殿のシクラメンが今年も咲いた。うちの婆さんは花や野菜作りが上手だが、鉢植えのシクラメンを毎年咲かせることは出来ないと言って感心してくれる。今年で7年目の鉢植えのシクラメンだ。
殿が発病した年、わたしの誕生日に検査入院し、5年の命と宣告された。退院後、わたしに心配かけたと生まれて初めて花をくれた。12月は華やかな花がない。ポインセチアかシクラメンだ。しかし、そのシクラメンは立派なものだった。結局、その年に生まれた孫のkenが、1年生になるので注文したランドセルが届いたのを見ることはできたが、ランドセルを担ぐ姿は見られなかった。
殿の検査中、大泣きに泣いたが家族にはあまり深刻な様子を見せなかった。みんな治らないまでも、ゆっくり進行してそのまま後期高齢者に突入してくれることを思っていた。会社へ行きながらの治療なので、誰もその日が来ることを想像しなかった。いや、想像したくなかったのだ。
加賀の総会の資料を作っている時に、Yさんに「去年のバーベキューも行事に載せますか?」と、電話したら「載せといて。そういえばモゲさん、椅子に座ってにこにこしとったの思い出すわ。」と、いうので「そうやんね。歩けなくなって、車を火のぎりぎりまで寄せて・・」と、話して電話を切って「あれっ??」と、思った。去年はいなかったのだ。わたしも、Yさんも一昨年の話をしていた。いや、一昨年のことを去年のことのように思い出したのだと思う。
あっという間の一年とはこのこと。この一年、娘達や、わたしの同級生の友達や弓道の仲間がいてくれて、日々をどうにか過ごすことができたと思っている。感謝の日々だ。みんなに「ありがとう。」の言葉を届けたい。