まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

安眠のために

2024-06-29 | 暮らし
先日、網戸のグッズを買いに行ったときに、いろいろ興味深いものに出会ってしまった。
その中で、今年の夏に必要だと思える遮光、断熱カーテン。
実は、寝室の明り取りの窓があるのだが、その窓から差す光が眩しい。
そこにはカーテンがないので、夜更かしで朝寝坊の私は5時ころから差す光に目覚めてしまい、後30分、後10分と朝の貴重な2度寝時間が邪魔されるのだ。
他の窓は、格調高い遮光カーテンで光は漏れない。漏れな過ぎて心配でベランダ側は少し隙間を開けてある。
高めの窓から差す光は夜の街灯の光も映すので、安眠の為に真っ暗にしたい。丁度よい遮光カーテンを見つけ、踏み台に乗り本棚に足をかけて押しピンで止めた。
ひとつ押しピンを落としたが、後で拾えばいいか・・と、作業は終了。
2枚重ねてみたらいい具合だ。
それでも昼は窓枠が映るのだが、夕方になるといい感じになる。





夜、ベッドに腰かけて天井から貼り付けた窓を眺めた。
おしゃれではなくなったが、背に腹は替えられない。
安眠を優先したことに満足し、「よっしゃ!」と、立ち上がった途端、かかとにぐさり!あ…押しピン。探し忘れていた。
しっかり体重をかけて、しっかり花形のピンが踵に食いついた。
相棒がいなくて良かったわ。と、思った。自分のしたことが自分に返るのだ。
探す手間が省けたというもの。
痛みの伴う安眠だった。



努力は報われた

2024-06-27 | 
草は雨が降った後、見事に伸びている。
隣の塀の陰に植えたアジサイがやっと花をつけた。
2021年に手帳に「ガーデンプロジェクト」を立ち上げた。
草刈が大変で、自分の励みに手帳を作ったというだけのことだ。
審査合格プロジェクトを立ち上げても、同様に効果は出ていないだろう。

荒れ地にアジサイが見事に花をつけた。
過去のノートを見ると、努力の跡が。
2021年6月に挿し木をする。
花の咲いていない茎を1~2時間水に浸けた後、鹿沼土に挿し鉢ごと水に浸けること1~3日。
日陰において毎日水をやる。
7月23日、日陰の涼しいところで培養土を入れた大鉢に植え替え。
この時、4本。
8~9月、日陰でひたすら水やり。
大鉢で育てて、ようやく根がついて葉が出たのが2本。
10月に地植えした。
古い矢で植えた場所に印をした。見失うほど小さい。
良い土と油粕を撒いてみるが、大きくならない。
2022年 なんとか枯れずに10㎝くらいに伸びたが心もとない。
2023年4月アジサイに小さな芽がついていた。15㎝ほど。
けれど咲かず。茎は伸びてきている。園芸用の土を入れる。
6月、弱々しい。発育不足な自分を見ているようだ。
草刈に行くたびにアジサイを気に掛ける。
9月、少し大きくなってきた。苦土石灰と油粕。
2024年 6月2日 アジサイ、小さな花をつける。弱々しい。
ペットボトルに水を入れて持っていく。3年目にして!!



6月25日 草刈に行ってびっくり。
花が20以上。ついに努力は報われた。




草刈の疲れが吹っ飛ぶ。
登山で花に会うと嬉しいのと同じ気分だ。
しかし、この密かなプロジェクト。荒れた土地をどうしようというのだ。

ヒオウギはほったらかしだが、毎年同じ所で咲いている。
はるか向こうの塀の所にアジサイがぽつねんと。



また挿し木する元気はない。3年もかかるのだから。
それなのに、全く上達のみられない弓道を何十年続けているとは。
体力と才能がないのではと今更ながら思うのだが今後の成長は見込めないし、枯れないように手入れをしなくては。
肥料の代わりに栄養を。新しい弓具を買ってみるという選択肢もあるかも。
人間に成長がみられない場合、すがるは弓具。
しかし、そう簡単に変われないと思うけれど変化は楽しめるだろう。

努力は必ず報われるの?

