まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

昭和~~♪  補足

2025-01-22 | 弓道
冬の北陸とは思えないほど良い天気。
女子の和服は色とりどりで、花が咲いたようだ。
この時点で光は燦燦と道場の中にあふれている。



床はワックスがかかっていて、蛍光灯の光さえもきれいに反射させていた。
昨年は地震で中止になったので、今回はあたりまえに出来ることに感謝し
た。
いい時間を過ごすことができることに感謝。
健康に感謝。
太陽の光を一杯に浴びて、みんなで時間を共有するしあわせ~。

終わりの挨拶。
「一昨日、キャベツが600円でした。今日の講習会費は500円です。」
価値をどこで見出すか、何を基本とするか、それは各自それぞれの想い。




昭和枯れすすき 弓道編

2025-01-21 | 弓道
昨日はお酒のせいか眠りが浅かったような。
ホテルに泊まったのは正解だった。
6時半に起きてゆっくり朝食を摂り、道場に8時に着く。
すでに、スタッフは勢ぞろい。
講師の先生方と、司会進行の方々と打ち合わせをしてから、矢渡のために位取りをする。昨日の午後、自分の立つ位置は確認できたので後は間違いなくビニルの窓の所に立てるようにと思う。
中たり外れはともかく、所作を間違えないようにと。

県の武道館弓道場で矢渡をするなど考えたこともなかったので、ちょい緊張。
替え弓を道場に近いところに置いて、さて一歩足を踏み出した途端、異常さに驚いた。やばいかも。見えない。
道場の床が光るのだ。好天に恵まれたのは良いが、行く手は斜め前方から冬の低い日差しがつやつやの床に跳ね返り、確か中央にあったはずの赤い目印テープが完全に見えない。見えなくても感覚で行けばよい。
しかし、歩行中も目を開けていられなくて半眼状態。
サングラスが欲しい。
礼をするために顔を上げると、審判席の人たちが完全に白いもやの中に居る。
目がくらむとはこのことだ。


歩数は決まっているのでなんとか本座に到着できた。
跪座をして弓を浮かせて開き足をして向き直り、ほっとした瞬間、おもむろに弓を立ててしまった。
優しい天の声のような講師の先生のささやき「・・先生・・」
あ、襷をかけなくては!
所作の間違いだけはしないでおこうと昨日から心していたのに。
酒の飲み過ぎか、眩しさに負けたのか。
その後、的に顔を向けるとちゃんと的が見える。
良かった~~と、やっと我に返って弓を引いた。
何の欲もなくひたすら引いて、勝手に離れて行った矢が的中した。
だから引手を勝手というのかなと、いらんことを考えた。
ほっとした。甲矢が中ったのでこれで良いわと安心し、乙矢は少し背筋を伸ばして引いた。
離れた瞬間、矢が沈んだかもしれないと思ったが、的の喉に的中。
良かった良かった。この後は、無事に元に戻れますように。
頭の中に昭和な歌が浮かんできた。
「眩しさに負けたぁ~♪」(貧しさに負けた~)あれは、昭和枯れすすき。
後で撮ってもらった画像を見たら、第二介添の方が、西方浄土の阿弥陀如来様のように見える。神々しいとはこのことだ。
私以上に眩しかったに違いない。
束中したのは、阿弥陀如来様のお陰かもしれない。



金沢駅から居酒屋まで3分のはずが

2025-01-20 | 弓道
先週土曜、弓仲間の飲み会があった。
翌日が女子講習会なので、東金沢のホテルで泊まることにして、県立武道館で稽古してから、すぐそばにあるホテルに移動。
スマホで調べると、ホテルから金沢駅まで28分とある。
天気も良いので歩くことにした。スマホがあれば大丈夫。
バス停を辿って行けば何となく行けるはず。
時折、確認すると「2分遅れ」と、出る。時間に余裕があるので「お構いなく」と言いたかった。
地図を3Dで見ると、大きな矢印が3本道に出ていて、ついて来いと言わんばかりだ。右折を指すので、近道なのかと細い道を入って行くと、その矢印はどこかの家にぶつかった。あちゃー、これって最短の方向を指しているのか。
少し速足で、広い道を歩くこと30分。鼓門が見えた。


