間にいくつか掘れて、今年は採れる年なのだそうだ。
さて、喜んでもらえる人に持っていこう。
つつがなくお暮しですか?という時の、つつがなく・・は、「恙なく」と、書くのか・・と、言うと、先輩は言った。昔は、ツツガ虫に刺されて亡くなった人が多かったので、つつがなくというのは、ツツガムシ病にかからないということで、健康でいることをいうのだと。
そうだったのか。つつがなく日々を暮らしているわたしは幸せなのだと思う。
火曜に、30年ぶりに後輩が弓道を再開したいと訪ねてきた。おおっーー。子育てを終えての再開。咄嗟に名前が出て来なくて焦った。何とか、思い出すことが出来て、まだ脳の引き出しは開閉可能になっているなと安堵した。その彼女が木曜から弓を引くという事で楽しみだった。
今日は、仕事を終えて急いで食事を作り、婆さんには先に食べていてもらい、町内の方の通夜に出かけ、7時40分に戻って、急いで着替えてごはんを食べずに道場へ行く。
月例会で、同級生のS君が介添えをするので、先日から特訓していたが、完成せず。突っ込みどころ満載の介添えをしてくれた。それでも、昨日大腸がんの再検査の結果で、今日来れるかどうかを心配してたので、道場に来れたから良しとしよう。射手にちゃんと矢が返ったから、それでいいよね。という甘い感想を述べながら、わたしも甘い射をしていた。自分にも他人にも甘いわたしであった。
打起しながら、お腹がぐるぐるなったので、気がそがれた。腹ペコは良くない。
それでも、恙なく一日を終え。風呂へ入って、久々にビールを飲む。爽やかな一日にビールは似合う。
それにしても、夜が短い。時間が足りない。
仕事が休みの日には孫たちに手作りのおやつを作りたいと思っている。
今回は、ジャガイモをふかして潰し、いも餅を作った。先日はフライパンで焼いたが、今回は油で揚げたら香ばしくて美味しかった。かつお出汁醤油にみりんで味付けた中に揚げたてをからませる。ふたりとも、あつあつを「ちょーうめぇ」と、下品な感想で、むさぼり食べていた。kenは食レポがうまい。「外がカリッとして、中はもちっと、からまる醤油味が、口の中で香ばしさとからみあって・・・」と、どこで覚えたのか。
しかし、揚げている時、時々爆発したのはなぜだろう。水っぽくはないのに、何かが膨張したのだろうけど分からない。鍋の蓋を盾にして揚げた。ぽむっ!!バフッ!怖い。なぜだろう不思議だ。
不思議と言えば、疑惑からの逃避行や、自衛隊の議員への罵倒や、セクハラ疑惑や、イモ餅が爆発する不思議以上に不思議だ。品位というものがなくなった国会は日本の品格を最低のところまで下げている。下げ続けるとどうなるか。墓穴を掘るというところへいくのだろうなあ。国民をバカにしているのか、国民をジャガイモだと思っているのか、彼らの発言は品位のある者への尊敬の念というものはない。国民を見下げているような気がしてならない。
こういう時は、一緒にTVを観て、殿に「これってどうよ?」と質問するわたしに、殿が「それはなあ・・」と、優しく笑って自分の意見をしみじみと言うのだろうな。何と言うのだろうか。「いろんなことを分かったような顔をして言っているけどなあ。みんなもうしばらくであの世に行くんだよ。そいつらがここへ来たら騒がしいいやろなア。自己主張して自分の正義を語りだすんやろ。そしたら、わしは生まれ変わって娑婆に逃げるわ」「あのさ、娑婆に逃げても、そこだって騒がしいやろ。誰でもみんな自分が正しいって思うから。わたしみたいにぼおっとして、みんな凄いなあ、偉いなあ、頑張っているなあって思う人間は地面とすれすれのところから空を見上げているし、人を見下げるってことはないね」それでも、人は高い所から見下ろす景色は好きだ。山に登って頂上に立つ気持ちは最高である。
きっと国会で口角泡を飛ばしている方々は、花を愛でもせず、空の青さも知らず、山や海の美しさも知らないのではないか。イモ餅はなんと深い食べ物なのか。ここまで話が広がってしまった。言い換えれば収拾がつかないという事だ。
生きるということは、収拾がつかないということかも。
隣に家が建つ。田んぼの角地にある我が家の反対側の角地に家が建つ。大変うれしい。前に住んでいた我が家が道路拡張工事で今のところに移った。その時、お隣だった家の娘さん夫婦が家を建てることになった。良く知っている人が来てくれることも嬉しい。
北風をまともに受ける我が家の風よけになってくれそうだ。申し訳ない。それと、雪が降った時、この方向の雪をひとりでよけなくてはならない分助かる。近所が増えるという事は、こういう風に少し助かるという部分が出来るという事だ。