2024-06-26 | 弓道
オリンピックが近づき、選手たちは出場を喜び、必ず「努力は報われます!」という。
でも、レベルの高い選手同士戦うとなると、報われる人は一握りで、残りの選手は目標に届かなかったら報われなかった・・となるのか。
全力を出し切ったので、悔いはないと言いつつ悔しさは残るだろう。
悔しさが残るということは、悔いという言葉が心の奥に潜むかもしれない。
果てしなき目標に立ち向かう姿は素晴らしい。

さて、我々の趣味程度の弓道でさえも、努力してひとつ階段を上りたいと思う。しかし、努力しすぎて膝や肩に痛みを感じる時、報われない・・と、心折れる。
どこも痛くないときは、努力が足りなかったのだとしょげる。
日々の稽古で、波があり、のびのび引けて中りが出たかと思うと、次には、この前のあれは何だったのかといぶかる。
かつて、範士の先生の講習の中で、日々同じようにみえるけれど、らせん階段を上っているのだとおっしゃられ心強く思ったものだ。
ところが、年齢を重ねると、らせん階段の手すりにすがり、膝の痛みに悩まされ、それでも知らん顔して引かねばならない状況となる。
分かったような顔をして生徒に教えながら、自分も密かに教えたことを実践し、そのことが間違いないと分かりつつ、身体が若者たちのように素直ではなくなってきたことに気づいたりする。

努力は必ず報われますと言ってみたくて、努力を続けることが喜びなのかもしれない。

ちょっと膝に違和感が。コンドロイチンを飲むという努力も必要なのか。


網戸の貼り替え

2024-06-25 | 暮らし
夜、東側の窓からの風が涼しくて、今のところ快適な状態でTVを観ている。
しかし、やたら蚊に食われる。それは快適ではない。
ベープの電源を入れ、液を確かめる。
どの部屋もそんなに蚊はいないのだが、リビングにいるといくつも刺される。昼、窓をしげしげ見たら、網戸のふちが劣化して隙間が空いているではないか!!
夜には気づかず、蚊の出入り自由を許していたのだ。
日々の油断とは怖いものだ。


早速、貼り替えに出そうと思ったが、近所の量販店は店じまいしてしまって、あの「網戸貼り替え」の看板は幻となり、YouTubeで貼り替えを観ていたら、障子の貼り替えより簡単じゃん!!と、思いついて材料を買いに出かけることにした。
それにしても、量販店が遠い。
うろうろ回って売り場が見つからない。網を測って切り売りしてもらうのだと思っていたが、そうではなかった。
色々な編み目サイズがあって、大きさもそれぞれ。
窓なので小さくてもいいのだが、91㎝×2m、他の窓も替えればいいのだが。
ちなみにメッシュ32。
後で知ったが、娘婿の会社の同業の会社での製作とか。
織物工場は今、メッシュクロスを多く手掛けている。
さて、道具は3点セットを買い、はて??


ふちのゴムを選ぶところで迷った。3種類の太さがある。
がぁ~ん。測ってこなかった。たかが200円ほどで一旦家へ帰って測らなくてはならない。
どの網戸も同じ規格かと思っていた。
仕方なく、一旦帰宅。
ばらばらとゴムを外してさっと拭いて、おやおや。このまま使えそうなことに気づいた。


いざ、はじめっ!クリップで止めて、ローラーで押し込んで、最後にカッターで切るだけだ。
カッターが今いち切りづらいが、まあ素人なので。



ゴムは前と同じ所で曲がりを合すのがちょい誤魔化しが必要。
これが、替えゴムを使うと良いのだろうと思うところ。


費用、材料 1600円。
店の表示に、取り替え 2000円とあった。
よかよか。
後1枚出来そうだし。しかし、アミの巾が結構余ってもったいない感じだ。


レジゴー

2024-06-22 | 暮らし
イオンの感謝デーは、どのレジも長蛇の列だ。
この時こそ初のレジゴーを体験しよう。
入り口でタブレットを取り、カートに取り付ける。



かごに入れる時にスキャンすると、合計金額が出てくるので、自分の
予算内で押さえることが出来ていい。
何より、長蛇の列に並ばなくてよいので、これは画期的。
最後にゲートで数量チェックをするだけ。
取り消しも×で出来るし、セルフレジよりいいと思う。
でも、面白くて買い過ぎた。
予算を考えていなかった。
時折、補正予算となる。



誰がマイナンバーカードをご所望で?

