まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ボトルネック

2016-06-29 | 読書

本屋が好きだ。暇があると本屋にいる。本を増やさないと思いながらも、手に取るとつい買ってしまう。危ないところで伊藤若冲の「若冲原寸美術館100%・・」という美しい本を手に取っていて、いかんいかんこれを買ってどうする。と、思い直し、身体を文庫本のコーナーへ移動させる。

いつも、夏休み前の本屋はお祭りのようだ。夏目漱石や太宰治、安部公房など、日ごろはお蔵入りのような本が、とんでもない美しい装丁で平積みされている。まるで、遊郭の美しい着物をまとった遊女のように手招きする。

そんな中でつい手に取ってしまった「ボトルネック」米澤穂信。買わなければこの先が気になって眠れない。

本を買うときは必ず書き出しを見る。ここではめられた。舞台が東尋坊から始まり、金沢が生活の舞台だ。ちょっと違和感を感じたのは、そこで暮らしながら金沢弁でなかったことだった。しかし、今まで読んだどの小説にもない構成で、最後は??の読者の想像に任せる終わり方だった。たぶんこうだろう・・と、思いながら、筆者は何を訴えたかったのだろうと考えさせられる。

なにこれ?と、思いながら、あっという間に読めてしまった。

 


腕時計

2016-06-29 | 暮らし

腕時計は、その人の一部のようである。なんとも愛おしい。

学童の子供たちの中で、寄ってくる子供は、必ず腕時計を触る。「先生、はめさせて?」と、おやつの時間などで座っている時に、そっと渡す。「ちょっとだけね。」嬉しそうにはめている。ほんの少し甘えてくる子たちが、腕時計を触る。

殿の腕時計は台所のガラス戸棚の中にあり、いつも見えるようにしてある。

仕事で大変嫌なことを言われたことがあって、殿に言うと「そういう時は、腕時計をこうやって・・」と、腕からはずしてずらし、手のひらに握りこませて、「なんやって!!」と、反対の手にパチンパチンするのだというので笑ってしまった。可笑しくて、なんだか、どうでもよくなってしまった。

腕時計の役割はいろいろあるのだ。しかし、うちの婆さんは、亡くなった爺さんの腕時計を、さっさとゴミ袋にほうりこんでいた。それって一体・・・


睡蓮 

2016-06-25 | 暮らし

加賀中央公園の松ヶ丘の方の駐車場横の池に睡蓮が咲いている。

あまりに美しくて撮ってみた。そばへ行けないのが残念だ。睡蓮は水蓮ではなく、なぜ睡蓮なのだろう。

蓮とは違う。なので、この池の周りをまわっても、お釈迦様体験はできない。


EUと暮らしの関係

2016-06-25 | 暮らし

EU、欧州共同体は、第二次大戦後、平和の名のもとに、欧州が自由に行き来し、貿易も自由にできるようにと共同体を結んだのだと思う。

仲良し6人組で始めたみんなの平和のためと、互いの経済安定のために始めた集まりが、28人に増えて、ルールを作らなくてはならなくなり、そのうち難民のような人たちが頼ってきて、自分たちの職を奪われ、お金をその会のために出さなくてはならなくなり、奉仕する一方でメリットがなくなってきた。一抜けた、みんなと一緒にやっていくのは厄介だとなる。その会を維持するには、人もお金もいるし、時間も割かなくてはならない。

さて、一抜けるとどうなるか。わたしも抜けよっと、手を上げるものが増えてくる。自分だけのために、時間を使い、お金を使うことがのびのびしていいのだと。しかし、独り立ちは厳しいのである。

世界はひとつ、地球はひとつになれないのである。

わたしの娘が保育園の時、夜中に目を覚まして半泣き状態だったので、眠れない理由を聞いたら「世界のひとがしあわせになればいい・・」と、言う。そんなことが何回かあった。たぶん、眠れない理由が分からなかったのだと思う。定かではないが、マザーテレサのような偉人にならずに、普通のかあちゃんになっているので、たまたま絵本でそのような内容のものがあって頭にひっかかっていたのかもしれない。

今では、「晩ごはんが子供が喜び、かつビールのつまみにもなればよい。」と、願うような毎日のささやかな幸せを求める暮らしをしているので、EUのことなど関係ないのである。しかし、円高で経済がうまくまわらなくなり、不況となり、毎日のビールの本数が1本減るとなると問題だろうと思う。