ライトアップされて、途中で色が変わっていくのできれいだなあと見とれていた。
さて、少し早く着いたので、フォーラスで時間を潰して、6時には外に出た。6時半からというので、早いと思ったが、ビルを探さなくてはならない。
わが町のように、ビルというものがない所ならすぐに見つけられるだろうが。

スマホで調べると、金沢駅から3分。しかし、どっちを向けばいいのだろう。
近すぎて林立するビルに隠れて、どのビルがそうなのか分からない。
歩くと、目的のビルから遠ざかっている。
暗くなってしまって方向が分からない。
もう一度戻って歩くが見上げても分からない。
時計を見たら15分かかっている。
そんな馬鹿な。東金沢から金沢駅まで30分で来れたのにここへ来て迷うなど。信号のところでおじさんに聞いた。
「サンファーストビルってどこでしょう?」
う~ん??分からない様子。「居酒屋の名前は?」
「ころなぎらい・・」
回りの仲間らしい人たちが「コロナ嫌い??アハハ・・」完全にそういう感じ。
だから、居酒屋の名前を言いたくなかった。
と、笑っている人の上を見たら、目的のビルだった。
「ありました!!すみません」
「じゃあ、楽しんで!」と、皆さん明るく目の前の居酒屋に団体で消えていった。

3階の「呼炉凪来」。見上げていたら、弓仲間と入り口で一緒になった。
駅から遠かったわ~。
おでん食べ放題、お酒飲み放題。
明日は女子講習会で矢渡をしなきゃいかんのです!!と、言いながらしたたか呑んで、二次会まで行って、またまた弓の話で盛り上がって、話は尽きない。
審査での珍事や、失敗談。出るわ出るわ。
結局、帰ったのは11時で、風呂に入って寝たのは12時過ぎていた。
この日、位取りだけはしたので、的中しなくてもなんとか所作だけはやり終えなくてはと心つもりだけして眠りについた。
良い結果を望んではいかん。一生懸命やればいいが、一生懸命飲んでしまったので、心掛けが良いとは言えない。
しかし、弓仲間と過ごす時間は楽しいものだ。
明日も、楽しくあればいいのである。

年賀状考

2024-12-24 | 弓道
元旦の朝に年賀状が届いて、家族のみんなで分け、それぞれの賀状の添え書きを読む。
近況報告、安否確認、いわゆる風物詩とも思えるひと時だ。
けれど、最近は「今年で終わります・・」という年賀状終いのあいさつ文がくるようになった。
今までは、会社を辞めて自然と遠のいたり、喪中はがきの後に出さなくなったりと、じわじわ減らしていたが、ここへきて考えが一転した。
しかし、終いの挨拶も、目上の方には出しにくい。
はがき代は今年から100枚出せば8500円である。
当然の計算だけれど年金生活にはちょっと痛い金額である。
雪用の長靴を買っても、おつりがくる。
キャベツが400円とか、コーヒーが日々値上がりし、正月の餅も高い。
ガソリンも・・・あれもこれもだ。

道場で、お互いに初射会で会えるから出さないでおきましょう。と、言うと皆ほっとしたような返事。
LINEでやり取りできるので、友達仲間にはLINEで。
そうなると、親戚の安否確認に絞られる。
それでいいのかもしれないね。
元旦の朝は、こたつスマホでピンコロやりましょう。
うちは、こたつもないのだけど。
こたつみかん、家族団らん。そういうのなくなりました。
正月の行事はパソコンに向かって、正月明けの弓道の総会案内をつくる仕事。
わが協会は、出来ることを分担して皆が関わるのでありがたいことだ。
しかしながら、往復ハガキも高いし、なるべく道場で手渡し。
メールでの案内、返信ですませられる人がまだ少ない。
これだけ進歩した世の中にあって少し前進しなければと思う。
ますます郵便から遠ざかる。


吉川晃司が弓を引く

2024-12-17 | 弓道
先日、範教錬士会があった。
1日目の夜に食事をした後で、吉川晃司が弓を引いているという話になった。
実は、12月初めに美容院へ行ったときに、スタッフが鏡の前に週刊誌と婦人画報を置いて行ってくれたのを手に取ってみると、婦人画報の表紙が吉川晃司が坐して執弓の姿勢をしている!
『婦人画報』創刊120周年記念スペシャルで、14ページも割いている。
中を見て会の姿に驚く。このまま離したら的中だろうと思える。