2024-06-18 | 暮らし
誰がマイナンバーカードを欲しいといったのでしょうか?
多分、国民の皆様方ではありません。
通帳と紐つけすれば、返金や支援金をすみやかに戻せます。
皆さんの財産がスケルトンで監視できます。
自民党の裏金は隠し通しますが。 

健康保険証や車の免許証もひとつにすると便利です。
さて、失くしたら3倍のリスクです。
スマートシティと言いつつ、市はお金もないのにピンハネされる仕組みと手を結び、各施設にピッと言わせるタブレットを置きました。
わずかな売り上げから、わずかな手数料をしなっと引かれます。
しなっとは、方言です。
お客様にはポイントが付きますのでお得です。
そのポイントって、どこからお金がでているのだろう?

ほっとする店があります。
近くのドラッグストアは「現金でお願いします」引かれる価格はお客様に還元しますと。
デイジーなんたらとかリクルートなんたらとかに0.024・・というささやかなピンハネをされても分からない。塵も積もれば山となるのをお客様へと。

過日、県庁の横の「星乃珈琲」で、食事をしたら、「当店は現金支払いのみとしています」とのこと。なんか嬉しかった。

加賀市のイヴェールボスケは、店内ではスマホを使わないように静かなひとときをと。
日本中の人々が、AIやスマートシティを目指しているわけではないようです。
それでも、時代に取り残されないようについていかねばなりません。
今日からイオンでは「レジゴー」が、始まります。

ちょっと様子を見てこようかな。



ドラマの小道具

2024-06-17 | TV
毎朝「虎に翼」を楽しみに観る。
その中で嬉しいものを見つけてしまった。
寅ちゃんが働いていた弁護士事務所で、雲野役の塚地さん(ドランクドラゴン)が、本を手にしていたのが「改造」だった。

仕事で、昭和の初めの本の整理をしていて、文芸や改造はなじみ深いが、通常はだれの目にも触れない本である。
しかし、それをちゃんと登場させるあたりは、やはり「NHKなんで」と、ウッチャンの科白を口にしてしまいそうだ。
「改造」は、そのころの時事や事件などを載せてある。

「鎌倉殿の13人」での、カーボンの弓は仕方ないとして、本については小道具の方々がよく勉強されていると思った。


ドラマの中で不自然なものに気づくのは年をとったせいで、そこにこだわるわけではないが、少し気持ちが引いてしまう時がある。
例えば、昭和の初めの恋文が横書きだったりすると、この時代に筆で横書きの文を渡すだろうか?とか。
けれど、時代についていかないと、買い物も出来ない今日この頃だ。

伝達のない伝達講習会

2024-06-16 | 弓道
過日、伝達講習会が小松の道場であり参加した。
6月なので、絽や紗の着物は早いかと単衣の稽古着のような着物を着た。
昨年、10月の「着物騒動」の時に偽紋で縫い付けた着物だ。
例の偽紋の着物だが、さして不都合もなく終えることが出来て良かった。
Nさんにこっそり、背中の紋と胸の紋が違うことをいうと、
「いいですね。裏紋っていうのもありますしね」と、言われた。
なるほど、物知りなNさんには、いつも学ぶことがある。

さて、講習会は中央からはあえて伝達することがないという。
それなら、「伝達」という冠はおかしいねと思う。
当然ながら、毎年受講するともらえる修了証はない。
伝達していないからだとか。
それでも、先輩先生や高段者の先生からの講習は気づきをもたらせてくれる。
お互いの研修会のようで楽しかった。人数も少なかったので弓もしっかり引くことが出来て良かった。

中りのないのはいかがなものかと、中央の上の方からため息が聞こえてきそうだが、2020年3月に自分で書いていてすっかり忘れていたことに、コメントを頂いて、それを読み直していて、もう一度気持ちを整えた。
阿波研造先生の言葉「すべて中れば曲芸にすぎません。外れるから武道である」のだと。正射をして中るのである。
「弓を引くのに快と不快を分けてはなりません。悪い射に腹を立ててはなりません。良い射に喜んではなりません。中てようとしてはなりません。離そうとしてはなりません」

そういえば、調子の悪い時ほど、真摯に的に向かって自身を見つめなおそうとしている。良い時は、天才かもって思ったとたん奈落に落ちる。
「人を殺す剣や弓は、人を生かす訓練にかわり、武道が宗教と絡む所以である」と、再度書き記したい。

