弓道を長く続けていくことは、老化との折り合いもつけていかなくてはならない。体力の衰えと共に弓力も落としていく必要がある。
それは、今後の弓道人生に必要で、弓力と技との関わりを調和させていかなくてはならない。人生100年とすると、まだ30年ある。
正確には31年。
そのことを、まざまざと見せつけられたのは、私のねんりんでの的中の悪さだ。ただ「ねんりん」とは言わない。若い時の勢い。潔さ。強気。そういうものがない。
弓力を落としたときの矢の重さも考えたいが、まずは自分でどれだけ引き込めるのか。
先輩が「金欠、筋欠」と、冗談を言っていたことが分かるようになってきた。
力で引くのではないので、骨の働きと筋肉の働きを知る必要がある。
そこで、今更だが人体の本を見ると、橈骨が親指側で、尺骨が小指側である。
なので緩まないようにするには、軽く小指を握る必要がある。
また、肘関節は尺骨が上腕骨にはまり込むようになっている。
ここを緩めないことだと分かる。
そうなると、いわゆる下筋を張るということが大事であることになるが、今まで下筋を筋だと思ってそれを張ろうとしていたが、違うような気がする。
骨で引くというように、尺骨と上腕骨を緩めない。
その筋の張り方が、雑巾をどう絞るかのように、人によって巻き込み方が違うのではないかと思う。
押手肘の内側に盃が乗るようにと言われるやり方が最近指導される形だが、若い頃は、肘を立てて上押しをするよう指導され、すっかりそのような腕になり、なかなか下筋を張りづらい。
指導にあたり、肝心のところで私が迷っていることが、不甲斐ないと思う。
人によるのではないかと言ってくれる先生もおられるし、それならそれで確信の持てるような裏付けが必要だ。
尺骨と上腕骨は緩めない、平たく言えば肘を緩めないことが必至であり、小指が逃げると完全に緩むことも分かったが、もうひとつはその状態でどう離れて中てるか。
いわゆる、骨で引くということの重要性と、その後の離れをどう誘発するか。
その前に、足踏みから基本通りになっていてこそとなる。
深すぎる。深いということは、泥沼に沈むような気も起きる。
助けて~と、言いたくなる。