「弓馬術礼法小笠原源流」に教えを請うて6年とのこと。
流鏑馬神事を行うのだから、馬にも乗れなくてはならない。



スマホでその写真を見せると、講師の先生はなかなかいい会だとおっしゃり、それを覗いて、白髪交じりのO先生が「俺やん」と、つぶやいた。
確かに雰囲気は似ているねと盛り上がったら、翌日の講習会の中で、ついに「きっかわ君」と、範士の先生から呼ばれていて、事情を知らない方には何で「きつかわ」?誰?と、思われたことだろう。



なんと、娘からLINEが来て『婦人画報』買ったら、吉川が弓を引いていたよと知らせてきた。同じことを思っていたのだなと。
久しぶりに買ってしまった。格調高い婦人画報。

『弓道教本第一巻』と、『日本アルプス縦断記』

2024-12-10 | 弓道
仕事の関係で、とんでもない古書に出会うことがある。
今回、大正6年7月23日発行の『日本アルプス縦断記』

その『日本アルプス縦断記』を、手に取って、著者を見て興奮した。
一戸直蔵 河東碧梧桐 長谷川如是閑

児童文学者、勝尾欣也氏の『山へ登ろう。いろんな山へ ー 子どもたちへの深田久弥のメッセージ』(桂書房) 2012 の中に紹介されていた深田久弥の書いた『山の本』という文章が、紹介されていた。
久弥は大正7年ころ、生涯忘れられない貴重な出会いがあった。
「僕が始めて山の本を買ったのは、中学生の時で、『日本アルプス縦断記』田舎の町の本屋でこの本を買った時の喜びは、今も忘れられない。日本アルプスを大勢の人夫を率いてテントを張りながら踏破するという記事は、田舎の中学生にはまるで夢のような手の届かない話であったが、興奮した。」と書かれている。

さて、私の興奮は『弓道教本』と、『日本アルプス縦断記』のつながりだ。

我が家には『弓道教本第一巻』が、4冊ある。
殿と私が、若いころインデックスをつけて勉強した古い教本。
その頃は、昇段審査の学科問題は、どんな問題が出るか分からず、当然教本を見ることはできず、とにかく読みまくって勉強しなくてはならなかった。
錬士の審査では面接もあるし、何回も読んでいるうちに、インデックスがすり減ってなくなっているのが私の教本だ。
今は、コロナ禍もあって、前もって問題が提示され、受審者は何を見て書いても良いので、殆ど完璧な回答を引き出せる・・はずである。
さて、初版から何回も改訂され、改訂増補が出され、2冊目を買わなくては内容が微妙に変わっていたら、これをもとに指導するので必要である。
ところが、最近表紙の色が変わって、またまた買い替えた。
正誤表や、写真の間違いシールを貼るというおまけがついた。
それでも50年来変わらないのは序論である。
「日本の弓の伝統とその性格」というところで、「日本の弓の尊崇性」に、弓体の美として、長谷川如是閑氏の『礼の美』からの引用文が載っている。
ずっと謎だった。この人は誰?そして、この文章がずっと載っているということは、この文章以上に的確に述べている文章がないと言える。
その長谷川如是閑が、アルプス縦断!おまけに俳人、河東碧梧桐もいっしょに。



さて、健脚揃いの3人とは何者なのか?
一戸直蔵は青森出身で東大星学科卒の理学博士、アメリカの天文台で3年間星の観測に従事し、東大講師を経て大正4年からは「現代之科学」誌主宰を務める38歳。
碧梧桐は松山出身で正岡子規に師事し、子規没後は自由な俳句表現を主唱し、当時は「日本及日本人」誌の俳句選者で登山好きの42歳。
如是閑は東京生まれの浅草育ち、イギリス法学を学んだジャーナリストで、当時は大阪朝日新聞の社会部長をつとめる40歳だった。


登山の話だけでも、弓道教本だけの話でも如是閑についてスルーしていたかもしれない。
読んでみよう。あんなにも美しく弓を表現した人の山を。
きっと、深田久弥もわくわくしたに違いない。
しかし、旧漢字が並んでいる。わくわくの前に「うーん」とうなる箇所が。










遠的稽古を横切る

2024-11-23 | 弓道
三十三間堂の遠的大会の成人の部に出るというM君のために、毎週遠的の稽古のお付き合いと指導を、協会仲間と共に付き合った。
何年ぶりに引いてみたら、昔のままの的付で中ったので気を良くして指導に熱が入った。



