まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

造影剤

2016-03-27 | 暮らし

明日は、仕事を休んでCT結果を聞きに行く。3月14日にCTを受けた。癌治療を終えて4年目になる。5年は要観察で半年に一度CTを受けるのだが、前回初めてCTの最中に吐き気がした。

造影剤を注射されるのだが、針から造影剤が入ると、耳のあたりから熱くなって、次にお腹の周りが温かくなる。造影剤は体にいいはずがないと思うので、拒否反応したのかもしれない。「大丈夫ですか?気分わるくないですか?」と、聞かれると余計に気分が悪くなる。例えば、この注射をすると元気がでますよーと、言われると元気がでそうな気がするだろうが。検査が終わると「水分をたくさんとってください。」と、言われるので、そこでまた不信感が倍増する。どんな悪いものが入ったのかペットボトルの水を飲みながら考える。

たぶんもう大丈夫だと思うのだが、5年間は通わなければならないらしいが。わたしの病気は神様からのプレゼントだと思っている。このおかげで、会社を早期退職し殿と一緒の時間を過ごすことができたからだ。もちろん、がんで苦しむ方や、仕事に復帰できずに困っている方もいる。若いうちは働かなくてはならない。その人その人で与えられた人生がある。入院中、乳がんを患った若い人が10年経って検査したら、前の乳がんは完治したが新しく癌が発症したのだという。そこでは、同病相憐れむという感じで、みんなが自分の悩みを打ち明け、わりと深刻にならずに笑顔で乗り切っている人が多い。たぶん、ひとりになると辛くて不安になるだろうが、食堂でみんな一緒に食事をするというシステムにしてあることが、患者同士の励ましあいになった。しかし、いったん退院するとみんな自分の人生を歩むこととなる。

男の人は少し違うようだ。殿は同室の人とは殆ど話をしなかった。いつも本を読むか、漢字のパズルをするか、TVを観ていた。なので、タブレットを買って持ってい行くとすごく喜んだ。彼は、わたしがすべてだったのだと勝手に思っている。娘に「マサコン」と、呼ばれていた。「おかあさんがいないと、どこ行った?と、探すし。」、マザコンではなく、マサコンなのだそうだ。

殿は世界一幸せだったのだと思うことにした。わたしは、40年もしあわせをもらっていたのだが、やはり失ってから半分の幸せになったと思っている。残りの半分は自分が努力しなくてはならないのだと思う。造影剤が体の中を流れると、自分のためと、残された娘やまだいる親のためにもう少し頑張らなくてはならないのだと思うと、受け入れなくてはならないのかもと思う。本当は、もう気持ち悪くていやなんだというと、娘は「子供みたいなこと言わんといてや。」と、言う。

子供に、子供みたいと言われるようになってきたらやばいのではないか。がーーーーん。


孫の夢

2016-03-25 | 暮らし

「ばあば、文集見て・・」と、いう3年の孫のkouがいうので開くと、「ぼくの今年の三大ニュース」に、マラソンをがんばったというところに「ばあちゃんが応援してくれたので頑張れた。」と、書いてあった。そして、夢のところに「ゲームクリエイターにないりたいです。もしなれなかったら医者になりたいです。」と、あった。げっ!順番が違うやろ。

それより、身長がわたしと変わらなくなってきた。げえーー。視力が落ちてきたので、眼鏡を買ってあげるというと、素直に聞いた。やはり、見にくくなってきているのだ。何といってもゲーム好きなので。この頃の子供たちのゲームへの依存は怖い。

「一番高い眼鏡を買うよ。」と、言うわたしに「普通のでいいよ。」と、言われた。孫にはめろめろなのである。

殿の遺伝子を受け継いでいるはずだが、まったく似ていない。顔は殿のように四角くないし、スリムだし、誰に似たのか。婿殿にも似ていない。そう、彼は誰でもない彼なのだ。日に日に大きくなるということは、こちらも年を取っているということだ。引き継ぐもの、交替するもの。覚悟をするもの。