 


アボカド卵焼き

2016-06-25 | 料理

時折、朝食に登場するアボカド卵焼き。

アボカドを半分にし、種を取ったへこみを若干大きくくりぬいて、生卵を流し込みオーブンで焼く。それに醤油をかけて食べる。

スプーンでほじって食べる。卵の焼き具合によって味は多少違うが、卵の醤油がけがアボカドとマッチして美味である。「びみ」と、言う発音が似あう。これは、酒に合うのかワインに合うのか、朝食に食べるのがもったいない気がした。

 


七夕の竹

2016-06-24 | 暮らし

学童に持っていくために、実家の竹藪に入って竹を切った。車に乗せてから、はみ出た分だけ竹を切ったが、思ったより長く車に入るので驚いた。長さを見ようと取り出したら、軒下まであった。車の中の飾りのぷーさんが、竹の一番上にぶら下がったのでおかしかった。

年寄りがよくいう「おかーして、おかして」(可笑しくて可笑しくて)あるいは、「おかしておれんちゅうて、わろとったわね。」(可笑しくて、我慢できないと笑っていた)などと言われてもたいがい全然おかしくないことが多く、返答に困ることがある。しかし、可笑しかったことを伝えたいときはそういうのである。

ぷーさんが下がっとって、おかーして、おかして。あまり可笑しくないが、平和ではある。

子供たちは、短冊に願い事を書いて、「てっぺんに、星つけるんやろ?」と、いう。「それは、クリスマスツリーやね。」と、いうとぺろっと舌を出していた。

「しょうぼうしゃになりたい。」と、書いてある。消防車にはなれないだろうが、突っ込まないようにしなければ。やっと字を覚えたばかりなのだ。「金をたくさんほしい。」と、いうのがあった。コメントは差し控えた。

 


EU離脱

2016-06-24 | 暮らし

英国のEU離脱か、残留かの投票結果がでた。キャメロンさんはさぞかし、がっくりとなさっていることだろう。キャメロンさんに何と声をかけてよいのやらと、知り合いではないので、その必要はないのだがつい心配してしまった。

そもそもEUについてよくわからないので勉強しなおさなくてはならないが、分かることは、イギリスのポンドが弱くなり、イギリスの購買力が落ちると景気悪化につながり、EU全体が不景気に陥るということだ。

問題は、そうなると分かっていて、なぜ離脱に投票する人が多かったのかというところが分からない。移民、難民問題だけの話ではないのだろうが、そのへんが分からない。

当然この結果が日本経済にも反映する。株の価格に影響するだろうということだ。

いきなり円高で99円となる。PCを開いたら軒並み株価が下がっている。

大きな声では言えないが、このブログが少数の人しか見られていないので言うのだが。朝、〇証券のMさんが久しぶりに見えた。ちょうど〇〇生命の株を売りたかったのでそれを売って、某株式会社が医療の方にも活躍を始めたというのでそちらに乗り換える話をしながら、午前中に〇〇生命を売ってしまった。

Mさんは、EU残留だろうと言っていたけれど、午後には離脱の結果が出て、逃げ切ったなあと思った。午後には、122円下がっていたので、危機一髪のところで売ることができた。それにしても、勉強はしなくてはいけないものだ。他人事と思っていたEUの話は、日本にも大きく影響するのだ。証券会社のMさんが今日来る約束をしてくれたのが幸いだった。とはいえ、この後どのような展開になるのか分からないので単なる一時的な喜びだったとは思うが、明日だったら売らないだろうことは確かだ。

さて、リーマンショックの再来という不況に突入するのだろうか。

サマージャンボ宝くじを買うか。なんかすごく短絡的である。

 


痴人の愛

2016-06-21 | 読書

殿の本棚から意外な帯付きの文庫本が出てきた。ノンフィクション、戦争、時代小説というジャンルが多い中、谷崎潤一郎の「痴人の愛」である。読み始めたら止まらなくなった。15歳のナオミを育て、自分の妻にするという話だが、作者の実話かと思えるほどの表現力だ。

告白体と言われる手法で書かれている。主人公は堕落していくナオミに翻弄されていく。大正13年から14年にかけて書かれて、その頃、女主人公の名前をとってナオミズムという言葉を流行させたという。