わたしの過去からの伝達である。



ツバメの句

2024-06-12 | 暮らし
今年もツバメにガレージを乗っ取られ、糞害で大変だ。
毎年来るツバメのために、入り口に網を張りカラスの侵入から守る。
シュンと飛んでくる姿がいい。雛たちは親が来るまで顔を出さない。
近所では、もうツバメを入れないという方もいる。
確かに大変ではある。うちのガレージは2階が物置になっているので、2階へ行かないように階段の上り口はカーテンを張り巡らせてある。
1階の隅に置いてある弓具の場所にもカーテン。自転車にもカバーを。


しかし、時々どのようにして入るのか、小さな隙間から入って糞を落とされるとがっかりする。
外に停めてある赤い車に落ちる糞も、気づくたびに洗う。
しかし、元気よく飛び回り、雛が孵ってふわっと飛び出す時に良かったなあと思う。寂しい我が家にお客が来て賑やかになる感じだ。
カメラを構えると、なかなか撮らせてくれない。
ヒュンヒュン飛び回る。今年も来た来たと喜ぶ。
そして、巣の数がどんどん増えていく。



北國新聞にツバメの句が載っていて、胸がきゅっとなった。
「被災地に 帰る軒なし 初つばめ」

当たり前にやってくることが、当たり前ではないことを。




不適切にも

2024-06-10 | 暮らし
すっかり浸透した「不適切にもほどがある」
世の中で、そんな言葉に出会うと少し考える。
昔のドラマや歌にはそんな言葉が散らばっている。
友達と話していて、そういえば若いころ上司に言われたよね
「‥あれって、パワハラやセクハラだよね・・」と。
そして、それらの不適切な言葉は、何十年経っても頭の隅に残っている。

この前、新聞に「雄々しい歌だった・・」ということが書かれていて、雄々しいは男性的な言葉だなと思うと同時に「女々しい」は、女性を蔑視するような感じがする。
男性に対していう言葉で、柔和な感じのことを女々しいという。
「めめしくて~めめしくて~♪つらいよ~~」
ゴールデンボンバーかい。
「にゅうわっぽくて~にゅうわっぽくて~つらいよ~」それは辛いね。

なかなか生きづらい世の中だ。
買い物は自分でレジを通し支払う。ガソリンは毎月変わるパスワードがLINEで送られてくるのを見て自分で入れる。
どこかのおばちゃん(おばあちゃんかな)「そんなん出来んし!もういいわっ!!」と、怒って去っていった。短気は損気。ちゃんとやさしく教えてもらえるのに。
自立する年寄りと、腹を立てる年寄りに分かれていくらしい。
カスハラは高齢者に多いとか。
年を取ると出来ないことが多くなり、気力がなくなるので、本当は優しくお客様扱いされたいのだが、最近は対等の立場になり、お客様は神様ではなくなった。


介護認定は「自立」という

2024-06-07 | 暮らし
コロナですっかり95歳らしくなり、毎朝の食事を部屋に持っていくのが癖になった。
昼と夜はダイニングで一緒に食べるが、朝は食事を運ぶと、たいがいテレビの前のテーブルで座椅子に寄りかかって寝ていることが多い。
弱ってきた感じがするし、実家の母はそれほどでもなかったが、数年前ひとり暮らしなので心配で、介護申請したら「要支援」だったので、いよいよ95歳の義母も耳は殆ど聞こええないので、認定をしてもらおうと連絡した。
さて、コロナも回復し、畑は辞めたが草が生えるのが嫌ということで、耕運機を動かしたようだ。
そのせいで、痛い腰がさらに痛くなって、食後はテーブルに手をついて立ち上がらなくてはならない。

しかし、認定の方が見えて「耳は聞えんけど、メールできるし大丈夫」という。
「へぇ~、すごいですね~」と、言われる。
こういう時は、相手の顔で驚かれて褒められているのは分かるようだ。
しかし、病院へ連れて行くと、わたしが通訳しなくては、先生や看護師と意思疎通できないのである。
全く違うことを勝手に話し出したり、聞こえたふりをしたりする。
立ってみてくださいと言われたら、手をつかずすくっと椅子から立ち上がる。
チェック項目に〇をつけるのも、
「買い物は運転できんし連れて行ってもらうけど、ひとりでできる」と、アピールする。確かにいつものところで、ちゃんとかごに入れてレジへ持っていくし、WAONカードでの支払いもできるし大丈夫ではあるが。
毎食、食事を作るのはわたしだが、これは要支援にあたらない。
世の食事を作らない夫たちは、要支援かというとそうではなく、単に役割分担であるだけだから、嫁の役割であるので上げ禅据え膳は、支援ではない。
結果は「自立」とのこと。と、いうことは別居してもいいってこと?