年をとっても、成長したいものだ。勉強を続け、せめて人格や、品格を成長させ、よい年寄りになれるように。


風に吹かれて

2016-03-23 | 暮らし

今朝、TVをつけると、ベルギーの恐るべきニュースが映し出された。何という悲しいニュースなのだろう。朝一番に流れる衝撃の声。

それを観ながら、ボブデュランの「風に吹かれて」を、思い出していた。確か反戦の歌ではなかったか。今更ながら、歌でも小説でも、訴える力のある人はすごいと思う。

驚いても、ひどいなあと思っても、何ができるわけでもなく、淡々と日々が過ぎ、自分の身の上に起きる些細な出来事に不満をもらすという毎日であることの情けなさ。

 


薬指の長さ

2016-03-21 | 暮らし

テレビで、薬指が長いと男性ホルモンが多いのだと言っていたので自分の手を見た。日ごろ、気を付けて手の指の長さを見たことがない。がああ~ん。薬指が長い。

娘たちにメールした。すると、ふたりとも薬指が長いという。そうか、親子して男らしかったのか。どうりで全員強いのだ。確かに強い。怖い。これでは、殿はさぞストレスがあったに違いない。果たして彼の指はどうだったのだろう。

PCに残っている写真を見たら、あったあった。孫と将棋を指している時、自分の腕にしっかり反対の指がきれいに揃えて写っていた。良かった。薬指が長かった。何が良かったのか、分からなくなって笑えて泣けた。


お彼岸

2016-03-21 | 暮らし

墓参りには最高の天気である。朝、娘と墓参りをした。今日は久々に予定がない。予定がないと穴があいたような気がするので料理をする。必ずしなくてはならないことが毎日あることがありがたい。

婆さんの作った大きな大根があったのでぶり大根を作ったあと、半分残ったものをハンガーに干した。干すには最高の天気だ。これは母が教えてくれた簡単干し大根。2日間ほど干すと甘味が増し、切り干し大根のように戻さなくてもすぐ使える。味の沁み加減も良い。

 

大根だけではなく干したのは、実家で採れたしいたけと、電池の切れた腕時計だ。腕時計は北陸にはふさわしくない太陽電池の腕時計。冬場は時々止まるので干さなくてはならない。エッグスタンドとして作ったものが、いつの間にか腕時計干しとなった。しいたけは、夕べ天ぷらにしたので、日に日に少なくなっていく。干さないとひだのところが黒くなる。

今日は彼岸だが、どうも干しものばかりで「干がん」である。


不思議な会議

2016-03-20 | 弓道

会議に出た。評議員仲間が首をかしげながら帰ったという会議にでた。

まず、午後2時半始まり予定が、前の会議が長引いて2時45分に始まり、挨拶などが終わって議長が選出されたのが3時15分だった。結果、まったくの報告会で、意見をいう時間は全くなく、質問はあとで個人的にきくという始末。意見はみんなの前でいうから意見なので、個人的に言って個人の回答をもらっても意味がない。

おまけに、その前の理事会でどんな話があったのかもまったく分からない。

そして、なぜか一丁締めで終わった。これは宴会だったのか?

仲間と車を乗り合わせて帰ったが、不思議な会議であったことと、これならわざわざ金沢へ行かなくても良いのではないかと口々に不満をもらして帰った。家へ帰ったら6時半過ぎていた。

今朝、夢をみた。殿が帰ってくるというのだ。長い間湯治していたので治ったから帰るという。主治医の先生に挨拶にいこうと喜んでいた。目が覚めて殿がいないことに気付いた。殿は何か言いたかったのだ。きっと、「お前ら無駄な時間を過ごしているなあ。」と、言いたかったのだ。そして、それが生きていることなんだと言いたかったのだ。生きていることは厄介なことなんだと。関わらないように生きれば寂しい。関われば自分の想いとは違うことに遭遇する。それは、当たり前なのだ。みんなそれぞれ一生懸命やっているはずなのに、なぜかかみ合わないのはそれぞれの正義が他の人に理解されないということ。力のある人の思い通りであれば会議はやっぱりいらないようだが、そこに人を集めれば周知のことと納得させられる。

どんな会議にも出ないで続きの夢を見たいなあ。殿が湯治から戻ってくるのに会えるかも。しかし、起きなくては!


