まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

県選手権決勝

2020-11-29 | 弓道
今の仕事になってから、土日がシフトで半分しか休めなくなり、ここ数年、試合より講習会を優先してきていた。
今回の試合は今年初めての出場のみならず、近年、県の選手権もあまり出ていないような、出ても予選落ちなので覚えていないのかもしれない感じで、予選通過は久々の楽しみとなった。

予選会は各道場で行い、密を避けるために決勝のみ県の武道館で行われることになった。
4部(女子五段、称号)12射8中通過は4人いて、その上は12射11中2人、10中一人であるから、4人は来れたことを喜び、なんとか恥ずかしくない成績を出したいと誰しも思ったようだ。
そして、全員5割はちゃんと中て、最高的中者は8射7中で称号男子を上回り、全体の的中も平均的に良かったことをチーム女子として喜び合えたのは良かった。

わたしなどは、先週から的中が伸びてきて水曜にピークを迎え、木曜に落ち込んで、また悪い癖が出そうになり、後輩に見てもらった。
が、いつもと同じような会の入り方だといわれ、何本も引き過ぎて肩が痛くなり、ついには風呂上りに消炎剤を貼って寝た。
結局、金曜は稽古を休んで土曜は外で仕事をしたせいかお腹の具合が悪くなった。なんということでしょう。
中りをピークに持っていくべきなのに、体調をピークに持っていけなくてなんのピークだろうと思う。
矢が的前でソーシャルディスタンスしている。
遠慮なく的に密になってほしいのに。

開会式で、競技部長が競技場の注意を述べ「各箇所にアルコールが置いてありますから・・」と、言われた時、寒さのあまりアルコールをお神酒と想像した。ないない。遭難者が幻覚を見るようなこと。
貼るカイロがようやく温まり、日差しも入ってきて少し暖かくなった。

結果は8射5中。木曜の暴れた射から立ち直れてよかった。
これ以上を望むなら、稽古でもっともっと的中を上げなくてはならない。
日頃の力がまず出せたら、またそこから一歩だ。
どうも、自分で自分を追い込むことが良くないということが分かった。

孫のkouが、バレーボールの県代表に選ばれると聞いた。
MB(ミドルブロッカー)として何回かの合同練習に行くらしい。
昨日、ラインでやり取りしていて、
「ばぁばは明日試合です」
「勝って来てね」と、言われたが残念なお知らせで、
「入賞ならず、敢闘賞もらいました。」
すると「お疲れ様。それでも凄いと思う」と、返事が来た。


孫に褒められると何より嬉しい。
ほんとは敢闘賞は決勝に進んだ選手全員が頂いたのだ。
いわゆる残念賞だが黙っていた。
賞品の「ぶどうの木バーム・・」は、もちろん孫と食べることになる。
身長は伸び盛りだし、ジャンプ力は凄いし、しかし、ゲームにもはまっているが。楽しみな姿を見ると、殿がいたらと思う。
*注  「楽しみな」は、方言である。

人と比べず、昨日の自分より少し前に出ていたらいいんじゃないかなあ。

声をあげて笑うこと

2020-11-27 | 暮らし
今日、声をあげて笑いましたか?

ひとりでいて、声をあげて笑うのは難しい。
仕事中も、そうそう声をあげて笑う場面はあまりないかもしれない。
殿がいた時は、必ず毎日笑うネタがあったように思う。

さて、昨日TVから流れてきた「おなまえ」で、思わずアハハと笑ってしまった。最近はひとりでも笑える場面で声がでる。
相撲取りの正代のおばあさんの名前が「まさよ」というらしい。
「正代正代」と、書くのだそうだ。その瞬間笑っていた。

さて、今日は笑うことがなかった。
何となくお腹の調子も悪く、母の郵便物を郵便局へ取りに行こうとしたが、同居していないので代わりに受け取ることはできないとわかり、仕方なく、仕事の後母を連れて郵便局へ。

介護保険証が市から届けられたのだが、耳も遠く、家の改装中で電話もつながらず、玄関のチャイムもまだついていなくて鳴らず、再配達してもらってもまたまた受け取れなかった。
不在表には「大声で呼び、電話もしましたが」と、書かれていた。
笑える・・というのは、本当に楽しくて笑えるのではない。