途中で、恐ろしいことがあった。
おばあさんが、やわやわと歩いて横切っているのだ。
線路と平行に作られている遠的場で、この場所へ入るために柵があり、コーンも立ててあるが、ガード下からひょっこり出てくるとは思わなかった。
よく見ると道路がある。


雨があがったばかりで、どんよりと曇っているので、うつむき加減に歩いていたら気づかないのだろう。
急いで、体育館の管理の方に、コーンとバーを借りて、通れないようにした。
しばらくして、そのおばあさんが用事が済んだようで、今度は反対側の柵から入ってきた。

柵も半分締めて、コーンを立ててあるのに渡ろうとする。
たぶん、何をしているか分からないのかもしれない。
めったに稽古しないのだから、普通に行き来していたのだと思う。
声をかけて、遠的の矢に刺さると危ないので、通行できませんが、今止めますから、その間に通ってくださいとお願いした。
「あら~、いつ死んでもいいんやけど~」と、言うのだが、それはちょっと困る。
年を取ると、自分の見たいものだけしか見ないので気を付けなくてはならない。




尺骨と橈骨

2024-11-07 | 弓道
弓道を長く続けていくことは、老化との折り合いもつけていかなくてはならない。体力の衰えと共に弓力も落としていく必要がある。
それは、今後の弓道人生に必要で、弓力と技との関わりを調和させていかなくてはならない。人生100年とすると、まだ30年ある。
正確には31年。
そのことを、まざまざと見せつけられたのは、私のねんりんでの的中の悪さだ。ただ「ねんりん」とは言わない。若い時の勢い。潔さ。強気。そういうものがない。

弓力を落としたときの矢の重さも考えたいが、まずは自分でどれだけ引き込めるのか。
先輩が「金欠、筋欠」と、冗談を言っていたことが分かるようになってきた。
力で引くのではないので、骨の働きと筋肉の働きを知る必要がある。
そこで、今更だが人体の本を見ると、橈骨が親指側で、尺骨が小指側である。
なので緩まないようにするには、軽く小指を握る必要がある。
また、肘関節は尺骨が上腕骨にはまり込むようになっている。
ここを緩めないことだと分かる。
そうなると、いわゆる下筋を張るということが大事であることになるが、今まで下筋を筋だと思ってそれを張ろうとしていたが、違うような気がする。
骨で引くというように、尺骨と上腕骨を緩めない。
その筋の張り方が、雑巾をどう絞るかのように、人によって巻き込み方が違うのではないかと思う。
押手肘の内側に盃が乗るようにと言われるやり方が最近指導される形だが、若い頃は、肘を立てて上押しをするよう指導され、すっかりそのような腕になり、なかなか下筋を張りづらい。
指導にあたり、肝心のところで私が迷っていることが、不甲斐ないと思う。
人によるのではないかと言ってくれる先生もおられるし、それならそれで確信の持てるような裏付けが必要だ。
尺骨と上腕骨は緩めない、平たく言えば肘を緩めないことが必至であり、小指が逃げると完全に緩むことも分かったが、もうひとつはその状態でどう離れて中てるか。
いわゆる、骨で引くということの重要性と、その後の離れをどう誘発するか。
その前に、足踏みから基本通りになっていてこそとなる。
深すぎる。深いということは、泥沼に沈むような気も起きる。
助けて~と、言いたくなる。



完全昭和人間

2024-11-01 | 弓道
小さなことに気づいてしまう。些細なことだけど、どうも違うと感じる。
高校生の孫に「高校生を教える時、昭和の事言うな」と、諭されるが
武道は礼から。言わなくてはならない。

さて、もうひとつ気づいたのは、またまた引きずる訳ではないけど、ねんりんの時に、Kさんが某市ののし袋の激励金を見せてくれたのを「うらやましい~」と言ってスマホで撮った。
その画像を後で見て「激励費」と、熨斗と水引の上に書かれた文字に気づいた。
その時は、いいね~と言って気づかなかったのだけれど。
上げるのは「激励金」ではなかろうか。
貰えないことから比べたらよほどありがたいのであるが。
だけど、世の中が少しずつ礼を失する方向へ流れているような気がしてならない。
そこはおおらかに受け取ろう。と、言っても振り込まれるのだが。
たぶん遅れて「激励費」が入金されるだろう。


