名古屋での弓道審査のため金山で泊まった。
Tさんと韓国料理の店に入り、しこたま食べたが、お酒は眠りが浅くなるため少しだけでやめた。
駅にはマスクの人が多い。わたしたちもマスクと、薄い手袋と、持ち歩ける消毒用のジェルを持って行った。
出がけに母から電話があって、こんな時期に行くなと言われたが、「そうですね」とは言い難い。
さて、翌日ガイシスポーツセンターで受付をするが、名前の前に赤字で「未」とある人が多い。わたしたちの第二射場には欠席の「欠」よりも「未」が多いので、受付の締め切り時間9時に間に合わないのは欠席ではないかと疑問に思っていた。
案の定、受審者が口々に、第3控までに間に合ったら審査を受けさせてくれるなら、前の日から泊まらないで、自分の出番に間に合うように来る!!と、言っていた。
どちらにしろ、欠席者19名とみて、自分がどこに立つか確認し、石川県の仲間と待ち時間を過ごしていた。
すると、いきなり弓立が倒れて、ばちーーんと硬い音がした。
悲しいかな、わたしの弓は力いっぱい地面にたたきつけられて、拾うと弦輪が横向きになっていた。
弓立を止めてあった拍子木のようなものが根元にあって、それが外れてしまい、弓や矢筒の重みで、反対側にたわんで倒れたのである。
わたしと仲間たちは、もう弓を弓立に立てずに、窓側に避難させた。
相変わらず、待ち時間は長く、出番間際に神頼みをしたが、甲矢は大きく後ろにそれた。
乙矢は、前の人が弦切れを起こしたときに、つい弦音に反応して、取掛けてしまい、妻手を引っ込めるわけにもいかずそのままの状態でいたら、手に力が入ってしまったのか、大三に移行するときに矢が落ちてしまった。座して恐縮の意を表わし退場。すべては、自分の落ち着きのなさである。
だいたい神頼みなどは無意味だ。神様は努力したものには、頼まれなくても力を貸してくれる。努力が足りないものには結果は表れない。当然の結果といえば当然なのである。道は遠い。
帰りにTさんと不甲斐なさを嘆き、また挑戦する決意を誓いながらも、心の奥にこの調子では難しい・・と。なぜか映画の「俺たちに明日はない」が、頭に浮かんできた。いかんいかん・・行く道を間違えそうだ。
家に帰って、なぜか玄関の鬼柚子をながめ、「ケーシー高峰に似ているな」と、思い癒される気がした。新型肺炎の騒ぎの危ないご時世で、無事帰ってこれたことを幸せに思う。
運や技量が足りないことより、本当に足りないのは感謝の気持ちだったかもしれない。