山から下りて急いで買い物をして昼食の準備だ。出がけに鶏肉の煮物を作っておいた。
ぶりの刺身が安かったので買ってしまった。もやし炒め。麩と菜の花の味噌汁。
午後は父の見舞いにいかなくてはならない。山歩きをすると身体が軽くなる。軽くなるといえば、わたしの前にいた半袖のお兄さんは、みるみる遠ざかり、わたしが3分の1ほどしか登っていないときに下りてきたので、まるで風のように軽やかだと思った。
山から下りて急いで買い物をして昼食の準備だ。出がけに鶏肉の煮物を作っておいた。
ぶりの刺身が安かったので買ってしまった。もやし炒め。麩と菜の花の味噌汁。
午後は父の見舞いにいかなくてはならない。山歩きをすると身体が軽くなる。軽くなるといえば、わたしの前にいた半袖のお兄さんは、みるみる遠ざかり、わたしが3分の1ほどしか登っていないときに下りてきたので、まるで風のように軽やかだと思った。
朝、kenを学童へ送っていく。kenは今日で最後の学童で、お楽しみ会らしい。「今日で学童卒業やね」というと「うん」と、嬉しそうだった。
わたしは、学童へ送ったその足で鞍掛山へ向かった。金曜だが車は20台止まっていた。半袖のお兄さんの後ろをついていくが、初めの5分で息が上がりそうで着いていくのをやめた。
タムシバが咲いている。
いつものペースで登ると、途中女の人が休んでいて、お先にどうぞというので追い越した。もう一人の年配の女性もお先にと言うので追い越した。それでも、そんなに私も速くないのでお先に行くのも少しプレッシャーになるが、鞍掛山ならなんとかなる。
途中、ショウジョウバカマが、咲いていた。
頂上には山桜がちらほらと咲きかかっていた。
大日山は見えたが、白山は残念ながら姿を現さず。
上り53分。下り40分。何とか昼に間に合いそうだ。kouと婆さんの昼ご飯を作らなくては。
ここは水が豊富で、登山靴を洗って帰れるのでうれしい。
「
船着き場の桜は早咲きで、母を連れて見に行った。
母は「通帳がなくなった・・」と、しょげていた。時折、どこかにしまい忘れるので、いつも同じところに置くようにというのだが、本人も忘れると自分で落ち込むので、通帳は取られてもお金は下せないのだから大丈夫。ないないと言って探すとなかなか見つからないから、探さないでいると、ひょっこり出てくるから・・と、言い聞かせ、どうしても必要になったら新しいのを作ってもらえばいいから。と、言うと楽になったようだった。
父の見舞いの後、花を見に行った。まだどこも咲いていなかったので、喜んでいた。
夜、電話がかかってきた。「あったわ・・。探すのをやめて畑へ行って、帰ってから引き出しを開けたら病院の領収書にはさまっていた・・」と。良かった、良かった。
春休みの孫たちは、昼食を食べにうちに来る。娘の家まで歩いて3分なので、自転車で来る彼らは、離れにある食卓ぐらいの感覚だろう。
今日のメインは、冷凍の鮎をいただいたので南蛮漬けにした。先日も南蛮漬けだったなあ。揚げ物は出汁入りの甘酢に入れるとさっぱりするが、孫たちはこのまま食べたいのではなかろうか。半熟卵を牛肉で巻いてみた。割れそうなのをそっとフライパンに入れる。付け合わせにきんぴらごぼう。
ごはんとみそ汁を添えると、kouは「ザ 日本の食卓や」と、言った。中学になるkouと、5年になるkenの食欲は驚くほどになった。牛肉を箸で割ると卵黄が流れ出て、それに肉を絡めて食べる。kenが「トロけた・・うまそーーー」この具合が難しい。柔らかいと肉を巻くときに破れる。固ゆででも良いのだが、やはりトロッと出るほうが楽しい。
「チコちゃんに叱られる」の中で「なぜ緊張すると口が渇く?」というのがあった。
命にかかわる状態では筋肉に血液がいってしまい、消化器官には不必要なので血液が回らず当然唾液も減るということ。
なので、答えは「なんとか生き延びようとしているから」というものだった。
そういえば、あの日すごく喉が渇いていた。死にそうだったのか。
口を開けて寝ていて口が渇くのは、自ずから危険な状態を招いているのか。
