3月26日は殿の65歳の誕生日だ。誕生日を目の前にして逝ってしまったという感慨にふける間もない出来事が起きた。
舅であるうちの爺さんが亡くなった。姑がデイサービスの支度をする為、8時15分に起こしたら様子がおかしく、慌ててわたしを呼んだ。すでに息をしていなかったが、とにかく救急車に連絡すると、心臓マッサージをするよう言われ、救急隊員が来るまでマッサージしたが、病院に運ばれしばらくして息を引き取った。93歳だった。前の晩まで食欲もあり元気だったので信じられない出来事だった。しかし、殿の死に遭い大泣きし、ショックは大きかったに違いない。
同じ月に2つも葬式を出さなくてはならないとは、おまけに喪主である。殿は大勢の方に見送られ葬儀場は一杯で控えの部屋も満員だった。香典返しも足らなくなって慌てる場面もあった。しかし、そのような葬儀はもうできない。親戚の手前申し訳なく、家族葬で親戚だけで終了した。けれど、することは同じなので、さすがにへとへとになった。警察に調べられたのは余分だった。
爺さんの葬儀後のお参りと同時に初七日も済ませ、引き続き、ろうそくを替えて殿の七日参りもしたので、お経は延々と続き、孫はいびきをかいて寝てしまうし、親戚の人も半数は舟をこいでいたらしい。娘が後から言っていた。わたしは一番前にいて、気が遠くなりそうだった。
こんなことあるかなあと、さすがにダメージを受けた感じ。殿の入院中は、娘たちが夕食の弁当を作ってくれて、スープポットに温かいシチューや味噌汁を、代わる代わる持ってきてくれて、しっかり食べていたので乗り切れた気がする。が、ここ何日かは何をどう食べたか。
そんなわたしに、近くにいる娘が孫と泊まりにきてくれた。家族が多いと気が紛れる。娘は「おとうさんは、おかあさんの肩の荷をひとつ降ろすために、爺ちゃんを迎えに来たんやとおもうよ」と、話しながら並んだ遺影の前で一緒に少し泣いた。実は、ずっと泣いていなかった。親子が並んじゃって。まいったまいった。
信心深くないので、あまり考えたことはなかったが、たしかに49日まではいるのかもしれない気がした。