現在のお隣は、角地の我が家の方には雪をよける必要がないので、いつも取り残されてしまう。今年は特にひどかった。一件とばしたむこうには弓道の先輩が住んでいるので、車が動かなくなった時、ご主人を拝借した。その前の家は、孫と同級の女の子がいて、いつも遊びに来ていたが、小学生になったら孫は男だし、もう遊ばなくなったので久しく顔を見ない。
成長と共に、行き来することが少なくなり、いつの間にか結婚して、子どもが出来てと変わっていくが、家族だけでなく、人が増えるのは嬉しいことだ。
反対に、減ることは寂しい。我が家もさることながら、近所のおじさんが最近ひとりで散歩している。婆さんに訊いたら、愛犬が死んだのだそうだ。
人口が毎月減っている。これはどうしたもんか。特に3月4月は、進学や就職で人がよそへ流れて行く。加賀市は消滅都市と言われている。
雨が降って寒い一日だった。それでも、3回目を迎える「加賀地区女子講習会」に34名の参加があったことは喜ばしい。S先生には、寒い中、熱意をもっての講習にひたすら頭が下がるのである。そして、模範射礼は、まさしく模範となるべく体配と、品格のある行射だった。また、射を見る力は、審判席に一緒に座っていて、S先生の半分にも及ばない。細かな動作の違和感、どうしてそうなるのかという原因の究明、何か変?と、ぼやっとしか分からなかったり、まだまだ修行が足りないことを知る。
講習会の途中で、受講生に「先生のお名前は何ですか」と、訊かれてしまった。開会の挨拶をしたときに、小百合と間違えたか、女子部長の代理が挨拶をしたのかと思ったのだろう。まだまだ、名前を知られていないのである。
そういえば、最近は試合に出ても目立たないように早々に帰るし、元気なのは、県連の会議くらいだが、それは昔からの長いお付き合いの先生方だけなので、若い人たちは、若い元気のある国体選手や全日本の選手しか名前を知らないだろうと思う。若い人は、総理大臣の名前を知らない人もいるくらいだから、わたしの名前を知らなくても当然であるが。
しかし、そんなことより、ここでもう一仕事しなければならない使命がある。その大きな使命は、次の世代に渡すという事だ。ここはもうひと踏ん張り。
それにしても、寒くて帰りがけに声がかすれてきた。先日、A型インフルエンザになったが、B型もあるというから気をつけなくてはならない。帰りに喫茶店で本音の話を聴いてもらえて元気倍増。先生とスタッフ仲間に感謝の一日だった。
何か楽しいことをした時に、最後の詰めの甘さで台無しになることがある。その楽しいことが大きいほど、大泣きしたいほどがっかりすることがある。
kouが、保育園の年長の頃、凧を電線にひっかけたことを思い出した。凧揚げが楽しくて、大盛り上がりだったのに、電線のあるところへ流れて、引っかかった時、kouが、「サイテーの一日になった・・」と、泣いた。期待が大きいほどサイテーの度合いは大きくなる。kenも、凧を揚げながら振り向いて走って、溝にはまりズボンがびしょぬれになったことがあった。サイテーな感じで、楽しみが終わると、一緒に泣きたくなる。kenは、「オレは泣かん」と、頑張っていたのが余計につらかった。
そんな風に、台無しなことに出会うと、もうそんな目に遭いたくないと思いながらも、また凧揚げをしてみる。以前のリベンジをするように。そうやって、少しずつ育っていくんだろう。
でも、大人は違う。もうそういう目に遭いたくないと思うと、何かを終了したいと思うようになる。先が見えてしまったり、結論を自分で出してしまうからだ。そして、もっと貴重な経験をいつの間にか逃してしまうことも分かりながら臆病になる。そうやって、少しずつ齢を取るのだろうか。
そう言いつつ、何回も失敗しながら弓を引く。これは懲りない。何回やっても、詰めの甘さで台無しになっても、次こそはと思っている。これは、まさしく成長していると思うことにしよう。
姑をかかりつけの病院へ連れて行き、母を父のところへ連れて行き、今日はふたりを掛け持ちであちこちしながら、最終的に母を迎えに行って、そのまま姑と小松空港へ行ってみようということになった。
職場の先輩が、小松空港のステンドグラスを一度観に行ったらいいよ。と、言うので、母たちを誘った。ひとりで行ってもつまらないし、たまに昼ご飯を食べて帰ればいいかなと思ったからだ。
腰の曲がった母は杖をついているので、母に合わせてゆっくり歩く。「空港なんか来たことがない・・」と、言う母は、ことのほか喜んだ。ステンドグラスは、小松のお旅祭りをモチーフにしているのだと説明し、それをバックにふたりの写真を撮ったら、しばらくして、桜の木と毛氈の椅子に腰かけて、それも撮ってほしいという。ふたりは満面の笑みでカメラに収まった。遠くへは行きたくないという母も、小松ならちょうどよい距離だ。