緑菜

2016-03-17 | 料理

つくしが出てきた。フキノトウも出たので天ぷらをした。

実家のしいたけは、伯父が菌を植えてくれてまた採れるようになった。しいたけは少し干した方が、傘の中が黒くならないので干す。ついでに、白菜の芯を窓辺に置いたら緑菜になった。

光合成をして緑になる植物がうらやましい。人間も水と太陽の光だけで生きていけたらどうだろう。

おいしい物を食べられないのは面白くないか。ああ、春の太陽は美味い・・と、なるのだろうか。

もう一つ、ついでに神棚の榊に花が咲いていた。春は神様にもやってくるのだ。今年の春は少し笑えるだろうか。

 


火花

2016-03-16 | 読書

ついに、図書館に予約してあった本が60人待ちで回ってきた。わたしの後にも20人待ちだそうだ。

はじめは、金太郎飴みたいに、たんたんと話が進んでいくので、どうなるんかなあとおもいつつ読み進めていると、ネットで嫌なことを言われたらどうするこうするというところで、今の自分の心境と同じ考えが書かれてあって、この言葉に出会えただけでもこの本を読んだ価値があると嬉しくなった。

弱い相手にひどいことを言うのだが、その時は、言っている方は溜飲が下がる。そして、その人はそこから成長できないことを知らず、相手の上に立ったつもりで安心するのだ。いじめってそういうことだよね。このあたりを読みながら、頭の中はある人を想像していた。最近こういう気持ちがよくわかる。

本を読んだとき、そうそうとうなづけるところや、へえぇと驚くところに出会うとその本は自分にとって大切なものとなる。ミステリーや推理小説のわくわく感とは違うじわじわ感。

そのあと、後半でじわじわと切なくなり、これは仕方がないなあ。読ませてもらってありがとうという気になった。映画化されるというので、是非に観たい。泣くかも。

 

 


小松こんぶ

2016-03-14 | 弓道

木箱入りの昆布をいただいた。真田紐で縛られた木箱に入っていたので、お茶碗かと思ったら塩昆布だった。

ちょうど娘が遊びに来ていたので、お茶うけに出したら「おいしい。おいしい。」と、みるみる減っていくので食べてみたら確かに、深い味わい。口に広がる味は、次の塩昆布を求めてしまう。

「小松こんぶ」という、京都雲月とある。有名デパートでのお取り扱いとなっていた。

夜、そっとひとりで瓶を抱える。


弓道の母

2016-03-13 | 弓道

高校を卒業してからずっと女子のお世話をしてくださったM先生と話したくなって電話したら今度は会いたくなって弓友を誘って訪ねた。

施設はきれいでホテルのような部屋に車いすの先生が出迎えてくれた。たいそう喜び、また、亡くなった夫や家族の話に涙を溜めてくださり、先生は相変わらずお優しい。耳が少し遠くなったくらいでとてもしっかりしておられ話に花が咲き「実は・・」と、いうような昔話も飛び出た。

「先生、自由が寂しいって思うんや。」と、夫がいないことの寂しさをいうと、「あらあ、ばば臭いこと言うて。」と、86歳の先生に言われて爆笑してしまった。あまりに楽しく話が盛り上がったので、先生の身体の不調などないような気がしてしまった。しかし、年齢相応の悩みがおありのはずなのに。

いとまごいを告げると「廊下で見送るから、車からここを見上げてよ。」と、言われた。駐車場から見えないところなので、ぐるっと回って4階を見上げると、車椅子の先生が窓越しに両手をふっておられた。わたしは、窓を全開にして大きく外に手を出して振りながら、なんだか涙が出てきた。

先生にはお世話になったなあとつくづく思った。直接的ではなく、いろんな場面で先生が弓道を続けておられたことで、わたしたちが前を向いて歩いて行けた気がする。先生がいつも「家族を大切に。」「無理しまさんな。」と、おっしゃられたことが今も思い出される。


