まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

旬の旅 立山寺(りゅうせんじ)

2024-07-14 | 旅行
岡田准一は木更津キャッツアイから、恐ろしく成長し、今や武道家とか柔術家というところまで名を広げている。
「明鏡止水」(NHK)の番組で、武術の達人たちが集結し、熱いトークと秘伝の技を繰り広げる中、岡田はただ者ではないなと感心する。
以前、弓道の角見の働きを説明した時、難なくそれを実現してしまうところを見て脱帽の感だった。武術の番組なので、兜を脱ぐという方がふさわしいのかな。

さて、その岡田准一の殺陣も素晴らしかった「散り椿」の映画の中で、印象的な栂並木のシーンがある。名カメラマン木村大作監督の映画は、美しいシーンとカメラワークが圧巻である。
このロケ地は、上市町の山里にある立山寺の参道だ。
今回の旅行の帰り道に寄れるところにある。
どうしても行きたい。
馬がその栂並木を土ぼこりを蹴立てて走るシーンが目に浮かぶ。
また、主人公の瓜生新兵衛が故郷の藩に戻る街道のシーンでもある。




ここです。ここです。あのワンシーンが蘇る。
ここを、岡田が歩いたんです。このあたり。この辺、この辺とはしゃぎたくなる。
この参道に岡田を歩かせたい。馬を走らせたいと木村監督が思う気持ちが分かる。ただただ壮観な栂並木だ。

栂はマツ科で大きく育つらしい。
「つが」と思っていたが、立札には「栂の並木」(とがのなみき)と、ふりがながあった。トガと呼ばれる本種は植物学上「モミ」であり、成長が遅いためこの並木は樹齢400年に及ぶ樹が林立するというのは全国的にも稀である。
高さ20m、太さ約3m、本数34本とのこと。

巨大な栂並木を抜け、300mほど行くと、門が見えてくる。二つの門をくぐると眼前に立派なお堂が出現する。

立山寺(りゅうせんじ)は、富山県中新川郡上市町眼目(さっか)にある曹洞宗の寺院。山号は眼目山(がんもくさん)で、町名の眼目(さっか)とは読み方が異なる。通称は眼目の寺(さっかのてら)。 
三代将軍、家光の寛永年間に植えられ、代々守り継がれてきた。
寺院は明治40年に大改造されたとある。







映画の中で、内山邸での西島秀俊と岡田准一の殺陣シーンは素晴らしい。
この殺陣は、岡田自身が振り付けたとのこと。木村大作が褒めちぎった岡田の殺陣のスピード感。やはり、明鏡止水でただ者ではないと見たのは正しかった。
内山邸へは椿の頃に寄ると良いかもしれない。
雪が降れば尚よい。

とにかく、この立山寺へ寄ったことは大きな収穫だった。

出来れば、馬が川を走るシーンのところも探してみたいのだが、立山大橋の近くとのことではよくわからない。
馬が駆けるバックに立山連峰がくっきり現れてくるのだ。
こうなると、もう一度映画を観てみたくなる。

栂海新道(つがみしんどう)

2024-07-13 | 旅行
途中立ち寄った栂海新道の登山口。
栂海(つがみ)と読むこの新道は、日本海の親不知海岸(0メートル)から朝日岳(2418メートル)までの約27kmを結ぶ登山道である。
北アルプス最北部の縦走路であり、健脚の登山者でないと踏破は難しい。
縦走と聞いただけで怖い。山を下りずに何日か歩くなど想像するだけで気持ちが遭難しそうだ。
その登山道を実現させた。さわがに山岳会を立ち上げた方が、苦節11年の歳月を得て1971年夏に登山道を開通させ現在に至っているという。

その海抜0mなら、誰でも行けるし触れる場所だと海へ下りることにした。
親不知観光ホテルから海へ下る道がある。



親不知(おやしらず)は、新潟県糸魚川市の西端に位置する崖が連なった地帯。日本海の海岸の断崖絶壁に沿って狭い砂浜があるだけで古くから交通の難所として知られる。海が荒れたら親子が会えなくなるのだろう。なので、正式には親不知・子不知というらしい。