家へ帰るとなんとなく熱っぽい。熱を測ったが36度しかなかった。
ひとり笑い。怖い。


手の内と痺れ

2020-11-22 | 弓道
コロナ禍の中でも、コツコツと変わり映えのしない射ではあるが稽古を続けている。
手の内をああだこうだと考えながら、なかなか自分の思うようにはいかない。手の内だけに、習ってもその手の内が分からない。実感できないのだ。
外竹に天文筋を当てる。そこはいい。次に親指を中指に載せてみる。
弓道誌に載っていた「巽の伝」が、分かり易いと真似してみるが、理解と実地は少し違う。
手の内を決めたら何も動かさずにひたすら真っすぐに・・。
何本か引くと、左手が痺れてくる。たぶんどこかに力が入っているのだ。
腕全体が痺れてくると、両腕をぶらぶらさせて痺れを取る。
ガンガン引くお年頃ではないので、休むのも稽古のうちとS先生の言。
有難く素直に休む。
しかし、イメージと自分の身体がどれだけ近づいてくれるのか。

鬼滅の刃ではないが、呼吸が大事。
水の呼吸でいくか、火の呼吸でいくか。
全集中!!!

久しぶりの試合に出て緊張した。県下の各道場で予選会が行われた。
初めの4本皆中した。矢は眼に2本入っていて後2本も中黒あたりにまとまっていた。
「上出来・・」と、先輩に言われたが、初めからこうなるとヤバいなという気持ちになった。案の定、だんだん下がっていく。
3中、1中と下がり、12射すると本当の実力が3回目の立あたりに出る感じだ。
8中だったので、県下の多くの実力者を思い浮かべ、選外だなと思った。
日頃5割ほどしか中らないので、これでよしとする。
いつもの中りが出れば良しだし、いつも通りにいかないのが常だ。

とにかく楽しい時を過ごした。9時半から開始して11時前には終わって、みんなで反省の射をしていたら、疲れてもっと中らなくなった。

実家の母から電話がかかり、午後に買い物へ行く約束をする。
家の婆さんと昼ご飯を食べてから実家へ出かける。
婆さんを二股かけて、こちらも忙しくて気持ちが痺れる時がある。
それでも、昼に弓を引くことが出来て久しぶりで気持ち良かった。

どちらにしろ、痺れないようにもっと修行しなくては。







我谷盆ルネッサンス

2020-11-20 | 暮らし
我谷盆を知ったのは、昨年9月に「ポツンと一軒家」で、山中温泉の風谷町で森口氏が我谷盆復興にかける姿が紹介されたからだ。
実は、その番組を観るようにと山中の弓道場でふたりの先輩がやたら勧めたからだった。S先輩とG先輩は5年前から森口先生から我谷盆を習っていたのだ。先輩たちはTVには出なかったが、金沢から通ってきている女性の方が出ていた。

我谷盆(わがたぼん)とは、栗の一枚板の木目に直角に走る平行線のノミ跡が力強く刻まれている盆である。加賀市山中温泉の我谷村が発祥の地。

先日、うちの爺さんの木彫り展にふたりが来てくれたときに、招待状を頂いた。動橋町の丸八というお茶屋さんの展示へ場出向き、S先輩の説明を聴きくとその魅力がじわじわ伝わってきた。

Gさんのコーナー。
漆器の卸商をしているGさんは、漆塗りのものもあり、売約済の物もあった。
一刀一刀の彫り跡が美しい。


S先輩のコーナー。
左端にある小さな盆がうねっているので、すごい斬新な手法だ!!と、言うと、空調の吹き出し口の風をもろに受けて曲がったのだという。
木はデリケートなのだ。

虫食いの木を生かした盆。


先生の作品で、丸木をパカっと開くと、可愛い盆がある。
一体化していて、取れないのである。細かい隙間に同じノミ跡をきれいに彫るには相当の修行がいるに違いない。



こちらも下の木と盆は一体化している。



まだまだ他にも驚きの作品がある。
また、弟子の女性の方の作品もある。どれも力強く丁寧な仕上がりに、物を作る人の気持ちや、想いが一刀一刀に籠められている気がする。
作品を生み出す人のパワーはすごい。