介護保険を払ってばかりだから、使う年頃になったし使いたいと言った義母であるが、いざとなると元気で若い、「え~95歳に見えない!!」と、言われたい様子だ。
自立の女性ふたりなら、扶養家族にしてあるが、同居でも別世帯にした方が良かったかもしれない。補助金とかそれぞれに貰えるのだ。しかし、今更。
家の経費の支払い、様々な付き合い慶弔、税金の支払い。当たり前にしている。分けるべきだったか。
知り合いの女性で、ご主人が亡くなった時、相手方の親戚にもうお付き合いはしません宣言をしたというのを聞いた。
しかし、田舎の町ではそれは出来ないね。あ、その人も田舎の町だが。

そのような話ではない。今年に入って、やはり心配な面は多いのである。
しっかりしていた義母ではあるが、物忘れもちょくちょく。

今日も義歯が痛くて歯医者へ連れて行った。
傷の薬として、うがい薬を薬局からもらって帰った。もちろん、電話が出来ないし予約手続きから、呼ばれたときに部屋へ誘導し、付き添って診察を受けなくては、先生との会話が出来ない。
支払いをすませ、待合室で待たせて薬局へ行く。
さて、昼ご飯の後、うがい薬が使えないという。
傾けて頭を押しても液が出てこない。
おかしいね。プッシュ式ではないので横にしたら出ると説明書に書いてある。
傾けても、逆さにしても出てこない。困って薬局に電話したら、
「物理的に傾けたら出るようになっています」とのこと。
でも、出ない。
仕方がないので、また車で薬局まで行く羽目に。
さて、窓口で容器を傾けると、出ませんね。
「空っぽですよ。」えっ!そういう落ちか!と、いう感じ。
お恥ずかしい限りだ。すみません・・お騒がせをしました。
家へ帰ると、さっきもらった袋は封切せずに義母の卓の上にあって、ずっと前のうがい薬をどこから出したのか居間にいる私に持って来たのであった。
それも、説明書と共に。
てっきり今の物と思う。中身が見えない白い容器で、口の所に青い液は若干残っていて、たれてこなかったのである。
まさか空の物を持ってきているとは思うはずもなく。

畑の草も草刈り機で刈ってというので、汗だくになって刈る。
そのように、午前中は棒に振ったのである。

安心して家を空けることは出来ず、長期の時は娘に安否確認をしてもらう。
食事の用意は、不在の時の分は作り置きし、冷凍やフリーズドライのものを用意する。
まあ元気な方ではある。自分のことは出来るし、大量の薬を間違わずにちゃんと飲むし。高齢の人は、それを「自立」というのかもしれない。

最近は介護認定は、なかなかしてもらえないのだと後で友達から聞いた。





正座ができないところから、チョンボまで

2024-06-05 | 弓道
さあ!今年は新入部員が8人も入ったし「がんばりましょうね」
新しい弽を買って、坐してはめることを教えたが、着け終わらないうちに
「あ~、もうだめや~」と、足を崩す、その声をきっかけに、ふたり、3人。
足を崩す。正座が出来ないのだ。そうなると跪座も出来ないわけだ。
素直で可愛らしい子供たちで、楽しそうにやってくる。
チームも組めないほど少ない部員数だが、教えるにはちょうどいいかもと思う。
初心者には手取足取りが必要で、2年生は二人だけだし。

さて、的前に立って足踏みをすると、初めに教えたようにしないのである。
射位に進んでの足踏みは、左足を真横に向け、右足が真っすぐで、先に出した左足に右足を揃えて・・というところで、右足が左足を出した瞬間に、足を寄せずに足踏みの位置にくるりと開いしまう生徒が何人かいて、つい
「チョンボしないで。、習った通りの足踏みをしましょう」と、言うと、みんなが目を丸くして、一瞬静まった。
「チョンボって何ですか?」と、言うので
「えっ!知らん?間違いってこと。ルール違反という感じかな。」
もしかして、昭和の言葉で死語なんかい?と、不安になった。
そして、彼らは「チョンボ、チョンボ」と、口々に言いながら楽しそうに足踏みをしていた。
余計なことを教えてしまったのかなあ。
不適切な言葉だったのだろうか?
麻雀用語であると言っても余計ややこしいだろうな。
 