ホテルの駐車場から海へ下りる。
途中、トンネルがある。明治の終わりに作られて、昭和40年まで旅客や輸送に使われていた。






山の縦走は出来ないが、栂海新道の海抜0mのスタート地点に立つことは出来る。
それは、誰でも出来ることだろうが、ここへ来ないと出来ないのである。



今下りて来た階段が妙に長く思える。
昨日と打って変わって良い天気で、汗だく。



途中、トンネルで涼んでから再び登る。
このままトンネルを歩いて、反対側から地上に出て戻るという手もあるが、相当歩かなくてはならないとしたら、階段を頑張って登り切る方が良いかも。
黒部の200段と同じくらいの長さはありそうだ。



駐車場の反対側の道に登山口がある。
よくもまあ、このような登山道をつくったものだ。
考えただけでもめまいがしそうだ。




 

旬の旅 黒部ダム編

2024-07-08 | 旅行
新幹線の座席の網のポケットに入っているトランヴェールという旅の本の中で、柚月裕子が「旬の旅」というのを書いていた。
ものごとには旬がある。と、いう書きだしで、友達が母親の介護を終えて、若い頃から憧れていたハワイに出掛けたが、旬ではなかったと。
自分の旬である。マリンスポーツするには無理な年齢になり、バーベキューの肉も、揚げドーナツも若ければもっと食べられた。
結局、彼女は尾瀬に水芭蕉を見に行くのが今の自分の旬であると語っていた。

わたしは、殿にハワイもイタリアも連れていってもらった。
イタリアでは、年配のご夫婦が体調を崩し、みんなが気遣っていて、そのご夫婦が、みんなの迷惑にならないよう、行動を控えていたことがお気の毒だったことを思い出した。
私たちは殿の会社の同期仲間の夫婦連れで、あの時が私たちの海外旅行の旬だったと思った。
今行ける場所。行きたい場所。見たいところ。
それが長年行きたかった黒部ダム。
よく言われる「へぇ~、まだ行ってなかったん?」
婆様にも言われた。「わてら松本で泊まって、あ~たらこ~たら」
では、行ってきます。

6月末で、梅雨最中。その日は雨。
扇沢から関電の電気バスで黒部ダムまで行く。
そこから、展望台まで200段の階段を上る。上りたくなければそのまま出てダムに行けるのだが、あえて200段を上る。
これが旬なのである。今だから行けるところ。登れるところ。走れるところとか。今の自分に無理なく行けるところを選べばいいのである。


「あと約100段です。湧水を飲んで一休みしてください。」
ですって。ちょい息が上がる。水飲もうか・・


ダムが見えて圧巻。
周りの山々を見ると、よくやり遂げたものだと思う。
最大の難所、大破砕帯で約80mに7か月かかったということは「黒部の太陽」の映画やプロジェクトXでも紹介されていて、この当時の方たちがやり遂げたからこそ、礎となり今の日本があるのだと言っても過言ではないと思う。
関電だけに難関突破して造ったダム工事。





雨に煙っている。
レインウェアを着ていて丁度良いと思っていたが、歩いているうちに暑くなってきた。



歩けば歩くほど、その巨大さを実感する。


ここで少しお勉強。
黒四建設開始は昭和31年8月大町トンネルの掘削開始。
我らと同じ年周りだ。1歳サバ読んだ。
7年の歳月を経て完成。昭和38年6月竣工式が行われた。











ここで殉職された方に手を合わせる。
あとで正式な人数は171名とあった。名前が刻まれている。





新幹線が停まる無人の駅

2024-04-11 | 旅行
買い物のついでにそっと加賀温泉駅へ寄った。
そっと寄らなくても、堂々と行けばいいのだが、人が殆どいないので気が引けたのだ。。
土曜だが人っ子一人いない。
電車の発着以外は人がいなくても仕方がないが、お弁当を売っているところも、特設イベントみたいに机だけだ。


