藤原氏が、第2弾を出版したのではない。
わたしが、またテレビのニュースを見てショックを起こした。
朝のニュースで、みのもんた氏も、
「きずな」は、新聞ではひらがななんですか。と、反応していた。
「きずな」は、「絆」と書いてほしい。
ついでに、「しつけ」も、「躾」と、書いて欲しい。
躾などは、美しい字ではないか。身を美しく・・と。
この漢字がなくなることが、自然にその言葉すら無くなっていくようで怖い。
読み書きそろばんという基本が、崩れていけば、どうなるのだろう。
そういえば、この頃若い娘の注文書に「すいません」と、書いてある。
すいませんでは、すみませんだろーと。ちくちく思う。
もちろん、お客様なので静かに流しているが。
ついでに言うならば、漢字が廃れていくと、言葉遊びもできなくなる。
例の爺は「わしは、後期高齢者じゃない。高貴なお方の高貴高齢者や。」と、凄んでいた。そう言われて、とっさに「げっ」とか、「ぶっ」とか、言えなくなるのでは、会話が繋がらないではないか。
と言いつつ、げっと、ぶっでは会話にならないが。
わたしが、またテレビのニュースを見てショックを起こした。
朝のニュースで、みのもんた氏も、
「きずな」は、新聞ではひらがななんですか。と、反応していた。
「きずな」は、「絆」と書いてほしい。
ついでに、「しつけ」も、「躾」と、書いて欲しい。
躾などは、美しい字ではないか。身を美しく・・と。
この漢字がなくなることが、自然にその言葉すら無くなっていくようで怖い。
読み書きそろばんという基本が、崩れていけば、どうなるのだろう。
そういえば、この頃若い娘の注文書に「すいません」と、書いてある。
すいませんでは、すみませんだろーと。ちくちく思う。
もちろん、お客様なので静かに流しているが。
ついでに言うならば、漢字が廃れていくと、言葉遊びもできなくなる。
例の爺は「わしは、後期高齢者じゃない。高貴なお方の高貴高齢者や。」と、凄んでいた。そう言われて、とっさに「げっ」とか、「ぶっ」とか、言えなくなるのでは、会話が繋がらないではないか。
と言いつつ、げっと、ぶっでは会話にならないが。