雨で流れた開会式

2024-10-30 | 弓道
10月18日、壮行会を終えて加賀から乗ったバスと違うバスに乗り換えて弓道仲間全員揃って鳥取まで8時間。三朝温泉に到着。
三朝(みささ)温泉は放射能泉に分類される国内でも希少な泉質で、ラジウムが分解され生じるラドンによって新陳代謝が活発になり、免疫力や自然治癒力が高まるとのこと。「三晩泊って、三回朝を迎えると元気になる」ということが、分厚い総合プログラムに書かれていた。
残念ながら、ここは一晩しか泊まらない。
ステロイドの薬は、19日の朝まで飲まなくてはならないので、わたしとしては夏の間ダメージを受けた身体を、ここで湯治したいものだと思った。

さて、翌朝は開会式には指定の袋以外は、次のホテルへ運ぶので、全員送り状を貼って、朝の6時までにフロントに出すようにとのこと。
遅れては大変と、風呂から上がって、必要な荷物以外を夜中に出しに行った。
フロントにはすでに、いくつものスーツケースが並んでいた。
翌朝、7時30分集合。バスに乗り開会式へ。
お任せで、一体どこへ行くのかも分からず、わいわいと遠足気分だ。
ヤマタスポーツパーク(鳥取県立布勢総合公園)到着。
ところが、降りる時に雨が降ってきた。ビニルのレインコートを、ザックの上から着る。背中に担いだままではN氏はボタンが止まらない。

各県の受付のテントへ行く。そこには、県庁の方がスタンバイしている。
大変なお仕事だ。この年寄りたちを誘導しなくてはならないのだから。
何しろ、ねんりんに出場するくらいだから、身体も口も達者だ。



雨足が強くなってきたので、開会式は中止となり、11時にお弁当が来るまでどこかで雨宿りをしなくてはならなくなった。
そこで、我らがリーダーは、開会式のグランドではない隣の野球場の屋根のあるベンチを探してくれて一旦休憩。ベンチで記念撮影。
珈琲でも飲みたいと、下へ降りてたくさんのテントを回るが、お土産と食べ物ばかりで、コーヒーが見つからない。
雨は少し小やみになった。
アトラクションの用意などされていたに違いないが、わたしたちはひたすら弁当待ちだ。
凄い人数分の弁当だろうね。と、話していた。
総合プログラムには、大会参加予定人数延べ約40万人(観客含む)
さて、そのうち開会式にいる選手は何人か?石川選手団は役員含めて162名壮行会で言われた。
各都道府県と政令都市を足して約160名を掛けると・・・

なくなってしまったセレモニーの数々。
炬火点火セレモニー
皇族御臨席
ひたすら、野球場のグランドに降る雨を眺めていたわたしたち。
コーヒーもゲットできずに戻ると、旗を振っている若者がいて、そこで交流記念写真。きっとアトラクションをする予定だったのだろう。




雨が上がって動けるようになった。
11時に引率者のK氏とIさんの3人でお弁当を取りに行くが、まだ届いていない。


各県は次々もらって去っていくのに、石川県と千葉県の弁当がまだ届かない。
12時になってようやく駐車場に届いて、それを野球場のみんなの元へ届けて「高級料亭のお弁当なので遅れました~~」と、言ってしまって、ほんとかい?と。
しかし、この大量の弁当は、いろいろなところから運ばれるので同時に到着は難しいだろう。おまけに、バスがどんどんやってくるので、たぶん渋滞していただろう。お疲れさまでしたと言いたい。
バスは、鳥取県だけでは賄えないので、広島や島根のバスもあった。
「安来(やすぎ)は島根だし、安芸(あき)って広島だよね」大変だね。
これが経済効果につながるのだろう。イベントの力。
集合時間13時に間に合うように駐車場へ再び移動したのに、そこで待っていてくださいと濡れそぼって待ちぼうけ。