開通までに間に合わなかったようで、完成は来年とのこと。


誰もいない駅。


わたしは上り線下り線が分からなくなった。
東京へ行くのは上りで、今までは福井へ行くのが上りだったが、金沢方面へ行くのが東京だから、これからは、上り下りを言うのはやめよう。
金沢方面、敦賀方面、東京行きと、はっきり言おう。
素敵な喫茶店だが、誰もいない。


温泉客はすぐに送迎のバスに乗るので、誰も駅に留まらない。


駅前のこのテントは何だろう。
これから進化していく駅となりますように。



新幹線止まる

2024-03-12 | 旅行
弓を持っている時は、指定を取るときに、号車の前か後ろを指定しなくてはならない。出来れば、一番後ろがいいと思う。荷物で押さえておけば弓は倒れずにいてくれる。
乗り換えが少ないことを優先する。
また、帰りの時間は翌日月曜の仕事に差し支えないようなるべく早めに着きたい。

日頃、生徒に弓は重い軽いではなく、強い弱いと言ってほしいなあと言うが、今こそ軽重を考える時。2mの弓を持ち歩くのはストレスである。
ちなみに量ってみたら、防水と矢筒含めて1.5㎏あった。
砂糖の袋1個半を常に片手に持っていなくてはならいということだ。

さて、一緒に行ったNさんと、乗り換え2回の電車を選択した。
藤枝~掛川、掛川~こだまで名古屋、名古屋(17:48)~しらさぎで加賀温泉20:23着。金額もよろしく、名古屋で少し待たなくてはならないが、そこでお弁当を買って食べようかと楽しい時間を想像していた。

話し込んでいて、止まっていることに気づくのが遅れた。
止まっているよね。新幹線も何かの通過待ちするんかい?ちゃう。
こだまが動かなくなったのだ。「三河安城」あたりだ。
アナウンスが入り、東海道新幹線に飛来物があって原因を突き止めるために止まっているとのこと。
動かないこと55分。これでは名古屋で乗り換えは間に合わない。
名古屋では、しらさぎは2時間に1本。
米原まで行くと、1時間に1本なので、どれかに乗れるかもしれない。
わたしたちは、即座に予定変更して、名古屋でひかりに乗り換え米原へ行くことにした。
米原で飛び降りて、何故かみんな走り出している。
「5番ホームにしらさぎが・・」改札で駅員が拡声器で促している。
弓を落としそうになりながら、切符を通すと、パタンと行き先を封じられた。
「清算してください」と、言われ、返金なら加賀温泉に帰ってからでもいいのにと思いつつ窓口へ行くと、ひかりに乗り換えたので、追加料金を支払えとのこと。無賃乗車でもしたかのような冷たい対応だった。
あれっ?これって、わたしたちが悪いわけではないのにと思う。
乗車できなかったしらさぎの返金ではなく、高い運賃のひかりに乗ったからだった。
もたもたしていると「今到着するしらさぎに乗れません!!」て、相棒が叫ぶと「大丈夫です、まだ時間があります!!」
指定席が空きますからそこに乗ってください。
そんなやり取りの後、飛び乗ってドアのところに弓を立てかけることが出来て、一番良い場所の指定に座った。
デッキに高齢の女性を連れた夫婦が立っていたので、たぶん新幹線遅延組と思い、「どこでも座って良いそうですよ。指定の方が見えたら替わりましょう」というと喜んでおられた。
ところが、本当の指定の方がみえるたびに、ずれなくてはならない。
その間、車掌は一度も現れない。
高齢の方は東京から鯖江へ帰るようだった。
「座れないままになるところを、ありがとうございました」と降りて行った。
私たちは、そこでまた座席をずれることになって、先ほどの高齢の家族のいたところへずれた。

そこまで来て、わたしは「おや?」と、気づいた。
ポケットの指定乗車券を見ると、今乗っているところ3号車のC・・
まさしく、乗るべきしらさぎに乗っていたのだ。
てっきり乗り遅れて、次の電車に乗ったと思っていた。
それも、飛び込んだ号車もぴったりで、鯖江のご家族の方に座席を譲っていたような状態だったのだ。その場所までずれてきて、指定を取った自分の場所に到達したのだ。
要するに、ひかりが、しらさぎを追い越したのだった。
分かったことは、特急、急行は2時間以上遅れなければ返金なし。
乗れなかった電車も、乗車前でないと返金なし。学んだ。