アドラーの心理学

2016-03-09 | 暮らし

過日、100分で名著は「アドラーの心理学」だった。

その中で興味をひいたのは、「課題の分離」だ。親の課題は子の課題ではない。他人の課題を切り捨てよ。というところがあって、そういえば、人の課題に口を出す人いるなあと思ってしまった。

人の課題に土足で踏み込むことが、対人関係のトラブルのもとだそうだ。できないことばかり指摘するのは、勇気くずしと言うそうだ。上から目線でものをいうのはたての関係であり、趣味の会は横の関係で仲間なのである。平たく言えば、会社はたての関係で上から命令されるが給与はもらえる。趣味で集まるのは横の関係で仲間同士が会費を払って楽しく過ごすのだ。

どうも、最近それが会社組織風になってきているらしい。合理化案や、無用の組織を切り取り会の運営をすっきりさせたいらしい。それはそれでよいとは思うが、切り取られる側の仲間は会費を払ってなぜ文句を言われなくてはならないかと憤懣やるかたない。

しかし、憤懣という漢字をみるだけで腹立てているなあという気がする。

さて、自分自身の幸福と人類の幸福のために、もっとも貢献するのは共同体感覚であるという。共同体感覚に必要なことは、「自己受容」「他者貢献」「他者信頼」これなくしては、共同体とはいえない。

相手を責める。さげすむ。受け入れない。評価しない。そんな人まわりにいませんか。


お好み焼き

2016-03-07 | 料理

うちの婆さんの好物はお好み焼きだ。キャベツがとれたので、たくさん使う料理と言えば、キャベツのロール巻きか、お好み焼きと思うが、あまりレパートリーが多くないので思い付かない。

フライパンで、どでかーーんと焼いたが、いつもマヨネーズでびびる。お好み焼き屋さんの、先がたくさんに分かれているマヨネーズ絞りがほしい。美しくマヨネーズの線を引きたい。

餅とチーズ入りが特に美味しい。山芋をすりおろすのもよいが、ふわふわな食感より、餅とチーズのとろとろ食感がいい。アツアツのお好み焼きに婆さんはご満悦である。ふと、実家の母は一人で何を食べているだろうかと気になる。


開設記念大会

2016-03-07 | 弓道

今回は疲れたなあと思った。途中でオニババ化しそうになったし赤面ものだ。いつものメンバーが揃わず、殆ど弓を引いていない方たちに手伝ってもらってなんとか終わることができた。年に1回だけ、この日だけ来てくれる方たちに感謝だ。Tさんは体調が悪く、Aちゃんは結婚して来なくなったし、若者は忙しいようで年々人が減ることと、当然ながら年を取っていくので、わたしも体が動かず口が出るという、姑のことを言っていられない状態になってきた。最近は劣等感を感じるようになってきた。

設営に時間がかかり、木曜と土曜の夜で仕上げて、土曜の夜8時半から打ち合わせをしたので、十分にいろいろなことが伝わらず、当日にあちこち調整に歩く始末。娘が表彰状の筆耕にきてくれて、決まったものから名前をもっていくと、「おかあさん、何焦っとるん・・」と、言われた。

新発田市の方たちの場所に、折り鶴で作った桜を置いたら好評だった。

介添えは稽古不足が露見し、あちこちミスしたが射手が束ったのでほっとした。褒められたのは着物の色だけだった。「ほんとに、いい色の着物ですねえ。」と。他には褒めるところがなかったのだ。

何はともあれ、無事終了できたのはみんなの協力のお陰だとつくづく思う。


一周忌

2016-03-07 | 暮らし

2月からずっとイベント続きのような気がする。女子の講習会が終わり、加賀の総会が終わり、2月末に舅と夫の一周忌をした。

座敷の襖を外したり、重たい座卓を移動させながら、ひとりだなあとつくづく思う。婆さんはいるが、口は出しても手は出さないから掃除も力仕事も、料亭の手配もやり終える。親戚が寄るとき、殿にだまされたなあと思うことがある。

殿は一人っ子である。戸籍上は。ところが、同じ町内の本家に子供がいないため、妹を養女にやったので、結婚が決まった時「実は妹がいる。」と、言った。別に驚きはしなかった。へえ、そうなん。という程度だ。「実は、よそに子供がいる。」であったら驚くだろうが。