では、逆に美味しいものを前にすると唾液が出るということは、一番襲われやすいということだ。
そういえば、過日の決勝戦に、鮎の甘露煮を思い浮かべるなどとは、一番筋肉が緩む状態だったのだ。なんという無防備な状態であること。
それでも、美味しいものを前にすると幸せで「もういつ死んでもいい・・」というような気持になる。しかし、美味しいものを食べるとなかなか死ねないのである。人生は矛盾だらけだ。
今日の昼はチャンポンメンを作って婆さんと食べる。この瞬間100歳まで生きていそうな気がした。
山の文化館の庭に高山植物が咲いている。
ミスミソウ。雪割草ともいう。小さくて踏みつぶしてしまいそうだ。
キクザキイチゲ。キクザキイチリンソウともいう。九山忌に俳句の方々がみえて、白い花を見つけて感激していた。
その横に、ショウジョウバカマが咲いていた。4月の後半には富士写ケ岳にも咲くだろう。
雪解けに咲く花は山登りの楽しみのひとつだ。シャクナゲも去年は裏年だったので、たぶん今年はたくさん咲くのではないかと思う。
母から電話があった。フキノトウの畑に4人のおばさんが入っていたので、注意したら「こんなにたくさんあるのに・・」「蕗の料理はうまい・・」だのというので、うちの畑に無断で入らないで欲しいと言うと、「知り合いのタクシーの運転手が、ここの婆さんをいつも乗せていって、よく知っているって言うた・・」と、言われたことが悔しくて、電話してきたのである。それは不法侵入である。タクシー会社へ電話することにした。発端は運転手の言葉だから「誰を乗せたというのは言わないで欲しい」と、伝えた。「警察にいうことでしょう。看板を立てたらどうや」と、言われたので、それはこちらが今から対策することですと言って切った。もちろん、すぐに母のケータイに違うタクシー会社の電話を登録した。
便利軒さんに頼んだら、すぐに看板が出来上がった。
すでに、うちの奥に畑を持っているTさんが、立入禁止と書いたコーンを置いてあるのに無視して入って来たのである。
景観が悪くなってしまったが、仕方がない。トラロープは100均で買った。今度弟が来たら、ばっちり張ってもらおう。
寒い日となったので、中に入ってもらって、しばらく母と3人で話をした。隣の空き家に不審者が半年住んでいた話や、車泥棒が行き止まりとは知らず警察に追われて家の前で捕まった話や、泥棒に金庫を盗まれた話をしたら、「ここのうちは事件満載やね・・」と、笑われた。母も心細かろうと思うが今日は看板屋の若いお兄さんや、便利軒さんがきてくれて喜んでいた。この看板はお守りだからね。と、言い置いて帰る。
春になると、わらびも筍も出る。知らない人がどんどん入ってくるのは怖いのである。欲しい人にはいくらでもあげるが、知らない人が無断で採りに来てまた事件が起きたら困るのである。
TVの「自然百景」でオジロワシが執拗にカモメを追いかけ、遂に捕まえて食べ始めたのを観た。そこに、10羽ほどのカラスが、分け前にありつこうと寄って来てくちばしを出す。
カラスは図々しい。しかし、オジロワシはカモメを食べるのに、なぜカラスを食べないのだろう。カラスの方が多いではないか。いや、人間も鶏は食べるが、カラスは食べない。
先日、TVで公園の水道をひねって水を飲むカラスが紹介されていた。絞るとか、ひねるという行為は人間だけだと聞いたことがある。このカラスは水を飲んだり水浴びをしたりする為に蛇口の調整もするのだ。天才カラスのような頭のいい動物は食べたくない。そして、黒いのはまずそうだから食べたくない。
人間も、「食えないやつ」という例えがある。「煮ても焼いても食えない」と、いう。あいつは金魚だ。煮ても焼いても食えないというのは可愛いが、カラスは煮たり焼いたりしたくないではないか。食えないというのは、困ったさんをいうのだろう。