全くの「珍道中」だ。いや、女同士なので「漫遊記」かもしれない。




県立神奈川近代文学館

2021-11-24 | 旅行
田舎育ちのわたしは、草も木も観えない景色に驚く。
しかし、窒息しないのか?この中で暮らすのは難しいな。
ストレスが溜まらないかなとは、都会の人には余計なお世話であろうね。
泊まったホテルは夢のようにきれいで、窓からの景色もうっとりだったが。
街の灯りがとてもきれいね~~ほにゃららら・・
お泊りしたホテル。インターコンチネンタル・・
日本語のホテルってないね。
「ホテルよこはま」とか「ホテルみなとみらい」とか。
ルートイン、ベイ、ロイヤルパーク・・



かろうじて草と木が。彼らこそ、この都会のアスファルトに埋め込まれてつらいのだよ。


国立大ホール。
お上りさんなわたしは、大きな口を開けて見上げていた。
人の力はすごいね。めまいがするね。
低血圧の人間は都会に住めないね。
血圧と関係なかろうが。




元町・中華街駅に降りて見上げると高く高くエスカレーターが続いている。
私たちはエレベーターで上がり、出たところが「アメリカ山公園」。
エレベーターのドアが開くといきなり公園に出るが、まるでビルの屋上のような気がした。狐につままれたような気がした。
そこから港の見える丘公園をめざして歩く。







目指すは「県立神奈川近代文学館」そこでも会いたい人がいる。
本をたくさん送ってくれたTさん。
しかし、アポは取っていない。


大佛次郎記念館の公園から横浜市イギリス館が見える。



イギリス館を横目で見て、大佛次郎記念館を通り後ろにまわると神奈川近代文学館へ行ける。




長い橋を渡り県立神奈川近代文学館。わくわく・・




受付で加賀市から来たことを述べ、Tさんにお会い出来たら・・と、申し込む。
いきなり来たことを詫び、少し寄贈本のことと、寄贈者の方の事を訊くと丁寧に応対していただき、特設展の「樋口一葉」の、本まで頂いてしまった。
ほんの15分ほどだったが、お会いできて良かった。

昼食は駅前で軽くサンドイッチとコーヒーですませる。
店の目の前に「ウチキパン」の看板が見え、思わず「消極的なパン屋かな」と、口にしてしまう。
内気なパン屋ではない。地図にも載っている立派なパン屋である。

ここから、東京駅まで戻り鎌倉、横浜の2日間の文学館視察の旅が終わった。
足が痛くなったのは反省である。
鎌倉はもう一度行きたいと思う。
帰ってすぐ、文学館館長と、Tさんにお礼のハガキを書いた。




横浜中華街

2021-11-22 | 旅行
痛い足を一度休ませて、中華街へ繰り出そうということになった。
窓から見える夜景が美しい。

街の灯りがとても綺麗ね横浜・・♪
いつの昔の歌か。昭和だ。



中華街は火曜だからか、コロナの影響がまだあるのか、もっとにぎやかなのを想像していたので、意外と静かだと思えた。



彫刻の素晴らしさに引き込まれてしまう建物。
横浜関帝廟(よこはまかんていびょう)
簿記の発明者とも伝わる関羽をまつっている。
商売繁盛の神様であるという。



中華料理と紹興酒でお腹を満たして帰ると、本日の歩数は2万歩を越えていた。良く歩いたものだ。
鎌倉市内と、中華街、歩け歩けの旅。
明日は神奈川県立近代文学館。
歩けるだろうか。足の裏が痛い。
ブーツの底は思ったより薄いのだ。