ちょうど、殿の友達夫婦がみえて、弓道仲間が揃ったので、会場の丸八の喫茶で、抹茶と加賀棒茶とおいしいお菓子をごちそうになった。
こちらも香ばしく、満足な一日となった。





ゆるやかな勤務

2020-11-18 | 仕事
銀杏の葉が落ち始め、写真を撮る人がたくさん来ている。
ガラスを拭いていると、どちらが外か分からないくらい窓に景色が映りこむ。



ビナンカズラ(美男葛、サネカズラ)が赤い実をつけた。


銀杏の大木の下には、小さなギンナンがびっしり。

風で一挙に舞い散ったイチョウの葉に隠れてしまった。


イチョウの絨毯が敷き詰められるこの時期は、歩くところはギンナンだけを拾って掃かずにおく。家族連れや、友達同士・・・みんなカメラを抱えている。
ついつい撮らずにはおれない雰囲気だが、撮った画像は自分の目で見たのとは違うのでがっかりする。色や空気のせいか、簡単なデジカメのせいか。
この頃は、下手なデジカメより、スマホの方がきれいだったりする。


一眼レフを抱えた方に訊くと、ホワイトバランスを調整するといいですよ、とのこと。
そっか・・そうしたら、明るい光の中でも色がきれいにでるのかも。
説明書を読んで出直そう。
明るすぎて色が飛ぶ。



ここは穏やかな空気が流れている気がする。


4時半を過ぎると、あっという間に薄暗くなる。


今日もお疲れさまでした。
大戸を閉めて振り返ると、昼の喧騒が空に吸い込まれていったように静かだ。
4時半になると、毎日「熊に注意ください!!」との、アナウンスが流れる。
今日も、動橋町で犬の散歩の人が襲われたそうだ。
暗くなったら外へは出ないように。
明るい時は、人混みへ出かけないように。
東京は今日もコロナ感染者が増え続けている。



ハードな一日

2020-11-17 | 暮らし
孫が風邪をひいたのでホットケーキを持って行った。食欲はある。わたしの顔を見て元気が出たと嬉しいことを言う。本当のところ、リンゴの載った分厚いホットケーキで元気がでたのでは?
ナッツの蜂蜜浸けをトッピング。じっくり焼いて厚さ3cmくらい。

そのあと念のため病院へ連れて行った。今は、熱が低いからといって知らん顔して学校へやるわけにはいかない。
病院へは予約し、車での待機をして医師と看護師が車へ出向いて診察。
喉が赤くなっていて風邪の引きはじめとのこと。熱も37.1度なので少しほっとして帰る。
実家の母の様子を見に行くと、なんと腹痛で辛いという。
病院へ連れて行き12時過ぎになる。
院外処方で薬をもらって帰ると1時過ぎ。家の婆さんには煮物があるので食べていてとメールをし、孫には寿司を買って帰る。
わたしの仕事休みの日なので、風邪ひきさんに昼ご飯を作ってあげるといっていたのに、時間が無くなり、急遽寿司を買って、朝ごはんの残りの味噌汁と食べた。
図書館から電話があり、3か月も待たされた予約の本が入ったというので取りに行き帰ると、もう3時過ぎになって、もうひとりの孫の塾へ送る前に夕飯の下ごしらえをし、母に具沢山の味噌汁を作って持っていく。
リフォーム中で台所が使えないので、冷えたおかずだけでは寂しいと思い鍋ごと運んだ。美味しいと言って食べるのを見ることもそこそこに、孫の塾のお迎え。6時半。息つく暇もない一日だ。
仕事に行っているほうが休める気がする。
「今日、ばぁばは朝からタクシーの運転手みたいやったわ。…行きーの、…行きーの、・次は…行きーの。」「そして、オレの塾の迎えにきーの・・・」
ふたりでアハハと笑って、別れたあと、急いで夕飯を作り、今晩の稽古は止めようかな、なんか頭の芯がぼぉーとしてきたと思ったが、夕飯を食べているうちに元気も出て、道場へ行く。
ストーブを出したりして本数はあまり引かなかったけれど、いつものじゃんけんをして順番に色小的を射ると、なんと、ど真ん中に中り3点ゲット。
おまけに、Oさんが私の色を中ててくれたので、1点ゲット。
本日4点もゲット。今日のご褒美かな。疲れが吹っ飛んだ。






