明日は、仕事を休んでCT結果を聞きに行く。3月14日にCTを受けた。癌治療を終えて4年目になる。5年は要観察で半年に一度CTを受けるのだが、前回初めてCTの最中に吐き気がした。
造影剤を注射されるのだが、針から造影剤が入ると、耳のあたりから熱くなって、次にお腹の周りが温かくなる。造影剤は体にいいはずがないと思うので、拒否反応したのかもしれない。「大丈夫ですか?気分わるくないですか?」と、聞かれると余計に気分が悪くなる。例えば、この注射をすると元気がでますよーと、言われると元気がでそうな気がするだろうが。検査が終わると「水分をたくさんとってください。」と、言われるので、そこでまた不信感が倍増する。どんな悪いものが入ったのかペットボトルの水を飲みながら考える。
たぶんもう大丈夫だと思うのだが、5年間は通わなければならないらしいが。わたしの病気は神様からのプレゼントだと思っている。このおかげで、会社を早期退職し殿と一緒の時間を過ごすことができたからだ。もちろん、がんで苦しむ方や、仕事に復帰できずに困っている方もいる。若いうちは働かなくてはならない。その人その人で与えられた人生がある。入院中、乳がんを患った若い人が10年経って検査したら、前の乳がんは完治したが新しく癌が発症したのだという。そこでは、同病相憐れむという感じで、みんなが自分の悩みを打ち明け、わりと深刻にならずに笑顔で乗り切っている人が多い。たぶん、ひとりになると辛くて不安になるだろうが、食堂でみんな一緒に食事をするというシステムにしてあることが、患者同士の励ましあいになった。しかし、いったん退院するとみんな自分の人生を歩むこととなる。
男の人は少し違うようだ。殿は同室の人とは殆ど話をしなかった。いつも本を読むか、漢字のパズルをするか、TVを観ていた。なので、タブレットを買って持ってい行くとすごく喜んだ。彼は、わたしがすべてだったのだと勝手に思っている。娘に「マサコン」と、呼ばれていた。「おかあさんがいないと、どこ行った?と、探すし。」、マザコンではなく、マサコンなのだそうだ。
殿は世界一幸せだったのだと思うことにした。わたしは、40年もしあわせをもらっていたのだが、やはり失ってから半分の幸せになったと思っている。残りの半分は自分が努力しなくてはならないのだと思う。造影剤が体の中を流れると、自分のためと、残された娘やまだいる親のためにもう少し頑張らなくてはならないのだと思うと、受け入れなくてはならないのかもと思う。本当は、もう気持ち悪くていやなんだというと、娘は「子供みたいなこと言わんといてや。」と、言う。
子供に、子供みたいと言われるようになってきたらやばいのではないか。がーーーーん。