再版されて2013年の文庫本が残っていたのである。安部公房も不思議な感じだったけれど、これも変なの・・と、思いながらもついつい読まされてしまうのである。

やきもきしながら、この男を嫌悪しながら応援し、また、最後にあきれ返り、読んでいるものまで巻き込んでいくような感じである。

 

 


チョムが探す

2016-06-21 | 暮らし

殿が大好きだったチョム。いつも膝に抱かれていたのに、この頃は仕方なくデッキで一人寝をしている。わたしが、外の空気を入れようと戸を開けると、びくっと顔をあげる。熟睡しているのかと思ったら、うたた寝をしているのだ。

戸を閉めると入れろというふうに呼ぶが、部屋を一回りして去っていく。どうも殿を探している気がする。時々抱いても、しばらくすると「もうええよ・・」と、言う感じで膝から降りるのだ。「だいぶ老けてきたねえ。」と、いうと「どっちが!?」と、言われそうだ。

 


紫陽花

2016-06-20 | 暮らし

花の名前の漢字は難しい。誰がつけたのか、読めても書けないものや、読めない漢字は多くある。竜胆は、りんどう。勿忘草は、わすれなぐさ。百日紅は、さるすべり。石楠花は、しゃくなげ。山茶花、辛夷、金盞花・・・。

さて、紫陽花という字は美しい。誰がつけたのだろう。今の季節は、どこにでも咲いている。水があがりにくいので、水切りをして活けてみた。実は、花器がすばらしい。某、九谷焼作家さんの家にあったもので、ちゃんと落款があるのだが、果たして、傷物で残っていたのか、今から売ろうとしていたのか、あるいは、ここに絵を描いての完成なのか。本人は亡くなられたので分からない。

しかし、何より持ち主が気に入ったものであれば良いのである。小百合が気に入れば上物である。

始めは黒い水盤に活けたのを、変えてみた。まあ、どちらでもよいと殿は言うだろう。わたしがご機嫌でありさえすればよいのである。世の亭主はそうなのだろうと思う。嫁の趣味に関しては意見を述べないし、また、意見すれば嫁にへそを曲げられるのである。しかし、自分でも紫陽花はうまく活けられないので、花器の気に入ったものが優先する。作家さんが絵を描かなかったことが、花にとって幸いだと思う。

 

 

 


天国はどう?

2016-06-19 | 暮らし

「まるで極楽のような。」と、家の周りに、花が咲いて美しい眺めを見て母はいう。それでは、天国は花盛りで美しいのだろうと思うが、そこには何があるのだろう。いわゆる「娑婆」は、いろいろ厄介なことが多いので、美しいものを見ると癒されるのである。

美しいものばかりで囲まれているとどうなのだろう。

美人は3日で飽きるという。小百合であるわたしを毎日見ていた殿は、飽きた様子がない。と、いうことは美しくないということか。「毎日、笑わせてくれる。おもしろい。」とは、殿がわたしに言う褒め言葉だった。

日曜のラジオで、三宅裕司が「今日のマコさま」を、読んでいると、どうもわたしと重なるらしい。そんなに面白くはないと思うが、何でも真面目に取り組みながら失敗をしでかすからだろうか。

それにしても、天国は退屈ではなかろうか。例えば、天国で弓道三昧で中たりばかりだとしたらどうだろう。結果を競ったり、挑戦してダメだったりするから楽しいということもある。何でもうまくいき、美味しいご馳走があり、美しい花と音楽があるとするとどうだろう。

天国はお釈迦様が池の周りを散歩すると、静かで蓮の花がポンと咲く音がするらしい。では、おならもできないよね。静かすぎて。殿、大丈夫か。絶対、わたしがいなくて寂しいに違いないと思うよ。

娑婆には地獄のようなニュースも聞くし、厄介な人付き合いもあるし、仕事はストレスがあるし、なんだかいろんな厄介ごとを気前よく引き受けてしまうし、時々「だちかんわ」と、言いいたくなるようなことがある。でも、まだその静かな天国には行けそうもない。去年の今頃は憧れていたけどね。わたしも行きたいよーと。

とにかく忙しくして、くたくたになって布団に入った瞬間、天国だ―と思うよ。時々、そちらに飽きたらわたしの夢の中に遊びにきたらいいのに。

 