BBQ

2024-06-05 | 弓道
草刈に没頭していて気づいたら13時過ぎて、14時から弓道協会のBBQだったのだ。
Mさんに遅れる旨を電話で伝え、大急ぎで帰宅しシャワーを浴びてから、土山ブドウ園へでかけた。
すでに、いい感じで肉が焼けていて、申し訳ないことだった。
各自飲み物は持ち寄りで、場所代一人800円で、持ち込み無料ということだ。


煙が向かってくるが何のその。
フリーのビールなのに酔った気分で話が弾む。
このウインナーが旨いのなんの。塩味が効いていてビールがすすむのである。
熱々、プチッ、うまっ!!



ここは、ブドウ園だが、BBQ小屋があって、桜の季節は桜のトンネル、菜の花満開、夏はヒマワリの迷路ができ、季節ごとに楽しめるのだ。



今度は、夏に有志でヒマワリBBQをしよう!と、なんとも楽しい計画だが、たぶん夏は北信越大会のお手伝いで忙しいらしいぞとのこと。
何はともあれ、老若男女ともに食するのは楽しいものだ。
帰りはアッシーとしてお仕事を致しました。


趣味は草刈?

2024-06-03 | 暮らし
薄曇りの日は草を刈るにはもってこいだ。
コロナ前は晴れたら山に登っていたのに、すっかり山を忘れ、それより家の事をしなくてはという気持ちだけで、草刈をするようになったら、これがおもしろい。
家の庭の草むしりより、草刈り機の威力で達成感が違う。
例の空き地にピンクのイモカタバミが少しずつ増えてきたが、ドクダミに占領されそうで、丁寧に抜き取った。これは機械ではできない。

それぞれが主張して大変な状況になっている。
また背の高いタンポポが広がっている。(ブタナでした)


ヒオウギが伸びてきている。


この青いのは何だろう。(ワスレナグサかキュウリグサとのこと)
雑草でも花が咲くと刈り取るのが可哀そうになる。



誰か買ってくれないかなあ。家を建てたい人いないかなあと思いつつも、少しずつ花が咲くと嬉しい。


特に嬉しいのは、3年前に家のアジサイを挿し木して、鉢で育てて地植えしたのが、初めて花をつけたことだ。
地植えしても、小さな芽が出ただけで土が悪いので育たず、その周りに、油粕や腐葉土を少し入れた。
昨年は、15㎝ほどになって、何とか伸びてくれそうな感じがした。
それでも花をつける気配はなかった。
なんと、今年は枯れ葉を周りに撒いたりして世話をしたせいかついに花が!!
小さいけれど楽しみ。


バッテリーが切れるまで楽しんでいたら、13時7分になっていた。
ひえ~~この後、14時から約束が~~汗だくだ・・



ついにオーガスタが

2024-06-02 | 暮らし
家を建ててから20年余り。新築祝いに頂いたオーガスタが、わたしの身長より大きくなり、何回か植木鉢を大きくして、大事に育ててきたのに枯れた。
大きくて3本~4本の茎で、入れ替わっては伸びていた。
異変が起きたのは、わたしがコロナにかかった頃だ。
いつもなら、次々と新芽が出てくるのに、大きな葉がぐなっと折れ曲がったのだ。枯れていて2枚の葉は処分した。

わたしのコロナが義母に移り、毎朝食事を運び、汚れ物を洗い、世話を焼いているうちに気づいたら、残った元気な葉が丸まったまま開かず、中を見ると縁が枯れていたのだ。


仕方なく処分することにした。
すごく気に入っていた。大きいので守られている気分だったからだ。
今まで何回か根を切って植え替えたが、しばらくほったらかしていたかも。
鉢をひっくりかえすと、根が伸び切って底の網を抜けていて腐っていた。
日頃の忙しさにかまけて気づかずにいた。
その異変がちょうどコロナの頃に家にいてしげしげ眺めて気づいたことで、コロナが移ったわけではないが、そんな気がした。
外は晴れているが、葬送曲を流したい気分だ。
そこに有るものが無くなるというのは寂しい。