ガラス工芸

2020-11-16 | 暮らし
町内の林のぶ子さんはガラスの工房を持っていて、今回はご実家の方での作品展を行うということで友達と出かけた。

玄関のステンドグラス、照明器具・・・どれも素敵で、自分の家の玄関にひとつあったら素敵だろうなと思ったが、どれもすばらしく、素材の買い付けもな大変らしく、スタンドの土台に輸入品も使われているようで、値段を訊く勇気がなかった。




古民家風の大きな家は、襖絵とも合う灯りもあって、長くこの空間に浸ってしまいそうだ。

その後の友達とのお茶タイムも楽しく、美味しいコーヒーとケーキに、久しぶりのよもやま話で、時の経つのを忘れてしまう。
ひとときの幸せに感謝。

こぶの原因

2020-11-16 | 身体
頭をぶつけてこぶが出来た。頭頂部よりやや後ろの真ん中。
うつむいたままの状態から、早めに頭をあげたらごみ収集のかごの入り口の上部にぶつけたのだ。
触ってみると、ナマコみたいにぶよぶよしている。

その時、自分のそそっかしさを反省しなくてはならないのに、一瞬めまいがして、「あ、いた~・・」となって、根本原因というところへ痛みのやり場がいったのだ。
土曜の朝はごみの日で、ごみ収集場の掃除当番だった。
仕事へ行く前、8時過ぎに清掃車が持っていくのを待って、いざ箒とチリ取りと火ばさみを持っていくと、透き通ったビニル袋が置き去りにされていた。
加賀市は黄色の指定のごみ袋である。仕事があるのでとりあえず掃除だけして、後で黄色の袋に入れようと思い仕事へ出かけた。

前にも同じようなことがあり、有料のごみ袋に入れ直して出しておいた。
ルール違反している人は、誰かが処分してくれるのでいつまでもルール違反するのかなあと、友達に話していたら、紙を貼っておいたらどうかという。
それはいいかも、夜は熊が出ると怖いので翌日の朝、「指定のごみ袋に入れてください」と、書いてガムテープでごみ袋に貼って、仕事に行こうとした。
その時、ごみのかごの扉を開けて貼り終わってそのまま頭を上げたのだった。
があぁ~ん。ゴミを置いて行った誰かに対して腹が立った。

黄色の袋に入れて奥に放り込んでおけばよかった。
もしかして、町内の人ではなく通りすがりの人かもしれないし、無頓着な人は張り紙をしても平気だろうし、もしかして、判断能力を無くした年寄りかもしれない。
ぷにょぷにょしたこぶを触りながら、どうしたら良かったのかと考えたが、やはり誰のせいでもない、コブを作ったのは自分なのである。

怪我の原因は動作の原因なのか、その行為をしたことまで遡るのか。
製造会社にいたわたしは、あの「なぜなぜ・・」の、シートを思い出した。

錦城山散策 三の丸か~下山

2020-11-11 | 山歩き
二の丸のまま止まっている錦城山。
再び歩き出すが、ここで「戸次丸(べっきまる)」と、西丸の分岐で、戸次丸へは行かず、西丸へ向かう。


きれいに整備されていて


大きな樅木がある。昔「樅ノ木は残った」という大河ドラマがあったが、本当に樅木は残ったのだ。ドラマは山本周五郎の作で、「仙台藩伊達家」で、起こったお家騒動をもとにしている。
この錦城山では、戦国末期から関ヶ原の合戦の前哨戦として、戦いは繰り広げられた。ここでも、樅木は残ったのだ。

百両(カラタチバナ)