イベントボーイ

2016-06-19 | 仕事

学童の行事、学校の行事などが目白押しにある。県の弓道の行事も土曜日曜はぎっしりで空いている日がない。

一体、みんな何故にこんなに行事ごとをしたがるのだろうか。団体や組織は維持するために向上を目的にイベントをする。そして、そのことを行うために互いが協力し合い親睦を深める。一度行事を行うと、翌年はそれをやめるわけにはいかない。そうして、どんどん増えていく。

4年に1度、中学の同窓会がオリンピックの年に行われる。わたしたちの学年は320名いた。今年はどうしたわけか事務局になってしまった。このイベントも成功させなくてはならない。前回の出席者は50名である。年々減っていくが、今年はどうだろうか。会社人生も一段落すると少しは増えてくるだろうか。そして、中学の仲間とは4年ぶりに会うのである。

そうだ、前回は役員をしていながら同窓会の日が手術に重なってしまったのだ。4年の間にいろんなことがあった。特に、高校の同窓生にはお世話になった。やはり、ちょくちょく会うのは高校の仲間である。

そういえば、会社の某上司は、やたらイベントごとをやりたがった。営業畑で役員になった方である。売上向上を目的に部下は大変だった。陰でついたあだなが「イベントボーイ」だった。そのボーイも、爺さんになった。今では懐かしい。

 


目に見えないもの

2016-06-17 | 料理

先日はバッテリーの不具合だったが、今回はマウスだ。電池を入れ替えてもだめだった。

オシャレな赤いマウスがお気に入りだったが、今回はオーソドックスなものを買った。しかし、以前使っていた有線のマウスがあったので、こちらの方が壊れにくいのではないかとふと思った。

ダメになったマウスも、時折動き出すことがあるので、本当に壊れたのかどうかよくわからない。

さて、この頃は目に見えないものが多すぎる。人の声は目に見えない電波で地球の裏側にも届く。映像もである。地上波デジタルとか、アナログだとかで分からなくて、取り残された。言われるままにテレビを買い替えたわけだ。

でも、電波は見えなくても映像が届き、メールが配信されれば、何となく存在が見える気がする。

怖いのは、放射能か。目に見えない。そして、その存在に菩薩の名前をつけた「もんじゅ」。高速増殖炉とは早口では言えない。

発電しながら消費した以上の燃料を生成できる原子炉とは、夢のような話だけれど、どうも夢は夢のようである。何でも見えないものは気を付けなくては。

 


進化するトレー

2016-06-17 | 料理

豚のステーキ用肉を買った。その肉の入っていたトレーには、「厚切りポークステーキ」のレシピが紹介されている。これは大変親切でありがたい。

フライパンを中火に熱し肉を表裏30秒ずつ焼く。弱火でさらに裏表を5分ほどずつ焼く。

さてさて、はじめは表裏で、次に裏表とは、これはどういうことか、ひっくり返さないということか。ここでつまづくかなあ。


バッテリー

2016-06-16 | 暮らし

バッテリーとは野球の話ではない。パソコンの裏にくっついているものだ。

パソコンが立ち上がらなくて、電気店に持っていったらバッテリーの不具合だった。電気店に行く前に、メーカーからのバッテリーの発火の危険性で無償交換するという案内がきていたので、ついでにつまんで行った。

電気店の方がバッテリーを外して、立ち上がるのをみてバッテリーの不具合だろうということだったが、外して使えば問題ないという。パソコンはめったに持ち歩かないのでよいが、ついでのバッテリーの案内を見せると電話してみたら?とのことだった。

携帯で電話すると、ひとつひとつ製造番号やバッテリーの番号を読み上げなくてはならないので、細かい字は大変だった。店員がそばにいて老眼鏡をいち早く用意してくれたのがありがたいやら、恥ずかしいやら。

結局、最後に「お使いのバッテリーには問題がございません。どうぞ、ご安心してお使いください。」であった。こちらとしては、無償交換対象の方がよかった気がしたが。

問題のあるバッテリーを抱えたまま、安心して使えない状態のまま帰った。店員は交換を勧めなかったので、まあいいか・・と思った。

家へ帰って立ち上げると、バッテリーのついたまま静かに、何の問題もなく立ち上がった。こうなると訳が分からない。