ステンドグラスを見て、「あらーー、冥途の土産やわ。」と、ささやかなお出かけに喜んだ。そして、自分の脚で歩ける間に来ることができて良かったという。
レストランに入るより、お弁当を買って、実家の遅咲きの八重桜を見ながら食べるのはどうかと提案すると、二人ともその方が楽しいと言って、それぞれ弁当を思い思いに買って帰る。麩の味噌汁も買って、実家の縁側から花見をする。
縁側から見えるチューリップも見ごろで、姑も母も、「ハイカラなレストランでごはん食べるより、こっちの方が楽しいわ。」と、楽しそうだった。互いに歳を重ねた同士の会話が弾んでいた。わたしは、途中で鍬を持って山へ行き筍をゲットした。
早々に写真をパソコンから出して、後でふたりに渡すと、旅行へ行ったみたいだと喜んでいた。このくらいで喜ぶのに、いつも忙しがっていて悪いなあと思う。
小さな筍を採った。かわいくてつい掘って持ち帰った。飾りだ。
天気が良くて思い立って富士写ケ岳へ出かけた。午後に出かけるので、3時のおやつを山で食べるということにした。おやつを食べて3時に下山する。天気は5月のようだ。
3月は仕事が休めず、おまけにインフルエンザで、体力が落ちている気がして、登らなければ!という気持ちが沸いてきた。富士写ケ岳の登山口には桜が咲いていた。車が3台停まっていて、年配の女性の二人連れが、タラの芽を収穫したのを並べていた。挨拶をして通り過ぎる。
我谷の吊り橋を渡るときに、いろいろな気持ちがそぎ落とされる気がする。
橋を渡りきると、登山口にたどり着くまでに倒木をまたいで行かなくてはならない。大雪の爪痕だ。
登り始めるときも木が邪魔になって、これが登山道だったっけという感じがした。登る前から汗をかく。
鉄塔まで20分で登る予定が、30分かかった。やはりペースが遅い。遅いからといって頑張ると息があがる。
鉄塔から20分ほど歩く。行く手を阻む倒木を今日の区切りとして、紅茶とおやつ。今日のおやつは、あん入り食パン。途中、カタクリやショウジョウバカマなどが咲いていた。あん食パンを食べていたら蜂が飛んできた。花が咲くとすぐに虫が寄って来ることを忘れていた。
ここから向こうはこの次に。木でとうせんぼされている。他の人たちは、どうやって行ったのだろう。くぐるも、またぐも出来そうもない。
二人の男女と、半袖の若い男性が下りてくるのに出会った。もう下山しているだろう。新緑が気持ちいい。頂上はまだ雪があるかもしれないが、とにかくぬかるんだところがあるので気を付けて帰らなくてはならない。
急坂は気をつけるが、何でもないところで滑った。枯葉は乾いているが、土はぬかるんでいる。40分で下りた。赤い橋が見えると、たった2時間の遠足なのにホッとする。
道路のわきにあるお地蔵さんに感謝の手を合わせて帰る。清々しい。頂上へは行かないが、身体の中のゴミは消えた気がする。
今晩は、S君とT君が、介添えの稽古をみてほしいということなので、早めに夕食を終えて道場へ行かなくてはならない。元気が出てきた。
パソコンの中に少しずつゴミが溜まっていく。知らないうちに、何かを呼び込んでいく。そんな風に、身体にも少しずつ何かが溜まるようで、特に花が咲くころは一度身体が暖かさに出会い、寒い日が来ると、途端にダメージを受けたようになる。夜の稽古に行く時、寒い、眠い、つらいと、三拍子揃わせてしまいそうになる。そんな時は、仲間と約束したことが腰をあげるきっかけとなる。
先日、久しぶりに休みが取れて実家の母と父の見舞いに行くと、父はげっそりと弱っている感じだったが、よくしゃべった。家のことを心配している様子だった。母は、通帳がない、キャッシュカードがないと探すことが多くなった。そのたびに、半日、付き合うことになると、つい、いらいらしてしまう。そんな時は身体の中に、きっとゴミが溜まっていくのだと思う。
母と約束していた「北の桜守」の映画を、小松のイオンで観ようと誘ったのに、わたしがインフルエンザになったために、行けなくなって、気付いたときには上映されていなかった。始めに上映期間を聞いたら、いつまでか分からないと言われ、映画の上映期間ってどうやって決めるのだろうかと思った。
父が映画好きだったため、母は父とよく映画に行った。しばらく行っていないので、吉永小百合の映画だというと「行きたい・・」と、楽しみにしていたのに残念だ。
出来なかったことが、わたしの身体にまたゴミみたいに沈んでいく。こんな時は、体力が低下しているのかと思う。それでも、夜、ぐっすり眠れるという事は健康なのだろう。