すごい数のバスである。
開催地の方々は大変なことだろう。
再び雨が降り出して、おまけに風まで吹いてきてバスの間に隠れて立っていた。
「どこへ行けばいいんや!」
「雨の中、いつまで待たせるんや!」
「まだバスが到着せんて!!時間分かっとるやろ!!」
あーだこーだ。年寄りは我慢しない。県の係の人はスマホで問い合わせるが、この込み具合では、連絡も混線状態だろう。
どうどうどうと馬をたしなめる様に、まあまあまあと言ってはみたが、言うだけ言わしておかなくては収まらないのが年寄りだ。
他人事ではない。自分もそうかも・・。どうするん。弓道の仲間たち。
この時点で、競技別にバスに乗るのだが。他県の方々も待ちぼうけ。
どうなっとん。




貰えなかった激励金

2024-10-29 | 弓道
全国大会(国スポ、インタハイ、ねんりんピック)などへ行く時は、県内のどの市町も激励金を選手に贈る。
わがスマートシティも、県事務局からの報告があるので、もらえると思っていた。
しかし、ねんりんピックの激励金は未だ貰らっていない。

選手仲間が「加賀市はいつもらえるんや?」と、9月の修練日で話していた。
金沢は大勢いるので10月初めに各自が市へ取りに行くそうだ。
白山市は激励会をしてもらって市長から頂くそうだと状況を聞いた。
それなのに、9月末になっても加賀市は音沙汰がないので、過去にねんりんピックに出場した先輩方々に聞いたら、市からお知らせが来て、市長から手渡され新聞にまで載ったとの事。
スポーツ課に尋ねたら、全国大会の激励金が欲しいならHPに届出書があるのでプリントアウトしてだすようにとのこと。
そこには、大会要項や選出結果などを添付せよとあった。
要項は手元にないので、鳥取県のねんりん2024を検索して、弓道の部分をプリントアウトした。選出結果は県の弓道のHPの大会結果を出した。
本来は要項も選手名も、各市町に県の事務局から届いているはずなのだが。
今までは黙っていてももらえたのに、今年からこうなったとのこと。

さて、届出書を持って、山中のIさんの分も一緒にスポーツ課へ出しに行くと、受付の方に「振込先を書いてください」と、言われた。
その書類には「直接受け取れないので、次の口座に振込をお願いします」と、あったので、取りにくるつもりなので書かなかったというと、「今年から振り込みになりました」という。
それなら、そう書いて欲しいと思ったが、文句を言っても仕方ないので、後ほどメールしますと言って帰った。
Iさんには電話で聞くとのことだった。
そして、メールには「10月18日に振込予定です」との返事があった。
その日は出発の日だから、鳥取から戻ってから確認すればいいわと思ったが、他の市町はのし袋で頂いて、温かく送り出してもらっているのにえらい違いだと思った。
祝い金を振り込むって、温かみはないし、気持ちもこもらないよねって言うと、仲間の人は「加賀市は貧乏だからお金を出したくないんやろ」ってことになった。
さて、月末に通帳の付け上げをしたが、10月18日に入金の履歴はない。
あれっ?違う銀行の口座を書いたのかな?と、自分を疑った。
どこにもなくて、IさんにLINEした。
「入ってる?入金履歴がないんだけど?」
「ありません。さすが市役所やね」と、皮肉の文面。呆れたのだ。
企業やお店なら約束した日に入金されなかったらやばいよねって。
でも、売買契約した訳ではないし、契約不履行でもないし、多額の税金を払っている訳でもないし、「こっちが出してあげるんだから、がたがた言うな」ってとこかな。

私たちは、5千円や1万円が欲しいんじゃない。
代表として選ばれて良かったですね、行ってらっしゃい。という気持ちの形だと思っていた。

ここまでくると腹が立ってくるのだがそこは押さえて、メールで入金確認できなかった旨と、いつになるのかと尋ねた。
悪びれた感じもなく、さらっと
「管轄課が違うので、書類のやり取りで遅くなり、11月20日になります」
やってくれるは、スマートシティ。
これは、職員が悪いのではなく役所全体の感覚の違いなのかもしれない。
わが市はマイナンバーカードの普及率は73%で全国的にも高い方だ。
温泉があり「サウナ特区宣言」とか、「デジタル田園健康特区」に認定された。
これは国家戦略なのだそうだ。だから、市民に目をむけている場合ではないのだろう。
実際、市職員は能登の応援にも行っているので大変なことではある。
しかし、そういうこととちょっと違う。

最後に、「もういらないわ」と、言ったら思うつぼなのだろう。
スマートシティという名の「消滅可能都市」なのだから、ほんとうは1円も出したくないのかもしれない。
いただく方は激励金だけれど、出す方は激励費という費用である。
振り込まれるのは激励費だ。