文学館から二階堂へ

2021-11-22 | 旅行
深田久弥氏は、昭和7年鎌倉二階堂の大塔宮(だいとうのみや)前の借家に移った。
そこへ行くために鎌倉文学館から再び歩く。
一緒に来てくれた友達は健脚なので、この際、街並みも良く分かるので歩こうということになった。
江ノ電を恨めし気に見送って歩く。
由比ガ浜駅から鎌倉駅方向の反対側まで行くのだから相当の距離があるはず。


鶴岡八幡宮を斜めに見て通り過ぎる。
マスクをした狛犬たち。文学館を14時30分くらいに出て、この時点で15時。30分ほど歩いた。




途中、雪の下を通る。この辺りは、小林秀雄が住んでいたのだが、番地は分からない。今日出海も雪の下で、深田久弥たちはいつも集まっては飲み、語り、山へも誘っていたのだ。
「岐かれ道」というバス停から左へ入り、鎌倉宮又の名は大塔宮へ向かう。
いよいよ近づいてきた。


ついに見つけた。二階堂91。文学館の館長さんから聞いた住所なので間違いない。
ここが当時住んでいたところだが、今では他の家が数件建っている。
文学館から小一時間歩いたことになる。
少しかかとのあるブーツを履いていたので、足の裏が痛くなってきた。
ぺたんこの靴ならもっと速く歩けたと思うが。


すぐ目の前に鳥居がある。
毎日、この鳥居を見ながら生活をしていたのだなあと思った。



本当に、大塔宮の真ん前だ。
15時30分になっていたので、さすがに帰りは鎌倉宮前からのバスに乗った。
鎌倉駅からいざ横浜へ。電車に乗る事30分。
みなとみらいへ。
後で地図を見て、鎌倉中心街を完全に横断していたことを確認しすごいと思った。ひとりならタクシーを使うかも。


鎌倉散歩

2021-11-21 | 旅行
約束の日、朝の電車が濃霧で5分遅れていた。
少しずつ霧が晴れてくるかと思ったが、わたしの乗るダイナスターはさらに遅れて、加賀温泉7時11分発が7分遅れで出発。
金沢で新幹線の乗り換え時間が4分しかない。
先日、このブログで「あろうことか三隣亡」の時のようになるのが怖くて、早く駅に着いて、車も余裕をもって駐車したのに、あの忌まわしい一日が蘇るようで緊張する。
ついに金沢到着まで1分も縮まらなかった。
到着前からデッキに急ぐ人たちで列が出来、旅慣れない私も1秒でも早く乗り換えに間に合うように走る体勢になっていた。
ドアが開いた瞬間に、だぁーっと人々が走る。
一緒に走ったが、様子がおかしい。
5~6人の人たちに着いていくと、中央口の階段を下っていく。
おっとっと・・新幹線乗り換え口は中二階だ。
あの人たちは金沢駅でバスに乗り換えるのかもしれない。
ついて行ってはいけないのである。
新幹線改札を抜け一番手前のエスカレーターを上ると、東京行き22番線のホームである。
「かがやきですか?」と、50歳くらいの作業服の方が声をかけてくれて、少しほっとした。
ホームに停まっている新幹線の前で「間に合ってよかったですね」と言いわれ「はい。ほんとに」と、答えそれぞれの号車へ。
わたしがよほど焦って見えたのかもしれない。
座席に着くと、2分しか経っていなかったことに気づいた。
乗り換え小走り2分。

東京駅では横須賀線に乗り換え「いざ鎌倉」。やれやれ。

午後の約束なので、御成通りのイタリアンレストランで軽く昼食。


天気が良くて、汗がでるくらいだ。
由比ガ浜大通りを歩いていると六地蔵がある。
ここはかつては刑場だったそうだ。刑死者の霊を慰めるために6体の地蔵をまつったという。


鎌倉駅から由比ガ浜駅まで電車に乗れば、鎌倉文学館迄10分くらいで着くのだが、午後に伺うという約束なので、時間調整を兼ね昼ご飯を豪勢に食べた後、大通りを歩くこと30分。