会社で課長が熱が入り過ぎて、反対意見に食ってかかったり、今はその話をしていないと横道にそれた話を一刀両断で切り捨てたり、人の悪口が出てきたりしたらおしまいだ。食えない会議となる。話がややこしくなることや、会議で脱線したりすることも会議なので、意見を戦わせることも大事だ。賛成意見だけなら会議をしなくていいわけだから、それは実のある会議となる。しかし、会議を制限時間内に終わらせなくてはならないのが一番難しい。報告だけなら会議はいらないのだし、意見を言い合えば時間が足らない。自分の主張をした後、取り下げた方の気持ちをきちんと汲んでいなかったことを後悔したりすることもある。
自分が食えないやつにならないように気を付けなくてはならないと思うが、それこそ、誰も食いたくなかろうし。鳥なら自分は何になるのだろうと思った。白鳥や鴨は長い旅をしなくてはならないし大変そうだ。雀くらいが丁度いいのだろうが、鳥になってまでもうるさいと言われるのも辛い。やはり、人間でいることは幸せである。
高校の同級生と食事会。Tちゃんの快気祝いという事で山代の割烹で待ち合わせた。同級生というものはいいものだ。当然ながら生きて来た年月にずれがない。そして、高校の時の同級生は小中学校と違って、半分大人みたいな感じだ。人生いろいろが始まる頃だ。でも子供みたいで危うい。
前菜を頂いた後、近況報告後、話はどんどん盛り上がり、もて期話になり、失恋話など、一体いつの話か・・笑える。半世紀前の誰にも話したことがないようなことまで。ノンアルコールで口を滑らせた衝撃の告白だ。すでに時効どころか、記憶も曖昧になっている。今では夢でも見たんじゃないのというくらい遥か遠い記憶。その後、修学旅行の話も継ぎ足し継ぎ足しの記憶を呼び戻して笑えた。
中学はそれぞれ違うが、市内の中学2年は東京へ修学旅行で行くというのは同じで、わたしたちの年代は大阪万博にすり替わったのだ。どこの中学校もあの太陽の塔に集結した。万博は画期的だったはずだが思い出せない。「月の石見た?」「見ない」「長蛇の列やん」
楽しい時間は急流の中を流れるみたいに過ぎていく。わたしたちは余韻を残して解散し再会を誓い合う。
後でしみじみと万博の事を思い出していた。やはり記憶は薄いが、行く前にやたらに英語の先生が、外国人と話すように会話を教えてくれたのを思い出した。
外国人に英語で「どこから来ましたか?」と、尋ねましょうと言われたが、唐突にそんなこと尋ねられる訳がないと思っていた。訊ねたとして、その後会話が続くはずがない。それなのに、真面目に「Nice to meet you」の会話を想定して、ドキドキしていた初心な中学生だった。今思えば、いきなり見ず知らずの人に、あなたに会えて良かったと言われたら怖い。知らない外国人に連れ去られたらどうするのだ。ひとことも話す機会が無くて良かったのである。
金沢の帰りに徳光の車遊館に寄った。以前はポケモンで、人で一杯だったのに、土曜の午後だが車も殆ど止まっていない。
しばらく寄らないうちに、コンビニもなくなり、牡蠣やエビを売っていた威勢のいいおじさんもいない。レストランもコーヒーショップもなくなっていて、ゴーストタウン並みだった。かろうじてラーメン店はやっていた。お土産の店も殆ど引き上げてしまった様子。
お茶を売っているお兄さんに訊いたら、8月で店じまいなのだという。
どうしたのだろう、何があったのだろうと思いながらも、時代の流れなのかなあとも思った。
先日の気付きの続きである。
昨年、精米した米に虫が湧いた。よく考えたら、こんなに大きな米びつはいらないのだ。1日に2合炊いても余るのだから、ほんの少し精米しておけばよいのである。大きな米びつは長い間お疲れ様でしたという事で捨てることにした。
お陰で台所の裏の部屋は少し広くなった。長年使っていると当たり前のようになっていることがたくさんあるかもしれない。模様替えというのもたまにやらなくては。
たくさんあるマカロニをせっせと食べることにした。味付けはトマトソースかマヨネーズと思っていたが、玉ねぎとプチトマトを炒めて、茹でたマカロニとブロッコリーを加え、鰹節と醤油だけで味付けをした。婆さん好みになって、少し多いかと思ったのにふたりでたいらげてしまった玉ねぎの甘味だけで充分甘さがある。