ちなみに国スポやインタハイは壮行会があるが、その時も目録だけで、激励金は振込だったそうだ。
最後に、今回スポーツ協会の方には本当にお世話になって、親身に相談にのってもらえて感謝の気持ちでいっぱいだ。

ねんりんピックへ

2024-10-27 | 弓道
18日朝、5時半に加賀市役所に他の競技の仲間4人が集まった。
たまたま弓道から山中のIさんと出ることになったので、ピックアップしてもらえて助かった。
家には、婆様が一人では心配で、金沢の妹にお願いして3日間泊めてもらえることになった。本当にありがたいことだった。
5日間のうち3日間は家が空になるので、車を防犯のためにガレージに入れず在宅しているように外に置いた。
この頃の物騒な世の中、不在というのを公に知らせたくない。
娘にお願いして、朝の新聞をポストの奥へ押し込んでもらうことにした。
新聞が溜まっていたら怪しく思われる。
という訳で、ブログにアップするのも控えた。
殆ど訪れる人のいないブログではあるが、どこで誰が見るとも限らない。

全国健康福祉祭という名前の「ねんりんピックin鳥取」ねんりんということは歳を重ねた人の全国大会である。
弓道の場合は、60歳以上のチーム5名に、女性と70歳以上の人一人ずつ必要で、控え選手男女を含む7名。
ご苦労なのは引率者の方である。すべての事務と、訳の分からないわたし達を連れて行ってくれる。

加賀市役所から小松や美川で選手を乗せて、1時間半かかって県庁に到着。
各スポーツや将棋などの選手が県庁に集まって、知事の激励を受けた。
石川県勢142名の選手と、役員20名。
被災地の代表の私たちは全国の方々に支援のお礼をとのこと。
そうだよね~。こんな風に出かけられることはありがたいことだ。
知事に成り代わり感謝を伝えなくては。弓道仲間に。

隣の方はマラソンで10キロ走るとのこと。予選はなく1日は観光だという。
私たちは2日間あるので、観光は微妙だ。
それにしても、みんな元気そうな年寄り達だ。
わたしは、後2日分のステロイドとビタミン剤とかを入れて出発。
今回、また疲れて耳鳴りがしたら嫌だなあと、完全に年寄りな心配。

乗ってきたバスから荷物を移し替えて、各競技別にバスに乗る。
そして、また加賀を通っていざ鳥取県の三朝温泉まで8時間の旅。



聴力検査

2024-10-17 | 弓道
狭い箱のような検査室で、静かにしていても、ジュワ〜ンと音がするような、これは頭の中からの音なのか、世の中の音なのか、小さいゴミのような音。
ゴミは音など立てないけれど、無音ではない。
その中で検査は行われ、聞こえ始めると同時にボタンを押し続けなくてはならない。
反射神経も大事だ。
聞こえ始めを集中して構える。
終了後、看護師が、すごく良くなりましたね〜と。

さて、難聴のせいではないが、聞き間違いがある。
夕食の支度をしている時、何気なくテレビの音が流れている。
台湾と日本の外交の場面。
「台湾の首相の肉体関係・・・」えっ!肉体関係?
まな板の上の包丁が止まった。
テレビ画面に目をやったら、「日台関係」だった。だよね。
これは難聴のせいではない。


最後の修練日

2024-10-15 | 弓道
鶴来へ行く最後の修練日。
婆様の昼のおかずを作りながら、朝食の準備をして婆さんの分だけ運ぶ。
今日も早朝から畑にでかけているので、スープは保温ポットだ。
作物は作っていないが、毎日花を植えたり様子を見に行っている。

ステロイド 朝8粒+昼4粒 3日間 朝6粒+昼2粒 3日間
ついに、朝4粒だけでよくなった。
その他に、ビタミンや胃薬など。
ゆうべも、薬のせいか熟睡できず、かといって入眠剤を飲むほどでもなかったが、夜中の3時とかに目が覚めてごろごろしていた。
起きると、ぼんやりしたかんじ。