三の丸


三の丸を通過し、空堀を通過し、西の丸へ。





局谷(つぼねだに)は、本丸と鐘が丸との間にある。大聖寺城落城際、局たちが本丸から身を投げてなくなったと言われ、かんざしを挿した蛇となって現れたという。

「骨が谷」は、鐘が丸を攻められ激戦となり、多数の遺体が骨になるまで放置されていた谷である。
錦城小学校に通っていた私たちは、錦城山に亡霊が出ると言われていた。
この話を聞いただけで出るだろう‥と思う。思わず手を合わせる。
鐘が丸に向かう。

アスレチックがある。鐘が丸の櫓があったであろうところ。





東丸跡から白山が見える。竹が伸びて少し残念だが、ここからの展望が良い。



深田久弥の「日本百名山」の「白山」の一節が刻まれている。


富士写ケ岳の頂上は、大聖寺から見ると双耳峰であることが良く分かる。
私の町からは、富士山のような形である。

東丸から下りると駐車場である。
下山の階段は高い山も低い山も気を付けて。


駐車場から忠霊塔へ。


忠霊塔。




リモート飲み会

2020-11-11 | 暮らし
先日、職場の聞こう会をリモートで聴くことが出来たので、リモート飲み会もやってみた。
しかし、今ひとつ違和感があった。
話しは出来るのだが、画面を見ると、画面の人の目線は違うところにあるし、自分もうつむいているので、カメラの部分に目を向けると、今度は相手の顔が見えない。目線が合わないので、何だか落ち着かない。

「ためしてガッテン」で、ビデオ通話の落とし穴をやっていた。
目線と、カメラのずれから、うなづきが減るという。
なるほど、それはわたしも実感した。

お互いがうなづくことでリズムが合うという。
そして、共感することにより脳が活性化する。
リズム同調ですと。リズムで一体感が感じられるわけ。

さて、リモートではないが、母との会話でも大いにうなづいて話さなくてはならないことがわかった。
また、うちの婆さんは耳が遠いので、いつもわたしのアクションは大きい。
笑う時も、表情も。聞こえないので口を大きく開けてしっかり顔を見てしゃべる。うなづくことも多い。
だから、うちの婆さんは延々とはなし続けるのだな。
うなづきは機関銃の弾になるのだ。


スイカ

2020-11-10 | 料理
今年は長雨でスイカが全滅したと近所にいる殿の同級生の方が言った。
ハウスで作っていたのだが、ハウスの中に雨が浸み込んできたそうだ。
それで、もう一度種を撒いたとのこと。
そして、11月になって収穫!!貴重なスイカを頂いた。


小ぶりだがすごく甘い。寒いので冷蔵庫へ入れず常温で食べたからかもしれない。実家の母にも1/4を持って行った。
母はスイカが大好きなので夏に買って行こうと思ったが、探してもなかなか店に並んでいなかった。やはり全国的に不作だったのか。
スイカを見せると「わぁ~」と、少女のように声をあげた。
畑の横で小さな焚火をしていたので、そこへ木の板を持って行って腰かけて食べた。11月の焚火の横でスイカとは。
甘い、甘いと喜んで食べていた。
秋空と、枯葉の地面と、小さな焚火と、スイカと老婆・・人生も晩秋にさしかかった・・。




狛犬のマスク

2020-11-09 | 弓道
安宅住吉神社の弓道場の方に用があって、久しぶりに住吉神社へ行った。


狛犬が・・・マスクを・・・。


どっちが、「あ」で、どっちが「ん」か。


晩秋の至誠館弓道場は、落ち着いた佇まいで、寒い中で熱心に稽古している会員の方々がいた。
いつも6番的に立つと、大木が気になるけれど、この木にはなぜか当たりません。
ちゃんと狙っていると、的に吸い込まれていくのだ。


弓を持って来ればよかったなあと思いながらも、稽古の皆さんと休憩のお茶をいただき弓道談義をしてひとときを過ごして帰った。
「矢道にカモシカが来たんですよ。」「熊でなくてよかったですね・・」