文学館の入り口にさしかかる。
鎌倉文学館の本館と、広い庭の敷地は、加賀百万石藩主前田利家の系譜である旧前田侯爵家の鎌倉別邸だった。
石川県ゆかりの場所だったのである。
広い敷地に、4月~6月は見事なバラを見ることが出来る。


門から建物まで少し歩く。森を散策する感じだ。


なぜかトンネルがある。
源頼朝が鶴を放ったという故事にちなむ「招鶴洞」という。


トンネルの石には細かな模様があった。
これは何だろう。


館長室が3階にあり、そこで館長と少しお話をした後、窓の外の景観を楽しみながら、建物の案内をして頂いた。
何回か建て替えられ、昭和11年、今の洋館が完成したそうだ。
第二次世界大戦後、佐藤栄作元首相も借り受けて別荘として使用していたこともあったということ。
昭和58年に、前田利建氏より鎌倉別邸の建物が鎌倉市に寄贈され、補修と増改築を施し鎌倉文学館となった。
高台にあり格別の景色の所に建っている。
さすが百万石の力かな・
由比ガ浜の方向に相模湾が見える。



こちらから撮ると2階建てのようにみえるが、3階建てである。
今回の特別展は「芥川龍之介」
常設展のど真ん中に、「深田久弥」「大佛次郎」があって嬉しかった。



帰りがけに館長と文学館をバックに記念撮影。
バラは殆ど咲いていなかったが、館長おすすめの大輪の『鎌倉』と名付けられたバラがすごくいい香りで咲いていた。
大月さんという方が品種改良して見事に咲かせたそうだ。


後ろ髪を引かれる思いで文学館を後にして、江ノ電の通過を見て、またまたひたすら歩く。さて、次は深田久弥氏の住んでいた二階堂へGO!





鎌倉文士たち

2021-11-19 | 旅行
『鎌倉文士とカマクラ』を読んで、深田久弥が川端康成や小林秀雄ら鎌倉文士と呼ばれた仲間たちと『文学界』を創刊したことを知り、鎌倉文士と深田久弥の関わりに興味を持った。
また、深田久弥にのめり込んだ方から寄付された大量の本の整理をしたことも手伝って、小林秀雄や今日出海たちとの文章もおもしろい。
丁度『玉まつり』という門玲子さんの本が出版され、加えて鎌倉へのあこがれみたいなものが芽生えてきた。文学少女か!!


『鎌倉文士とカマクラ』の出版社のアンケートに答えたついでに、質問を書いたら、著者から直接返事を頂いた。
その著者が、「鎌倉文学館」の館長富岡幸一郎氏だった。
お返事のハガキの最後に、「コロナが収まったら鎌倉文学館へどうぞお越しください」との文があり、機を見て行きたいと思っていたところ、実現することになった。コロナ感染者が減ってきて、いよいよ県外もいいかなと思えたからだ。
行く前にもう一冊、深田久弥の前の奥さんが書いた『透きとおった人々』も読んだ。これは、北畠八穂さんの随筆で、鎌倉で関わった人々のことが書いてあるのだ。中原中也、太宰治、堀辰雄、大佛次郎、川端康成、室生犀星・・・・まだまだ、その頃活躍していた人々とのやりとりが、微細に書かれている。
それは、そばに深田久弥がいることも想像できる。



さて、館長の「いつも火曜に文学館にいますのでどうぞ」という言葉を真に受けて、いきなり行くのもどうかと思い、手紙を書いて、11月6日の火曜に行く予定を伝えた。ケータイ番号も書いておいた。
電話がかかり訪問時間を決めた。
同じ博物館連絡会があり、一応われらの館もささやかながら仲間であることが助けになった。
虎の威を借る狐のようなものである。








カミオカラボ

2019-04-12 | 旅行

新穂高へ行く途中、飛騨市神岡町の道の駅に寄った。「道の駅宙(スカイ)ドーム」が、素晴らしかった。無料で体験できるのも素晴らしいの中に含まれる。

例のニュートリノ研究でノーベル物理学賞を受賞した「梶田隆章博士」のパネルのお出迎えがあって、中に入ると、スーパーカミオカンデの映像がある。

一体ニュートリノとは何だと、原子より小さくてどんなものでも突き抜ける。その存在を捉える不思議な研究に、相当な費用がかかっているだろうが、謎の多いものこそ科学者がわくわくするのだろう。