しかし、そのこと以上に驚いたのは、田舎である町内に姑の実家もあり、同じ町内に弟がふたりと、妹がひとり所帯を持っている。姑は8人兄弟の長女なので、一番下の妹は、殿の二つ上のおばさんとなる。結婚して初めての正月に、みんながうちに集まり、わたしは殿の小さな従妹たちにお年玉をばらまいたのである。こんなことが毎年続くのかと思うとぞっとしたが、幸い子供ができたので助かった。

というわけで、一周忌も婆さんの兄弟と、爺さんの親戚で20人。後は、娘夫婦とご両親。妹家族ということで、わたしのほうは母と弟しか呼ばなかった。無事終了したのでほっとした。

孫たちは一年前と違って、みな行儀よくお経を聞き、焼香をそつなくこなしたので、成長を感じた。

その翌週、1年生の孫がインフルエンザにかかり、病院へ連れていき看病し、午前中は一緒にいて、午後は仕事に出かけるが、姑がそばにいてくれて助かった。一周忌に重ならなくてよかった。

加賀の大会が3月6日なので、その週は弓にも触らず、ばたばただった。夜なべして、チーム編成をし道場へ夜出向いてみんなと情報を交換したものの、射礼の張り出しがまだだった。また友達に頼まなくてはならないが、インフルエンザのため出かけられず、メールでやりとりして、A0に印刷してくれてうちに届けてくれて本当に助かった。改めてお礼に伺わなくてはならない。持つべきものは友であるが、一方的に頼ってばかりなので申し訳なく思っている。

殿の一周忌は、わたしの多忙の中に埋もれてしまったように思う。時折、二度と会えないのだと思うと泣けてくるので、なるべく忙しくしているのだが、夜眠れない時もあるせいか集中力がない。いや、もともとなかったのかもしれない。

 


オニババ化する女たち

2016-03-02 | 読書

三砂ちづる著 「オニババ化する女たち」副題に、「女性の身体性を取り戻す」とある。

女性と男性では、女性には子供を産むという大きな違いがある。ここで女性が自分の身体に対し、もっと向き合わなくてはならないことを赤裸々に語るのである。

神社は女性の性の象徴が建物になったものという話があるという。鳥居は入り口で、参道は産道、お宮は子宮で、鳥居をくぐって入るお神輿は精子ですと。子供を産むということは崇高なことなのである。そして、産み育てるということに比べたら、その他のことはものすごい些末事だというのである。

理想ばかり追いかけても、人生は思い通りにならない。人生なんでも思い通りになるのなら「死」や「次の世代への交替」を、受け入れられない。特に結婚とか、子供を産むとか、誰かと一緒に住むというのは、全部「思い通りにならないこと」を、学ぶことだ。それを学ぶ良い機会が、結婚と子育て。

そういえば、若い人が、夫と結婚したのであって、その親と結婚したわけではないから、同居したくないという。結婚というのは、親や親戚、兄弟とも関わりを持つことなのだと思う。そのことに腹をくくらなくては、私のように夫を亡くした後、姑と暮らすことは無理であろう。お互いに、少しずつ思い通りにならないところを譲り合い、あきらめ仲良く暮らす努力をする。

さて、オニババの話はどこかというと、いくつになっても、自分のことばかり言っている年寄りというのが増えたという。自分が認められてこなかった場合そうなるのだそうだ。

自分が受け止められている意識のない人は、ついいろいろ言ってしまう。そして、人を管理しようとさえしてしまう。人が人を管理するのは、受けとめるということとは全く逆のこと。

受けとめられてこなかった年寄りはしがみついて自分の欲しか見えない。自分はもういいから、次の世代の人たちに世の中を渡していこうと、すっと気持ちよく老いていくことができないのだという。

わたしは、次の世代へ全部渡してしまいたいがなあ。大会の準備をしながら、何年も同じ仕事をしているなあと思う。引き継いでくれる若者は忙しい。けれど、何かと仕事があるから連帯感もあるんだろうとも思う。

オニババにならないように、にこやかにゆったりとしていたい。