錦城山散策  本丸~馬洗い池~二の丸

2020-11-09 | 山歩き
本丸の土塁を通過。

山口玄蕃の碑。ここで手を合わす。
戦乱の世の中では、命のやり取りは通常に行われていた。
太平の世を願う人々は多かったに違いない。
歩くと想像力を掻き立てられる。



城郭内に防御や物見のために建てられた。


本丸北東虎口跡。
虎口とは、城郭や陣営の門に枡形を造り曲がって出入りするようにした要所の出入り口のことで、狭い道や狭い口という意味がある。


本丸、二の丸分岐。

馬洗い池。
本丸、二の丸、西の丸に囲まれた場所で、周囲と底を掘窪めて造られた人工池で、岩盤を掘削する大規模工事を行っている。
高い位置にありながら夏でも水が涸れることがないといわれ、籠城の際の飲料水を確保するために造られたと考えられる。


二の丸跡
城内最大の曲輪で、台所屋敷とも言われた。ここには、アスレチックがあるが子供たちが遊びに来るには危険な今日この頃。





二の丸から、西丸、戸次丸分岐。
この調子では、下山までまだまだかかりそうだ。


錦城山散策 登山口~本丸

2020-11-07 | 山歩き
自然観察員のMさんと、錦城山へ行った。
錦城山を勉強する会に向けての下調べでもあった。
ひとりで行くのは危ないので、わたしが熊鈴代わりになることをかってでた。
もちろん熊鈴も持っていく。
今のところ、大聖寺に熊が出たとは聞かないが、このところの熊騒ぎである。
気をつけて、誰かと話しながら行くのが良い。
山の文化館駐車場に車を置いて、長流亭を眺めながら錦城山を目指す。


標高63mの錦城山に大聖寺城が築城された。
この地は古代より水陸交通の要衝であり、越前と加賀の国境に近く重要な軍事拠点でもあった。
豊臣秀吉の家臣の溝口秀勝が天正11年(1583)大聖寺領主となった。
慶長3年(1598)溝口秀勝は越後新発田に転封した後、小早川秀秋の重臣であった山口玄蕃頭宗永が領主として入城した。
加賀市と新発田市が姉妹都市となる所以である。

慶長5年(1600)金沢の前田利長は徳川方につき、山口玄蕃は豊臣方として敵対し滅びた。
山口軍1200に対し前田軍は2万5千。

さて、登山口10時24分出発。
この箱の中に、散策コースのパンフレットが入っている。




ほんの少し行くと、贋金造りの洞穴がある。
明治の『パトロン事件」である。



さて、分岐で本丸の方へ行く。



しばらく階段を登ると再び分岐。


結構、息が切れるのでゆっくり上ると、『馬出曲輪跡』がある。


錦城小学校が見える。


再び階段。歩幅が合わなくてつらい。



敵が攻めにくいように造られているので、結構登りはきついのだ。
敵もつらいだろうが、味方だってつらい。
『本丸南虎口跡』


本丸手前に、休憩場所。


『大聖寺城本丸跡』
敵の侵攻を防御するために高く盛った堤防上の土手を「土塁(土居)」と呼び
曲輪を囲うように配置されている。



女子運動用黒布襞入裁着袴

2020-11-01 | 読書
「女子運動用(じょしうんどうよう)黒布襞入(くろぬのひだいり)裁着袴(たっつけばかま)」
向田邦子の『無名仮名人名簿』の中で語られた。
女子運動用・・とは、ブルマである。

戦争で英語が使えないので無理やり名付けた様子。
その頃、英語は日本語に直されて、それにしても長いではないか。
明日は体操がありますから、女子運動用黒布襞入・・・を持ってくるようにと、
持ち物に書いたら長すぎる。やけくそでつけた名前ではないか。

石川県弓道連盟の前会長の奥様が、語ってくれた戦後の話。
アメリカ人が小松空港でクリスマスパーティをしたのに呼ばれて、友達と行ったそうだ。
コーヒーが自動で入って食べ物が山のようにあって、
「これでは日本は負けるはずやと思ったわ」で、あった。
向田邦子は生きていたら、奥様と同年代である。
戦争と、戦後を体験している年代は強いと思う。

私たちは、提灯ブルマからショートパンツになった。
トレパンというのも履いたっけ。
今では、ハーフパンツになったけど、陸上の女子選手のユニフォームは凄いね。
水泳の選手よりも脱いでいる。そこまで脱がなくてもいいのではと思う。
向田邦子が見たらどう言うだろう。