実物の「光電子増倍管」を、鏡で無数に見えるようになっていて、写すと自分まで撮れてしまう。

鏡の中は小さいころ、天井を写して落ちていきそうな感覚を思い出した。

 

 

 


雨の黒部

2018-09-13 | 旅行

仕事の休みに山友達と山へ行く予定だったが雨となったため、急きょ黒部行きとなった。

途中「生地」の、魚の駅で岩ガキを食べた。牡蠣は大好きなのだが、姑が嫌いなために家では食べれないのである。なので、生の岩ガキは最高だった。店主は、いつもより小さいので安くしてくれた。海水の味が塩辛くて、もう少し洗ってもらえたらと思ったが、すでにつるりと喉の奥であった。旨い、とろける。

 実はわたしは黒部へ行ったことがないので、トロッコ電車にも乗ってみたかったが雨のため断念。

ところどころ雨が漏るし、激しく流れ落ちるところもあって、トンネルの中でも傘を差して歩いた。

途中のぞき穴があって、手前から3番目の穴から撮るのが一番いいらしい。汽笛が聞こえる。走れっ!!

来た来た!!通路は雨が流れている。撮れたっ!で、電車が・・どこ?

次は手前の橋から撮ることにした。傘をさしながらの撮影。雨はしぶしぶ降っている。

ぐるっと、トンネルをくぐって行くトロッコ電車、向こう側はどんな景色なのだろう。

さて、その後は宇奈月温泉を通り過ぎ、宇奈月ダムの奥へ。まるでよその国のお城のような建物。その方向に「とちの湯」がある。こんな山奥にぽつねんと・・小さな温泉。

誰もいないうちに、露天風呂を覗く。露天風呂の注意書きには「外から見えてしまう場合がございますのでご留意ください」とある。どのように留意すればよいのか。まあ、覗いた人の方が不運ではあるだろう。ここから左側の山すそにトロッコ電車が通るのが見える。

少しぬるい湯だったが、後でほわほわと温かくなってきた。外に出ると胡桃の木があって、胡桃がひとつふたつ落ちていた。山登りもいいが、ぼおっと雨の中を歩いて温泉に浸かるというのはいいものだ。

こんな時、天国は天国になくて、この世にあるのだと思う。お釈迦さまは蓮の花の周りを散歩しているだろう。まさか、天国の温泉につかってはいないだろう。ありがたや・・

 

 


石谷家

2013-03-15 | 旅行

前日、三朝温泉で一泊し、夜には三味線や踊りを見て、その後、浴衣のままで川べりを歩いて、川に降りて足湯にまでつかった。日中は、24℃だったのにこの日は、最低気温6℃まで下がった。身体かついていけない。H先輩がつまらないダジャレを言うので、それも加えて寒くついていけない。しかし、先輩は敬わなくてはならない。つまらないだじゃれには、つまらないだじゃれで返すほかはない。

軒下には杉玉や、杉で作ったふくろうなどが飾ってある家が多い。

また、このあたりは立派な白壁の家が多い。その白壁も、どこの家もしみひとつなく、真っ白だ。瓦もしゃちほこがくっついている。

ついつい5千円で杉玉を買った。家内安全。何十年も持つと言われた。軒下に飾る前に家の中で、杉のいいにおいを満喫する。


富士周遊旅行  おまけ

2009-10-09 | 旅行
旅行の翌日。
買い物のために平和堂へ向かう途中、温泉駅の交番前で交通安全のセレモニーらしき人の賑わい。
警察の方と黄色のヤッケを着た一般の方が整列していた。
何気なく車から見ていたら、前で警察と肩を並べている腕章をした人が目に入った。
「しげのすけ」だっ。
窓を開けて「しげのすけ!!」と言いたい衝動にかられたが、旅から帰った後、日常に戻ると、冷静になっている。
あのときのノリは、豹柄姉さんがいないとできない。
車で通り過ぎるとき、横目でシゲノスケを見ると、神妙な顔をしている。
前のほうにいるので、しかるべき地位の人でしょう。
もしかして、名のある人かもしれない。
そういえば奥さんは、やけに上品だった。