鶏肉南蛮にも、少し揚げたマカロニを散らした。かりかりして旨い。炊き込みご飯と共に。
長い間の習慣とは怖いもので、気付かずに過ごしていることが多い。この頃は、ゴミの日にゴミ以外に捨てる物を見つけて、とにかく余分なものを置かないようにと思っているので、時々「おや?」と、思うことがある。
物が人よりも溢れている時代である。食べるもの以外の趣味の品物は捨てるに捨てられないものがあるが、収納場所も見直さなくてはならない。ゆめゆめ収納場所を増やさないことだ。
台所のすき間を利用したプラスチックの引き出しが劣化してパリパリと割れてきた。陽のあたるところである。なるべくブラインドをおろしていたのだが、19年の月日が経っているのだ。
早速、引き出しからすべての物を出したら、マカロニが3袋出てきた。株主優待はありがたいが、モノがかぶることがある。いつの間にか奥に入れた中途半端な漬物の素とか・・。買い替えるには、今より引き出しが少ないものを選ぶ必要がある。いっそなくすという手もあるがないと不便だ。買う時には、自分が持てる大きさにすることが目安だ。4段あった引き出しを3段にした。自分の目線より高い引き出しはダメである。今までなぜ気付かなかったのかといえば、大勢でいたときは、食品のストックも多かったからだ。
午前中は家の片づけをしていたが、あまりに天気が良くて山へ行きたいが、山は基本朝駆けというので午後には低山でも行かない。
それでも未練があるようで、生みの親と育ての親を鞍掛山の麓の喫茶店へ誘った。ふたりとも二つ返事で、午後のコーヒーを飲みに行くのに急いで支度をすると言った。楽しいことは、年寄とは思えない行動力だ。行くぞーという感じ。
天気が良いので、山がずっと見えるが、高架橋のところで嘆いていた。「新幹線が開通するまで生きとれんわ」と、姑。なんか生きていそうな気がする。母は「新幹線に乗ってみたいわ」と、言いうと、すかさず姑は「わたしら、〇子らと東京行ったし・・・」と、息まいていた。母を新幹線に乗せてあげたいと思った。
滝ケ原へ行くまでずっと白山連邦が一望出来て「こんなに綺麗に見えることはめったにない」と、何回も母が言うのに対し、耳の遠い姑は、全然違うことを言って、なぜかふたりで車の後ろの席で盛り上がっていた。
古民家を改造した喫茶店で、食事も出来るらしいが、金曜から月曜までの4日間だけの営業らしい。天気が良いのと、土曜日のせいか車がひっきりなしに到着し、電柱のある狭いスペースに停めることになって一旦二人を降ろしてバックする。母はわたしのバックするのを見守ってくれたが、姑はひとりさっさと店に入って行った。ふたりの性格がよく出ているわ。
コーヒーは美味しかったが、混んでいるせいか出てくるのに10分以上かかった。コーヒーはティ―カップのようなカップに並々と入っていて、不安定で持ち上げる時姑は皿にこぼしてしまった。母は、持ち上げられなくて、お酒を呑むように口の方をカップに近づけて持ち上げずに飲んでいた。その後、姑は皿のコーヒーをまたカップに戻して平然と飲み干した。母は、少しずつ大事そうに飲んでいた。
それでも、年寄二人はうきうきと楽しそうだった。帰りには何度も振り返って「こんなとこに店があるなんて」と、感心していた。「都会の人やろ。垢抜けしとったわ」と、口々に好きなことを言って満足そうだった。
鞍掛山の帰りにいつも気になっていたので、入ることが出来て良かった。両母は、「ありがと、ありがと」と、何度も言って、また連れて行ってと言われた。こんなことで満足してくれるならまた行こう。
姑は「おまえも大変やな。ばばぁふたりの守りせんならんで」と、笑った。
日頃、わたしも好きなことをしているので、ふたりが元気であればわたしもどこでも行けるので、たのむから元気でおってね。と、いう気持ちだ。
空は青いぞ、舅と殿はどのへんにいるのかね。女たちは元気だ。