その後、孫を温泉駅まで送ってから食事をする。
孫を送る途中消防車とすれ違う。
そういえば家を出る時変な臭いがしたと孫の言う。
後で隣の町で住宅火災があったことを知る。
8時40分にゆっくり出発。
鶴来まで50分かかる。到着した時点で、お疲れ~というかんじだ。
強化練習をすると、あちこち痛んだり、疲れが出たりするお年頃。

優勝目指して頑張るぞ~のメンバーではあるのに、わたしが足を引っ張っている。
いつも高的中のN先生は、今日は1本も外さなかった。
優しいN先生は、境港へ行って、ゲゲゲの鬼太郎に会いに行こう。
観光しよう!と、観光モードの話になった。
送り出してくれるゆうゆうのお歴々も、「楽しんで無事帰ってきてください」と、優しい仲間である。

弓と矢をバスには載せられないので、宅急便でみんな一緒に今日送るということで、しばし弓具とお別れ。


結団式ランチ。台湾ラーメン。辛い~~。
みんなと食べる昼食は楽しい。
Yさんの奥さんのS子さんも来てくれて、本当に楽しかった。
若い時からずっと続けている仲間と過ごす時間は本当にうれしい。


午後は、高校の部活指導。昇段審査が近いので、ほっておくわけにもいかず出向く。
弓を始めて半年の彼らは、今一生懸命体配を覚えようとしている。
わたしよりもずっと思い切りのいい離れをする。
伸びやかな残心を残す。

帰って夕食の支度をする前のわずかな時間、今日初めてソファに腰かけたら、疲れがどっと来た気がして夜の稽古はやめることにした。
考えたらまだ治療中だしと言い聞かせる。たぶん、逃げている。



横皆中

2024-10-02 | 弓道
なかなか全員揃わない合同練習。
強化すると無理が来る年齢なので、強化練習とは言わず、修練日という。
ねんりんピックまでにもう半月となってしまった。
前回の稽古では、風が強く、大きく前に外れて「風のせいか・・」と、もらすと「違う、違う、風のせいではないよ・・」と、あっさり否定され、そこから負の連鎖が始まる。
中てようと、押手に力が入ったり、妻手がしっかり引いていないと思い、またまた手首に力が入ったり、遂には呼吸困難かと思うくらい息が止まっていたり。

9月29日に無指定受審者講習会で高校生を教えながら、分かったような顔をして、こうしたら中るよと指導していたのだ。
ちょっと助言すると、高校生は素直なので良くなって中ったりする。
理屈は分かっても、なかなか難しい生徒もいる。
わたしも、この日60人いて時間がないため、模範射礼が出来なかったことに少しほっとしていた。高校生の前で引く時は、絶対必中と思う。

こうすればよいと自分で思っていることが、具現できなかったり、自分の悪いところに気づかなかったりして、夜の稽古で四苦八苦して10月1日の稽古を迎えた。
1回目の立も2回目の立も、4射1中だった。的の周りを回る。
人工衛星だ。大阪の陣ではないが、まずは外堀から。
特に2回目は、大前が皆中したにも関わらず、チーム全体で9中だ。
半分けにもならない・・。これは、2番目のわたしのせいだ。
大前が必ず入れるのに、2番が落とすとはチーム全体に影響出るね。

3回目、少し押手を伸ばしてみた。頬付けもきっちりと。
大前相変わらず1射目的中。2番・・珍しく的中。と、全員的中。
初めてチーム全体で、横皆中した。憧れていた横皆中。
高校生の試合などで、インタハイ予選で横皆中すると拍手が起きる。
一般の試合で5人チームはないので、めったに見ることが出来ない。
なので、自分が体験できるとは思わなかった。
しかし、その後大前が珍しく外した。ここで入れてこそと思ったが、入ったのは力だけ。その後、全員外れて、あえなく横皆それ。
やっぱりわたしのせいだ。チームの気がそがれてしまうのではないか。
3本目、大前は相変わらず的中。
2番のわたしも的中。と、また全員的中。この立、2度目の横皆中。
見てくれていた副部長方々が、「よし!!」と、声があがった。
最後の1本も入り、わたしは3中。チーム全体で13中。
まずまず。これが出るといいよね~~。
本番はそう甘くはないが、ず~っと中らない稽古も寂しいじゃん。
と、いう訳で初体験が出来て楽しい稽古だった。
鶴来から帰り、昼の感触を再現させたくて、疲れていたが道着に着替えると蘇るとばかり夜も稽古に出かけた。