で、ガイドさんに面の割れているだんなも、このツアーの会社の取締役で、子会社の社長だと、しげのりさんやさっちゃん達にばらしたら、きっと遊んでくれなかったと思う。
不倫の夫婦が実は、そうだったなどと。




富士周遊旅行 完結編

2009-10-08 | 旅行
部屋へ戻ったわたしたちは、今日の出来事が可笑しくてなかなか眠れなかった。
旦那の会社の旅行は何回も来たが、このようなことは初めてだ。
豹柄の世話焼きさっちゃんは、絶対大阪出身だろう、石川県人らしくない性格だ。
石川県人なら不倫と思われる夫婦を仲間にいれるだろうか。
ももちゃんかおりちゃんも、「不倫やと雰囲気で分かるし。」とか言う。
雰囲気で分かるらしいが、分からなかったでしょうが。
この辺が、みんなの無責任な想像力だ。お互いに。

で、誰からともなく明日朝一番にバスに乗るとき、場所替えしようということなりみんなの意見がまとまった。
ガイドさんを驚かせたいという我らの目論見。
尼御前夫婦の席に、たみちゃんと後部座席のリーダーしげのりさんが、中間席に座る。
ももちゃん、かおりちゃんのところへ、しげいちとカミちゃんが座る。
女同士が男同士の入れ替わりになるのだ。
わたしたちの席は、ももちゃんと尼御前夫婦の旦那さん「しげのり」が座る。
わたしとかおりちゃんは、後部座席へ。
替わらないのは、総監督豹柄さっちゃん。

しげいちは、バス会社の者なのでガイドさんに顔を知られている。
はじめに乗り込んだときに、挨拶もしている。
なお更、移動したことが明らかになる。
さっちゃんに、しげいちはこの会社の者だというと、運転手かといわれたが、運転が出来ないというと、
「運転せんと、何しとんや、何しとんや」と、不思議そうだった。
「何しとるんやろねぇ」と、ぼけていた。

首尾はOK、明日朝ロビーへ集合して、結団式をしようと言って部屋へ戻ったのだ。
ガイドさんの驚く顔を想像してわくわくした。
いい年をして、いたずらをするようなわくわく感だ。

朝、ロビーで集合。玄関先で仲間の記念写真を撮り決行の意思を固めた。
ホテルから本栖湖までの30分ほどだ。
さっちゃんは、前日と違う服だがやはり豹柄をお召しになっていた。
どうしても、大阪の人と思える。

ガイドさんが人数確認に来た。
分かっているはずだが、何も言わずに戻った。
尼御前たみちゃんは、しげのりさんと座ってにこやかに会話している様子。
しげのすけさんは、ももちゃんと会話が弾んでいる。
わたしたちは、さっちゃんとかおりちゃんで、
「驚いたアクションがなかったねぇ」
さっちゃんが窓から外を見て
「ガイドさん、運転手に話してるよ。いっこく堂みたいに口を開けんとしゃべって、手を動かしてる。運転手がこっちを見てるわ」
くすくすくす・・

富士の水のペットボトルがお土産として配られた。
ガイドさんは
「場所替わりましたね」と、笑いながら言った。
たったそれだけだが、いい年をした大人たちであるからこそ可笑しかった。
そして、おかしな緊張感を味わった。
可哀想なのは、しげいちとカミちゃんだ。
本栖湖まで全く言葉を交わさない。
カミちゃんは若いので、自分から話さないだろうし、気まずかったのだろう配られたペットボトルをずっと握り締めていた。

無事本栖湖に着くと富士山は美人の前では姿を消すというらしく、全くその影も見せなかった。
そばにCMポスターがあって、誰ともなくポスターをカメラに収めた。